都城市ホームページより
Wikipediaより
この建物、1966年に建てられた私のふるさと都城の旧市民会館です。
53年経た今見ても奇抜でしょう?
当時、初めて見たときは「ギョギョギョ!」でした。
瓦屋根の街並みに突如出現した恐竜の背中のように見えました。
そして、こんなどこにもない超モダンな建物がわが街にできたことが自慢でした。
ふるさと離れて幾年月、先日友人からこの建物が解体される運命にあることを聞き「ギョッ」としました。
慌てて調べましたね~都城のランドマークである市民会館のことを。
戦後を代表する建築家、故菊竹清訓氏の38歳の時の設計で、生物が息づくような印象を与えるメタボリズム(新陳代謝)建築の傑作と評価されています。
建築史の教科書に載っていて、近代建築保護に取り組む国際的な学術組織「DOCOMOMO」(本部・パリ)から日本の現代建築を代表する建築物として選定されているのです。
菊竹氏は大宰府の九州国立博物館などを手がけた方で、その事務所出身が伊藤豊雄氏、また、伊藤豊雄事務所にいたのが妹島和世さん。
二人ともプリツカー賞受賞の世界的建築家です。
妹島さんは小平の「なかまちテラス」(公民館と図書館の複合施設)を数年前設計、私は小平在住だった妹島さんのお母様と知り合いでしたから
それ以前にも2回取材させていただきました。
都城市民会館は老朽化のため2007年に新しい文化ホールができ、改修費用が多大とのことで当時解体が決められたとのこと。
しかし保存を望む声も多く、南九州学園へ20年間の無償貸与がなされましたが、一度も使われることなく1昨年末市へ返還された哀しいストーリーが・・・
市民会館は大ホールだけではなく、結婚式場もあり多くの市民の思い出の場所でもありました。
実際、私も結婚式は海外で(当時はしりの)挙げましたが、友人たちがここでパーティを開いて送り出してくれました。
ささやかだけど友情に満ち溢れた温かい集いでした。
その時、後に歌手になったK君がギター抱えて歌ってくれた、当時流行っていたはしだのりひこの「花嫁」の歌。
「花嫁は夜汽車に乗って嫁いで行くの~ (中略)帰れない何があっても海辺のまちに~」
北国へ旅立つ、期待と不安でいっぱいだった私は彼の力強い歌を聞いて胸が熱くなったことを想い出します。
私の背中を押してくれた、人生の出発の場所でした。
この建物は市民の暮らしと深く結びついた、土地の記憶なのです。
日本建築学会は保存を強く求め、会館再生活用計画を検討し大規模な耐震改修をせず8億円程度で再生できるとしています。
けれども昨年の市民へのアンケートでは8割が解体、2割が存続再生とのこと。
具体的な企業参画などがなければ、2月にも解体決定という危機に瀕しているといいます。
(ZOZOT0WNの社長さん、どうにかなりませんか?)
かつて小平を流れる玉川上水にも危機がありました。
当時は水が流れない空堀だったと思いますが「玉川上水にふたをして道路にしよう」という動きがあったそうです。
しかし、住民の力で辛くも守られ、その後下水処理水ながら水も流れるようになり、「玉川上水」を世界遺産にという声も聞こえてきます。
あの時、玉川上水が無くなっていたら? 先見性の大切さ、残してくれたくれた人々に感謝します。
市民会館の建物そのものとコラボさせたギャラリーにしたり、ふるさと納税日本一の拠点にしたり、或いはものづくりの人たちの工房群にしたり・・・
外で暮らす者の勝手な言い分かもしれませんが、取り壊すのはあまりにあまりに勿体ない。
有名な建築家の設計だから残そうというのではなく、唯一無二の「都城の風景」として誇り高く生きていてほしいと思う。
都城だけの宝ではなく、日本が世界に誇れる文化資産なのですから。
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