久しぶりに心震える映画に出合いました。
「フジコ・ヘミングの時間」です。
今年の6月に公開された映画で、絶対見に行くと決めていましたのに、6月は海外旅行してその後風邪をひき映画のことは忘却の彼方へ。
ところが、先日NHKのアーカイブスで1999年放送のフジコ・ヘミングのドキュメント番組が放送され、当時それを見てフジコさんの個性に惹かれ、関心を持ったものです。
そこで映画のことを思い出し、ネットで調べていたらラッキーなことに今も上映している映画館があったのです。
有楽町のイトシアプラザにある「ヒューマントラストシネマ有楽町」にNHK放映日の翌々日に、はやる心で出かけました。
フジコさんはそのNHKの番組で60代でメジャーになり、世界中からオファーがくるピアニストです。
私は上野の東京文化会館の最前列でフジコさんのコンサートを聴いたことがあります。
このドキュメンタリー映画はワールドツアーで世界を巡って演奏する姿や、自宅で愛する猫に囲まれて過ごす時間など、公私にわたるフジコさんの素顔に密着。
ピアノの前で煙草をくゆらせたり、街中を歩き通りの募金箱にコインを入れる姿、パリやアメリカ、京都の自宅のアンティークなインテリア。
そして全編に流れる「月の光」や「ため息」などのピアノ曲。
とりわけラストの東京オペラシティで弾いた「ラ・カンパネラ」は圧巻。胸が熱くなりました。
「私は『ラ・カンパネラ』を死にもの狂いで弾いているの。ほかの人が弾くものとは違う。間違うこともあるけれど、機械のように弾いたってつまらないじゃない」
こんなことが言えるって凄い。
この曲はフジコさんの人生そのもの、魂の発露のように聴こえます。
日本人ピアニストの母とロシア系スウェーデン人のデザイナーである父との間に生まれたフジコさんは子どもの頃父親と離別。
ピアノ教師であった母から厳しいレッスンを受け、ピアニストとなり海外での大事なリサイタルの前に聴力を失うという不運。
私はどういう訳か、大ファンであるシャンソン歌手金子由香利と重ね合わせて、映画を見ている自分に気づきました。
由香利さんも50代の頃、NHKのスペシャル番組がきっかけで、世に知られるようになった歌手。
「なんて素敵な人だろう」私はその番組を見て以来、歌と姿に魅せられ、銀座の銀巴里に聴きに行き、毎年パルコホールのリサイタルに通っていました。
息子の子守歌はいつも由香利さんのシャンソン、抱っこしながら毎日聴いていたものです。
コレクションしていたリサイタルのパンフレット写真より
由香利さんは息子さんが小学3年の頃、大恋愛で結ばれたご主人を突然亡くしました。
以来銀巴里のようなシャンソニエで歌いながら、息子を育てたのです。
若い頃、苦難に見舞われても諦めず、自分の好きな道を地道に進み人生の後半以降に花開いた二人にはまだ共通点がいくつかありました。
◆無国籍の貌・・・フジコさんはハーフだから当然ですが、由香利さんは生粋の日本人。でもどこの国の人といっても通じるような。
二人ともヨーロッパの街が似合います。
◆独自のスタイル・・・ピアノとシャンソンの違いはありますが、誰にもマネできない、ぶれない音楽スタイルです。
◆年齢不詳・・・フジコさんは80代半ばでしょう。二人とも公的に年齢を公開していません。由香利さんはネットに2010年に引退と書いてありました。
その直前までリサイタルに行っていましたので、淋しい限り。
由香利さんがひそやかに歌う、「想い出のサントロペ」や「18才の彼」「再会」などはフランス映画のシーンが浮かんでくるようです。
力強く歌い上げる「おゝ我が人生」には「苦しくても生きていこう」と励まされたものです。
もう20年以上も前、吉祥寺東急のエスカレータで私の前にいたのが、なんと由香利さんでした。
吉祥寺に住んでいるらしいことは知っていましたが、その時の私はびっくりして心臓が止まりそうでした。
息子さんとエスカレータの上下でにこやかに話しながら、家庭用品売り場の階で消えて行ったのを記憶しています。
今どうしていらっしゃるのでしょう。
あの黒のドレスで歌う気品に満ちた姿をもう一度見たい。
金子由香利とフジコ・ヘミングに出会えた私の人生に乾杯!
帰宅して早速、フジコさんと由香利さんのCDを取り出して、今も聴いている単純な私です。
イトシアプラザ入口のクリスマスツリー
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