新年最初の美術展は以前から行きたかった「すみだ北斎美術館」の「北斎視覚のマジック」展へ。
両国駅へ着いたら、駅前が人でいっぱい。
何事?と思ったら、この日(1月12日)が大相撲初場所初日だったのです。
何も知らずに来た、正月ボケの夫婦でした(夫は相撲ファンなのに)。
幟や櫓太鼓が立ち、雰囲気を醸し出していました。
関取が付け人とともに、国技館へ向かっていました。
いいですね~両国の年の初め。
まずは腹ごしらえをしてから行動しようと、ランチは駅近くの店へ。
「深川めし」あさりの炊き込みご飯です。
あさりがふっくらとして、美味しかったですよ。
さて、すみだ北斎美術館は両国駅から徒歩9分。
小平の「なかまちテラス」(公民館と図書館の複合施設)を設計した妹島和世さんの作品なので、
以前から見てみたかったのです。
「あぁ、なかまちテラスと似ている」最初見てそう感じました。
アルミパネルの外観とエントランス、なかまちテラスの外側は穴があいたエキスパンドメタルという違いこそあれ、
通り抜け自由の通路といい、兄弟の建物みたいです。
「街に開かれた建物」というコンセプトも同じだし、完成したのがなかまちテラスが2015年、北斎美術館は2016年。
ですから、なかまちテラスが1歳お兄さんですね。
規模は問題にならないくらい、北斎美術館の方が大きいのですが、何だか親しみが持てます。
エントランスも似ています。
4階の窓からは真正面にスカイツリー。
この美術館と一体になった緑町公園が眼下に見えます。
あれっ、肝心の北斎展の方は?
小布施の北斎館所蔵の作品約130点が会した展覧会、祭り屋台の「鳳凰」と「男波」の天井絵が素晴らしかったです。
この絵のチラシを横にした大きなボードが撮影自由で置いてありました。
お正月らしい華やかさです。
こちらも会場を出たところに設置してあった新年を飾る新年風俗図(初夢・朝化粧)、高精細複製画です。
面白かったのは北斎が放蕩の孫の悪魔祓いとして描いた「日新徐魔」。
日付が入った肉筆画で、北斎は毎日描いたのだとか。
天才も孫のことを心配する、普通のおじいちゃんだったのでしょうか。
これは美術館に続く公園内にある、カーペットのようなモザイク画。
北斎はこの辺りで生まれたのですね。
公園の水飲み場を1羽のハトがしばらく独占して、出てくる水を実に上手に飲んでいました。
新鮮な水はハトにも美味しいのでしょうね。
北斎通りを戻ると、江戸東京博物館前は未だ行列していました。
国技館通りの小さなイタリアンレストランでお茶して一休み、回向院へ寄ることに。
回向院は江戸時代の明暦の大火で亡くなった、無縁の人々を手厚く葬るためにできたお寺だそう。
境内にはいろいろな供養塔やお地蔵さん、石碑があります。
まず目に入ったのが「力塚」という大きな石碑。
これは歴代の相撲年寄を慰霊するために建立されたもの。
もともと、江戸時代からこの回向院境内で勧進相撲が行われ、それから春秋の2回興行の定場所になったとか。
明治42年、旧両国国技館ができるまでの76年間、回向院相撲が続いたのだそうです。
両国が相撲のまちになった所以ですね。
こちらはかの有名なねずみ小僧次郎吉のお墓です。
長年捕まらなかった運にあやかりたいとか、受験生がどこでも「スルリと入れる」とかで、
お墓の石を削って、その粉を持ち帰る人があとを絶たず、墓石が変形してきたそう。
そこでお寺は「こちらを削ってください」とお前立ちを設置し、削り用の小石も数個用意してありました。
受験生のおかあさん方でしょうか。
熱心に削っていらっしゃいました。
私たち? もちろん人並みに削って持ち帰りましたよ(笑)
孫にありがたく戴かせます。
次郎吉さんのお墓の隣には猫を供養する猫塚もありました。
涙が出そうな「猫の恩返し」の由来が立て札に書いてありました。
両国はワクワクするまちです。
「北斎の視覚マジック」は1月19日まで。