『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

国枝慎吾選手お疲れさまでした!

2023-02-08 21:22:15 | キラリ人

今朝の新聞の全面広告、見ましたか?

国枝選手の現役卒業に対してユニクロの粋なはなむけの言葉でした。

「11歳の国枝慎吾くんへ」と題して、テニスを始めた11歳の国枝少年と勝利の瞬間の国枝選手の

写真とともに載っていました。

 

   9歳の時にせき髄の病気で両足に障がいが残り、

   母の勧めで車いすテニスに出会ったばかりのあなたに

   思い描くことができるでしょうか。

 

   自分が世界を舞台に戦い、車いす男子史上初の

   生涯ゴールデンスラムを達成する姿を。

 

   (中略)

 

   あなたが活躍する度に、車いすテニスのファンは増え、

   障がい者スポーツがメジャーになっていきます。

   障がいのある方もない方も垣根なく活躍できる社会へと、

   世界は着実に向かっていきます・

 

   (中略)

 

   11歳の国枝慎吾くん、

   車いすテニスを始めてくれてありがとう。

 

 

昨日の引退会見も素敵でしたね。

「最高のテニス人生を送れた」その笑顔が最高に爽やかでした。

夜のニュースでのインタビューでは「これから料理作りをやってみたい」と。

奥さんに親子丼を作ってあげたいそうです。

何て率直で、いい人なんでしょう。

 

これからの活躍も楽しみです。

 

引退会見というといつも思い出すのが、昭和最後の横綱千代の富士の言葉です。

「体力の限界!」と言い切り、涙をこらえ、言葉を絞り出すように「気力も無くなり、引退することになりました」

今もあの時の表情が浮かんできます。

 

国枝選手の笑顔と千代の富士の涙、相反してもこの二人には「潔さ」という共通点を感じます。

何事も引き際が大切ですね。

 

 

 

 

 

 

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ウクライナ避難民をポーランドで支援した学生たち

2022-09-10 10:20:51 | キラリ人

先月下旬のことになりますが、ポーランドでウクライナ避難民の方々へのボランティアをしてきた大学生たちの活動報告をZoomで見ました。

東京2020大会の都市ボランティアに登録していましたので、大会終了後もさまざまなボランティア募集や、Zoomでの手話講座、英会話、防災講座などの案内が届いています。
今回もそのひとつで、私は学生たちがどのように活動し、感じてきたかに関心がありました。

日本財団ボランティアセンターが全国から募集し、選抜した学生ボランティアを5月末から10月まで7回に渡りウクライナ隣国へ派遣しています。
1グループ15名、今回は6月から8月半ばまでに活動してきた、グループ1からグループ3の学生たちの報告でした。
上智大、日体大、立教大、神田外語大の学生たち4名がポーランドのプシェミシルを拠点に、主に避難民一時滞在施設で活動した約2週間の体験を話しました。

そこで避難民の子どもたちとの交流や施設の清掃、物資や備品の管理などを行いました。
与えられた仕事をやるのではなく、自分たちが何をできるのか自発性に任されていたそうです。

4人の学生さんの話より

  避難民の方々は2,3日の滞在が多いけれど、次の行き先が決まらず1~2か月滞在する人々もいた。

  避難民でありながら、ボランティアをしている18歳の女性の姿に感銘を受けた。

  体調不良になるまでボランティアを続ける他国の男性、誰かのために頑張ることの尊さを感じた。

  20年生きていた中で今回の体験は自分の中で最大のビッグイベントだった。
  世界は広い、行かなきゃ気づけないことが多い。

  仮設ベッドの上の老夫婦の姿、ビデオ通話で父親と話す子どもたちの姿が忘れられない。

  サッカーをしたり、鬼ごっこをしたり、子どもたちと楽しい思い出ができた。

  プシェミシル駅周辺のゴミ拾いをしたとき、支給品のペットボトルやスープカップの空容器などでゴミ箱が溢れていた。
  ゴミ収集が追いついていない現状があった。

  テレビ等で報道されないことなど、受け入れ国の支援情報発信のWEBサイトを立ち上げ中。



You Tube(https://www.youtube.com/watch?v=JeHEf50DRaE)では「これまでの人生でウクライナ語が話せないことがこんなに悲しかったことはない」と嘆く女子学生が印象的でした。

言葉が分かれば、もっともっとできる事があるのに、そんな気持ちが伝わってくるようでした。




話を聞いて、頼もしい若い力を感じました。
戦争という想像すらしなかった事態に家を離れ、家族バラバラになり、日常生活を奪われた人々の手助けをする。
この貴重な体験はきっとこれから行く道の道標となることでしょう。
将来世界で活躍する人材が出てくるのではと期待しています。



春にウクライナ支援のチャリティバザーを開いた時の寄付金を先月末、ようやくウクライナ大使館に持参しました。


      
      西麻布にあるウクライナ大使館


          
      大使館職員の方々







  

