『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

奄美大島へ(その3)あやまる岬

2021-11-28 17:22:46 | 旅行

奄美大島も最終日。
ホテルを出て、田中一村終焉の家(その1に掲載)に寄り、空港がある北の方へ向かいました。
気ままなレンタカーの旅ですから、あちこちに寄っていくことができます。

   

龍郷町の「西郷南洲流謫跡」は海岸線から入った道の鄙びた住宅地にありました。
西郷隆盛が妻の愛加那と息子の菊次郎のために、自ら歩いて土地を探し、建てたという家。
もっとも、ここにはわずか2か月しか住めなかったとか。
薩摩藩から召喚状が届いたからだそうです。

ところが開館は10時30分、個人所有の家で管理の方が通いで来ているので不定期に休みがあり、近所の方に訊ねると「ここ2日間はお休みだったから、今日は管理の方が来るはずですよ」とのこと。
随分時間があるので、中を見るのは諦めて外観だけ写真を撮りました。

   

石碑が建っていますが、あれが多分、勝海舟の碑文の石碑です。

   

こちらが正面から写したもの。
周りは静かで、どこの家も南国の花や樹木に満ちていました。


あやまる岬で楽しい体験!

   

あやまる岬って、変わった名前でしょう?
こんもりとした丸い地形が綾に織りなす「まり」に似ていることから「あやまる」と名付けられたのだそうです。

   

展望台からの眺望。
岬の周辺はラウンドゴルフ場や芝スキー、遊具がある広い観光公園になっています。

   

太平洋を見下ろす、本当に気持ちのいい場所です。


   

駐車場近くにあるカフェに行く途中、トイレがあったのですが、夫が男子トイレは「絶景トイレ」だったと感動していました。
オーシャンビューの展望風呂ならぬ展望トイレとして造ってあるそうです。
何とも贅沢ですね~

カフェのテラスでソフトクリームを食べましたが、ここも広い芝生のオーシャンビューです。

   

突端で女性が一人、本を読んでいるようでした。
そのうちにはだしになって、ストレッチを始めました。
それほど、ここは人も少なく、開放的な場所なのです。

   

   

サンゴ礁の海が広がり、ソテツには実がいっぱいでした。
ソテツの実は小さい頃から知っていますが、こんな風に実がなるって初めて知りました。


レンタカーを返すまで時間があるので、海岸へ下りてみました。
真っ白い砂にサンゴや貝殻がある中に、黒いものが・・・
取り上げると軽い・・・やはり軽石でした。
ここにもやってきたのですね。

   

岩の間の水溜まりにはこんなカニもいましたよ。

   

岩の間にはこの可憐な花があちこちに咲いていました。
誰もいない島の海辺、非日常の安らぎタイムでした。


   

駐車場への帰り道に見つけたこれ。
漁具のブイ(多分?)をクマモンにしてマスクをかけています。
かわいいアイデアです。

その近くにレールが敷いてあり、子ども用の古い機関車があるのですが、「乗れますよ」と係のおじさんから言われたので、乗ってみることに・・・
何とそれは自転車のように足でこぐ、二人乗りのサイクル列車でした。
そして、2周で100円という安さ。

   

この列車もオーシャンビュー。
トンネルもあって、「ぽっぽっー」と汽笛もなります。
すると、遠足に来ていた幼稚園(か保育園)のチビッ子たちが下の方に40人位いたでしょうか。
その子たちが一斉に手を振ってくれるのです。
2周しましたので、2回も!そして先生までも!
テレましたね~ でもかわいい~
早く通り過ぎるよう、懸命に漕ぎましたね(笑)。

終わって訊くと「これは来年3月まででお終いなんです。新しく機関車トーマスになるんで、私も引退です」とおじさんが。
「それじゃ、写真を撮らせてください」というと、聞き違えておじさんは私たちを場所を変えて、丁寧に撮ってくださいました。
「この列車と一緒に駅長さんも撮らせてください」というと、「ちょっと待って!」と慌てて帽子を取ってきました。

   

おじさんなんて書いてごめんなさい。
立派な帽子の駅長さんだったのですね。
長い間ご苦労さまでした。
左に見えるのが手を振ってくれた子どもたちです。

実に楽しいあやまる岬の公園でした。

頑張った大島高校野球部

レンタカー会社へ戻る途中、大島紬の小物やおみやげも売っている店に寄った時のこと。
おみやげを少し買って、レジに行っても誰もいません。
しばらくして「すみませーん」とお店の方が。
「今、大島高校が試合していて、それに夢中になって」と。
そうでした。テレビのニュースをホテルで見て知っていました。
秋の鹿児島県大会で優勝した県立大島高校は九州大会へ進んで快進撃、この日は準決勝の日だったのです。
折しも市長選挙の最中で、ドライブ中にも選挙カーを見かけました。
島の人々は市長選よりも、オラがまちの高校球児の応援の方に熱が入るのかもしれません。

