ジャーナリストの川村晃司さんが亡くなられたことをネットニュースで知ったのは1昨日のこと。
「えっ?」とわが目を疑いました。
東久留米在住の川村さんを「ほのぼのマイタウン」でインタビューしたのは2004年のこと。
取材のきっかけは川村さんの娘さんの紹介からでした。
当時娘さんはNHK関連の企業にお勤めでした。
若くて感じのいい美人さんだったのを記憶しています。
彼女が担当する番組を小平のホールで公開録画することになり、宣伝媒体として「ほのぼのマイタウン」に依頼がきたのです。
超零細タウン誌のウラ表紙に全面広告を出してくださる・・・願ってもないことでした。
彼女と広告内容について打合わせ中(楽しいおしゃべりみたいでした)、「うちの父はテレビにでているんですが、出たがりなんでタウン誌で取材してください」と言われたのです。
「出たがり」とはお父さんへの親しみを込めた愛情表現だったのでしょうね。
私は「ワイドスクランブル」でコメンテーターを務めている川村晃司さんのことはテレビの中で知っていましたが、彼女がその川村さんのお嬢さんであること、東久留米在住であることは全く知りませんでした。
当時53歳、数本の番組を掛け持ちして多忙を極める川村さんにこうしてインタビューが実現したのです。
取材は東久留米市内の小さな喫茶店で行いました。
川村さんを待っていると、何と奥様と一緒にいらしたのです。
そして奥様が「娘もお世話になりましたのに、今度は主人がお世話になります。今日はよろしくお願いいたします」と挨拶されたのにビックリ、恐縮至極とはこのことでしょうか。
お世話になっているのはこちらの方なの・・・・ご丁重で品のいい奥様は挨拶のみで帰られました。
何と素晴らしいご家族なのだろうと、川村さんのお話を伺う前に感激したのを憶えています。
川村さんはテレビのコメンテーター出演の時よりも、ソフトに穏やかに語ってくださいました。
テレビ朝日の特派員として、天安門事件、湾岸戦争そして2001年のアメリカ9・11同時多発テロと歴史的事件の最前線で報道し、生命の危険にさらされたこともあったという。
生番組でのコメントは真剣勝負であると。
数秒内で視聴者に的確に伝えられるよう努力を欠かさない川村さんの真摯で、誠実なお人柄。
ジャーナリストとしての情熱と誇りをお持ちでした。
年賀状でもほのぼのマイタウンへのエールを書いてくださる優しい方でした。
もっとお話を伺いたかった。
講演会を企画して、川村さんのお話を多くの人に聞いてほしかった。
今となっては詮無いことを思います。
まだ72歳というお歳で逝かれて、奥様とお嬢さんはどんなに悲しまれていることか。
私にとっては19年後の今も忘れられないインタビューです。
心よりお悔やみ申し上げます。