  



  
  



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祝!大島高校野球部センバツ出場~島から甲子園へ

2022-01-30 22:45:35 | キラリ人

先週金曜日のニュースで春の選抜出場校の発表がありましたが、奄美大島の県立大島高校の名前を見つけ小躍りしました。

11月に奄美大島に旅した時ホテルのテレビで、九州大会で快進撃中の大島高校をニュースで見ていました。
それから帰る日に土産物屋に寄った折、確かその日が準決勝の日だったと記憶していますが、お店の人がレジにもどこにも居ず、
「すみませーん、今テレビで大島高校見ていたもので」と恐縮しながら出てきたこと。
あぁ、やっぱり島を挙げて応援しているのだとその時妙に感動しました。

九州大会では準優勝しました。
鹿児島県大会から九州大会までの11試合中、5試合が1点差勝利、4試合がサヨナラ勝ちという凄い粘り強さ。
島の人々のハラハラドキドキの熱狂応援が理解できます。

大島高校は2014年に21世紀枠で出場し、今回は一般選考枠で初の出場です。
ほとんどが奄美大島の中学軟式野球部出身なのだそうです。

こういう島の県立高校応援したくなりますね。
ぜひ甲子園で島旋風を起こしてほしいものです。
そしてぜひぜひ有観客でセンバツが行われますように・・・

たった3日間しか奄美にはいなかったのに、奄美大好き人間になりました。


     
      出場決定を喜ぶ選手たち(奄美市役所facebookから借用しました)




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パラ卓球佐藤選手の合宿訪問

2021-09-20 23:37:10 | キラリ人

小平オリ・パラプロジェクトのメンバー有志5人で小平在住のパラ卓球、佐藤泰巳(ひろみ)選手が合宿中の府中に応援ツアーを実施しました。

    

こちらが個人合宿して、頑張っている佐藤選手です。

   

場所はこちら。
倉庫をリフォームして卓球場にしたという「サンサン卓球広場」です。

   

   

佐藤選手はスパーリングパートナー、コーチと真剣にトレーニング中でした。
間近に見る佐藤選手の左腕からのドライブ、スマッシュは緊張感と迫力に満ちていました。
右半身に障がいがあり、右の握力はゼロに近いそうです。

パラ卓球クラス8のプロでかつては日本代表選手でしたが、東京パラリンピック出場資格を逃し、3年後のパリ大会を目指しているのです。
日本代表から外れているため、会社員ですが、合宿費用等は自費で賄わなくてはなりません。
そのことから、私たち市民プロジェクトは今年5月に佐藤選手の合宿費用のため募金活動を
しました。
そのご縁で佐藤選手が見学にどうぞと、この日の訪問になった訳です。

   

   

この青いネットは初めて見ました。
器械のように次々に打ち出される球を打ち返す、その球がネットに当たり中央にある穴から
白いカゴの中に入っていくのです。
ブルーのTシャツの方はコーチで、虫取り網を持っているでしょう?
これは虫ではなく、床に転がった球を集めるためのものです。
少人数でトレーニングできるよう、工夫されてるなあと感心しました。

感動の東京パラリンピックで、選手を支える方々も数多く紹介されましたが、
ここでも選手の夢にともに向かう人たちの姿がありました。
パリ大会代表を勝ち得るためのモチベーションを保っていくには、どれほどの汗が必要なのでしょうね。

心から頑張ってほしいと思いました。

市民プロジェクトの「2020こだいら」新聞で5月に載せた記事はこちらです。

   





   
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ギタリスト浅野孝己さんのご冥福をお祈りいたします

2020-05-13 22:57:58 | キラリ人

       
      「ガンダーラ」や「銀河鉄道999」で知られるゴダイゴのギタリスト、浅野孝己さんが急死なさったと昨夜のニュースで知りショックでした。

       小平の花小金井にお住まいで、以前は地元のカフェで定期的にライブを開いていらっしゃいました。

       その頃、丁度10年前にインタビューさせていただいたことがあります。


       


       カフェの2階で聴いたソロ演奏はアコースティックギターでもエレキでも変幻自在。

       ギターのことがわからなくても、とにかくスゴイ!とそのテクニックに感動したのを憶えています。


       ライブや音楽制作、新人のプロデュースなど幅広い分野で活躍なさっていました。

       23年前に中野から花小金井に転居し、取材時に「小平は緑が多くて空気が違う。揺れる葉に合わせて曲が作れる」と、
       言われたのが印象的でした。

       本当に穏やかで誠実に語られる方でした。

       「あんこが好き」という笑顔に、途端に浅野さんを身近に感じたものです。

       
       地元の音楽文化に多くの貢献をなさいました。

       どれほどの方々が突然の訃報に悲しんでいることでしょう。

       ギター一筋58年、天国でもどうぞみなさんを楽しませてください。


       心からご冥福をお祈りいたします。







       

       


       
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