翌日、調べて決勝で九州国際大付属高に敗れたことを知りました。
でも、鹿児島から300キロも離れた離島で、試合相手の高校もない中での準優勝。
凄いです。
来春の選抜には甲子園へ行けるかもしれません。
応援しなきゃと思います。

最後まで面白かった奄美旅行でした。

お読みいただきありがとうございました。















   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奄美大島へ(その2)マングローブの森

2021-11-22 17:29:28 | 旅行

マングローブの原生林をカヌーで散策


奄美大島2日目はマングローブの原生林へ行くことにしました。

9時過ぎにホテルを出て、島中央部の住用町へ。
奄美には長いトンネルが本当に多いです。
緑の山がほとんどの島に、道路を通すには当たり前なのでしょう。

   

こちらがマングローブの森です。
マングローブは熱帯、亜熱帯の河口で潮の満ち干の影響を受ける汽水域に生育する植物の総称なのだそうです。
「つまり、みなさんが高山植物と呼ぶのと同じなんです」とカヌー乗り場のおにいさんが教えてくれました。
ここはオヒルギとメヒルギの原生林で、沖縄の西表島に次ぐ、日本で2番目の規模なのだとか。

ここでカヌーを漕いで散策することにしました。
おにいさんがパドルの使い方を簡単にレクチャーしてくれ、いざ二人乗りカヌーに乗り込みました。

   

私たち以外に一人乗りの人たちもいますし、次々に6,7組が乗り込みました。
20人位乗れる遊覧船のあとをついて来て下さいと言われ、最初はカヌー初心者ですから緊張しました。
でも、夫が学生時代ボート部でしたので安心です(といってもはるか昔のことですが)。
中年女性2人組のカヌーがなかなか進まずあらぬ方向へ行くようで、遊覧船の船頭さんが「そこの赤い服のおねーさん! 右(左)のパドルを漕いで!」と叫びます。
その都度、何度も。
遊覧船のお客さんにガイドをしなければならないのに・・・

私が一人で乗ったり、友人と乗ったらきっと同じことを言われただろうと思うとおかしくなりました。

けれどもちょっと慣れると本当に気持ちよく、お天気もよく快適です!

   

   

カヌーは本流を左折して、マングローブのトンネルに入ります。
行きかうカヌーの人たちもリラックスして楽しそうでした。
アマミノクロウサギでも出てこないかしら?と思ったのですが、生き物には出会えませんでした。
木の実がたくさん落ちていたましたけれど。
ここからもっと奥まで行ったのですが、流れが狭くて前に行く人が「ここから先にはいけませんね」と言うので、お互いにUターンする時が最もスリリングでした。

   

帰りは風が出てきて、漕いでも進まず、夫任せの私も腕が痛くなる位漕ぎましたよ。
1時間半位の散策でしたが、貴重な自然の中で実に楽しいひと時でした。


ランチは奄美薬膳つむぎ庵で

マングローブの森を出てすぐの「つむぎ庵」でランチをすることにしました。
奄美は昨晩もそうでしたが、飲食店ではつむぎ庵のような10席余りのこじんまりした店でも、お客は名前と連絡先と島外ならどこからかを、来店者カードに書かなければなりませんでした。
コロナ対策が徹底していました。

   

薬膳そばセットを頼みました。
このそばがすごい。
健康長寿食材のシマ桑とシマアザミ、長命草を練り込んだ自家製麺です。
しかもつるんとした喉ごしで美味しい!
また、写真右上の黒豚なんこつ煮もトロットロで前日のものより柔らかく、何日煮込むのだろうと思いました。
島ならではの薬膳そば、また食べたいものです。


東シナ海側をドライブして名瀬へ

帰りは途中であちこちに寄りながら、山を抜け東シナ海をドライブしました。

   

ちょっと寄り道して「アランガチの滝」へ。
民家も近くにあるのですが、ひっそりとした美しい滝でした。

   

海沿いにでると、大和村の南端にある「今里立神(いまざとたちがみ)」という小さな島が見えました。
今里集落を見守るシンボルなのだそうです。
古くから神が降り立つ島として、崇められて信仰の対象とされていたとのこと。
奄美大島や加計呂麻島周辺には有名なものだけでも、約15もの立神があるという。
夕日に照らされた立神は得も言われぬ美しさだそうです。

   

このような巨岩が道路のすぐそばのあちこちに見られました。
この辺りは鄙びた漁村といった感じで、人も店も見かけませんでした。
お茶をしたいと車中から探すのですが、コンビニはもちろん店もなく、ただガイドブックに載っていた、名物のタンカンのソフトクリームとタンカンジュースのスタンドがあって、ひと休みしました。


   

   

展望台にはアダンの実やススキがありました。
あまりにススキを多く見かけるので、「なぜ、こんなにススキが多いのですか」と地元の人に訊ねたら、「さぁ、刈り取らないからでしょう」という答えでした(笑)。
つい先月お月見の飾りにススキが1本ほしいと探しても、どこにも見つからなかったのでつい訊ねてしまいました。
小平では、花屋に月見の時期にススキが売っているのを見かけたことさえあるものですから。



海を見下ろした写真ですが、帯状に薄茶色のものが見えるでしょう。
あれが多分、今話題の軽石です。
翌日、空港先の海岸に下りた時も軽石が打ち上げられていましたから。



夜は島唄が楽しめる店へ

シティホテルに泊まると夕食をとるのにも便利です。
何せ歩いて、2、3分のところにいろいろなお店がありますからね。
「吟亭」という島唄に直前予約をして、行くともうテーブルにお料理が用意されていました。
島唄コースはもう決まったお料理なんですね。

   

   

行く先々で出てくる豚のなんこつ煮、どこの店でも美味しいです。
最後にはやはり奄美の郷土食、油そばも出てきました。

   

食事が終わるころから始まる島唄。
ここの女将さんが賞をとっている唄者で、三線を弾くのはお孫さんです。
大島紬の唄など奄美独特の哀調を帯びた節で聴かせます。
沖縄とはまた異なる雰囲気です。

客は東京から3人、明石から来たシニア男性3人と私たちの8人だけ。
順番に太鼓叩きが回ってきたり、後半は皆で踊りを習ったり・・・
写真を撮るヒマがありませんでした。
でも本当に久しぶりのこんな楽しい雰囲気、忘れかけていましたね。

スタッフ2人の女性も踊りが上手で、愛嬌があってサービスもよく、とても感じのいい店でした。















   



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奄美大島へ(その1)念願の田中一村美術館へ

2021-11-18 11:06:47 | 旅行

以前から、日本画家、田中一村(たなか・いっそん)の美術館がある奄美大島に行きたかったのですが、先週、思い切って2泊3日で行ってきました。

JALの直行便で2時間余り、20分遅れて2時半頃奄美空港着。
本当に久しぶりに味わう旅の空は青く、明るい光に満ちていました。

直ぐに空港近くでレンタカーを借りて、そこから5分のところにある田中一村記念美術館に直行しました。
以前の空港跡地にできた奄美パークの中にあります。


   

   

今回のチラシ(上)と入口の案内です。
館内の撮影は禁止でしたので、こちらで一村の絵を感じてくださいね。
「不喰芋と蘇鉄」というタイトルの絵です。

日本のゴーギャン、孤高の天才画家と言われる田中一村(1908ー1977)を知ったのは15年前くらいでしょうか。
故郷の絵の好きな友人が奄美大島に行き、そのおみやげに一村の絵はがきセットを送ってくれたことがありました。
奄美の自然を描いたその絵は独特で、強く印象に残ったものです。
数年後、今度は清瀬の友人が『日本のゴーギャン 田中一村伝』という本を送ってくれました。
鹿児島の南日本新聞記者が細かな取材をして、新聞に連載したものを単行本にしたものでした。
これを読んで、こんな画家がいたのかとその一生を知り感動そのものでした。

50歳で中央画壇と訣別し奄美に渡り、69歳で亡くなるまでの間、大島紬の染色工として
働き、岩絵の具や画材を買う費用を捻出し、絵画制作に専念していたようです。
一村のおみやげ店の方が「一村は奄美での20年間のうち、絵に専念できたのは9年位じゃないですかね。亡くなって随分経ってからNHKの日曜美術館で紹介されてから注目されるようになってね。美術館が奄美に造られたってこと知らせたかったですね」と話してくれました。

展覧会場で使っていた筆や道具などもありましたが、印象に残るのは住んでいた間取り図です。
6畳か4畳半の一部屋がアトリエ兼台所、寝室他のすべてだったのです。
このような環境の中で、奄美の植物や鳥を愛し、繊細で生命力溢れる一村の世界をつくり上げていったのですね。
生涯独身、画業に捧げた清貧の人でした。

   
   

こちらは帰京する日に訪ねた名瀬にある一村終焉の家。
移築保存されているのですが、この家に引っ越してたった10日後に心不全で亡くなったのだそうです。
それまで住んでいた所と較べて「ここは御殿だ」と言ったのだとか。 

   

家の周りには一村が描いた蘇鉄やアダンが植えてありました。
駐車するところを通りがかりの地元の男性に訊いたら、「よくこんなところまで来ますね」と言われました(笑)。  


   

   

美術館入口、木製の自動ドアがステキでした。

  

作品を見てきた美術館の外観。
高倉のような造りで周りも広々としています。

   

カフェもありましたが、3時でクローズとのことで残念!
至る所にモダンな木製のベンチやイスがあって、南国情緒の中に落ち着きがありました。



   

美術館から続く散策の「一村の路」もあり、エレベーターで昇れるような展望台もありましたが、泊まるホテルがここから30㎞先の名瀬の街中ですから、夕刻も迫り、ゆっくりできず心残りでした。

   

一村の絵に登場するアダンの実もなっていました。
この実は黄色く熟して、芳香がするそうですが、食べるには繊維が多すぎて適さないのだとか。



さて、ようやく名瀬のホテルに着き、ひと休みして夕食に出かけました。

行きたい店がお休みでしたので、漁船を持っていて魚自慢という居酒屋へ。

   
地魚の盛合わせ、新鮮そのものでした。

    
豚の角煮と右は奄美名物の鶏飯。
鶏飯はそんなに美味しいとは思いませんでしたが、豚の角煮は柔らかくて美味!

    
島豆腐も、こちらの豆腐とはこくが違うような感じがしました。
他にも天ぷら盛合わせなども頼みましたが、お値段もリーズナブルですべて満足!でした。

1年ぶりの旅行で、飛行機に乗るのも2年半ぶり。
すっかり疲れた1日目でした!



 
         











  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小金井公園の陶器市

2021-11-03 21:34:43 | まち歩き

10月30日から11月7日まで小金井公園で全国の陶器が集まった陶器市が開かれています。
毎年行こうと思いながら、実行できないでいたのでようやく行ってきました。

   

いつも自転車で行くので、鈴木街道から入ります。
色づき始めた樹々が迎えてくれます。

   

遠足で来た園児たちや昼寝をする人、やはり小金井公園は伸びやかでいいですね。



ベンチがステキだったので撮ってみました。


   

陶器市は江戸東京たてもの園前の桜並木の通りで開催されています。

   

コロナ対策で入口が決まっていて、検温と手指消毒はもちろんのこと、ノートに名前と連絡先を記入して、使い捨てのポリ手袋を貰って手にはめます。

実は私は陶器は大好きですが、もう食器は買わないと決めていたのです。
夫の転勤で長崎に住んでいた頃、有田の陶器市で買ったものが使わないまま食器棚に眠っていますし、戴き物やアウトレットのヨーロッパのコーヒーカップなどなども。
お客さん用も日常使いにしなければと思いながら、使うのはいつも同じものばかりです。

でもやっぱり陶器市と聞くと胸が騒ぎます。
見るだけでも・・・と思ってしまいます。

入口からすぐに私の好きな波佐見焼のモダンな食器がありました。
当り前ですけど、やはりデザインが昔とは変わりましたね。
当時は白山陶器に入れ込んでいたものです。

   

   

有田焼、益子焼、美濃焼、砥部焼など全国の焼物を商う人々が集まっています。
「今年は開けて良かった!」とお客さんに話すお店の人。
本当にそうですね。
毎年楽しみに来るお得意さんも多いのでしょうね。

  

通りに沿って掘り出し物が置かれていて、テントの奥には高級品が並んでいます。
有田の陶器市はこの掘り出しの半端品がズラリで、面白かったのを思い出しました。

   

こちらは愛媛の砥部焼、ステキです。


   

ぐるりとひと回りして、買ったものはこれだけです。
夫の好きな小城羊羹、一つのテントだけ佐賀の物産が売られていたのです。
それと安かった塗り箸と、何にでも使える今風の中鉢を買ってしまった次第。

でもイベントに来られただけでも嬉しく、秋の日の楽しいひとときでした。










   

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする