『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

カスミソウと猫

2020-04-30 14:51:17 | ネコ


         

         近所の農家の直売所に行ったら、カスミソウが売っていました。

         ピンクのカスミソウは桜の花びらに似ていて、飾ったらミニミニしだれ桜風になりました。

         
         そこへ、猫のミニがやってきます。

         彼女はどういう訳かカスミソウが大好きです。

         

         
         花の周りを一巡りして、午前中の定位置へ。

         

         日向ぼっこをしながら、のんびりと外を眺める毎日です。


         

         それに飽きたら、お昼寝・・・あ~ うらやましいなぁ~



         コロナ巣ごもり疲れを花と猫が癒してくれます。







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思い出のぐるっと多摩サイクリング

2020-04-28 21:56:18 | 忘れえぬ人々

       

       

       今から丁度17年前のこと。

       私が独立して一人で再スタートした最初の号でした。

       以前からやりたいと思っていた自転車特集で、その1年前に結成され注目していた「自転車スイスイ」の会の代表さんを取材しました。


       

       その時に会で月に1度実施しているサイクリングのことを知り、同行取材することになりました。

       私は車の免許を持っていないので、取材はいつも自転車のチャリ大好き人間です。

       が、この日は小平駅から立川の昭和記念公園まで往復するというので、ママチャリでついていけるか不安でした。

       「30キロの予定ですが、遅い人に合わせて走るのでママチャリでも大丈夫。ぜひ参加してください」

       「え~っ 30キロも!」とためらいつつも、事務局の方の言葉に乗せられ参加したのでした。


       この日の参加は5人、ロードバイクなどのサイクリストの方々に交じって、ママチャリは一人の女性と私のみでした。

       ナビゲーターのYさんを先頭に、5人の熟年自転車スイスイ隊が出発しました。

       新小金井街道から野川沿いを行き、貫井神社に寄って参拝。

       2月19日、快晴の早春の空の下で爽快なサイクリング日和でした。


       それから国分寺のお鷹の道に入り、万葉植物園を見学。

       その後、お二人が迷子になり、ナビゲーターが引き返すというハプニングもあり・・・

       府中街道を横断し、国立市へ入り谷保天満宮へ。

       梅の花が5分咲きでしたが、自転車はこういう寄り道ができるからからうれしい。

       国立は大学通りしか知らなかったけれど、郊外に乗馬クラブがあったり、田んぼが広がる風景に感激したものです。


       でも、何せママチャリ、迷惑かけずについていくだけで精一杯。

       「この自転車だとこんな坂道でも平気ですヨ~」と最後尾のガード役のTさんがおちゃめに追い越していくのです。

       出発から2時間半、ようやくランチタイムで立川のおそばやさんへ。

       ようやく落ち着いて、みなさんからお話しを伺うと・・・

       ナビゲーターのYさんは多い時で月に2000キロ走るという猛者。

       所持する自転車5台、前の年にはドイツのロマンチック街道を愛車で駆けたとか。

       一方、Tさんも利根川を銚子の河口まで360キロ走ったという方でした。

       お二人とも60代の入口を過ぎた頃で、第2の青春まっさかりのようでした。


       このようなスゴイ方々と一緒に走るなんて厚かましいこと、よくやったものです。

       昭和記念公園は塀だけ見て素通りし、帰りは砂川町から玉川上水緑道へ。

       美味しい鍋焼きうどんを食べて満腹なのと、睡眠不足のせいかウトウトしそうになったところへ、
  
       Yさんが横道にそれ、農家の梅の古木を見に行くことで気分転換させてくださいました。

       多摩のどんな路地にも精通なさっているYさんに感服したものです。


       終点の小平駅が見えた時はホントに本当にホッ。

       小平、小金井、国分寺、府中、国立、立川の6市を自分の足で駆けたのです。オドロキ!

       しかも交通費ゼロ、排ガスゼロ、運動量は私にとってマキシマム。

       メーターを覗いていたTさんが「距離36キロになってるよ。初めてにしちゃキツかったかな。ママチャリは30キロが限度だっていうから」。

       「ワ~ォ~ッ」


       こんな体験をさせてくださったみなさんのこと、今も忘れられません。

       独り立ちして不安な時期に次へのステップになった取材でした。


       

       あれから17年、YさんとTさんは80歳近くになられたでしょうか。

       きっと、今もカッコよく自転車に乗っていらっしゃるのでは?

       あの頃は私も元気いっぱいだったのだなあ、と懐かしく思い出します。

       今、36キロはムリ、ムリ、ム~リです。







       

       

       

       

     

       

       

       


       


       

       
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大きなタケノコをいただきました

2020-04-23 14:11:56 | 身辺雑記

         

        

        こんな大きなタケノコをいただきました。

        我が家の北側にある広い畑を仲間で農作している方からです。

        「雨が降って急にタケノコが出てきたんですよ」とニコニコと話されます。


        以前も玄関にドーンと大きなタケノコが置かれていて、贈り主がわからずあちこちに訊ねたことがあります。

        その方は近所に住んでいらっしゃるわけじゃないので。

        タケノコ掘りは昔、一度経験したのですが、力が必要で大変でした。

        だけど掘りたてのタケノコは柔らかくてホントに美味しい。

        ありがたく、旬の恵みを頂いています。

        

        
        この春、最初は八百屋さんで小さなタケノコを買い、1週間前は毎年いただく友人の庭から中ぶりのもの2個いただきました。

        そして今回は形も美しい大ぶりのもの。

        小中大のたけのこで煮物、炒め物、てんぷら、タケノコご飯などを作り、4月はタケノコ尽くしです。



        

        立たせてみたら底が平らではないので、グラグラ。

        ペットボトルはつっかい棒(?)です。









        
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忘れえぬ人・・・手製本の名人

2020-04-20 14:57:28 | 忘れえぬ人々

     stay homeの日々、これまで見て見ぬふりをしていた、細かい所の整理を少しづつやっています。

     ところが、懐かしい写真やモノが次々に出てきて、来し方に思いをはせる時間にとられてしまってはかどりません。

     大事にとっておいた、手製のハードカバー仕立てのノートも思い出に残るそのひとつです。


     

     絣地の2冊はタテ8㎝×ヨコ5.5㎝の豆本ならぬ豆ノートです。

     3冊ともハードカバーで頑丈に作られていて、勿体なくて26年経った今も使えずにいます。



     1994年、ほのぼのマイタウンの「腕一本に生きる~わが街の職人さん」特集を組んだ時のこと。

     

     知り合いの製本所社長のお父さんが一人で手仕事の製本をなさっていると聞き、取材に出向いたのでした。

     息子さんが経営している機械製本所の2階で、その方、篠崎興次さん(当時73歳)は和机の前で作業中でした。


     ところが、篠崎さんは挨拶しても、仕事の手を止めないばかりか顔も上げてくれません。

     やんわりと質問しても「うん」「ふ~ん」ばかり・・・

     職人さんは頑固と言われるけれど、これでは取材になりません。

     周りには誰もいないので、静寂が焦りとなって「ど、どうしよう?」状態。

     
     何か方向転換して、関係ないことを聞こうと「戦争中はどうなさっていたのですか?」と訊ねてみました。

     そうしたら、どうでしょう? 口を開いてくださったのです!

     うれしかったですね~

     それまでの様子とは打って変わって、兵隊時代のことについて堰を切ったように言葉があふれてきました。


     私が信用できる人間か試していらしたのかもしれませんね。

     「製本と名がつけば、何でもこなしちゃうね」

     この道60年、13歳の頃から製本工場で「ぶったたかれながら、仕事を覚えた」方でした。

     月刊誌を合本にしたり、図書館の百科事典の表紙(金の箔押しがあるような)や和綴じの製本も。

     表紙の材質がクロス紙であれ、革であれ、布であれ、何でもござれ。

     かける熱の具合がとても難しいそうですが、名人の手にかかれば寸分の狂いもなく美しく仕上がるのでした。


     

     「趣味? 趣味は仕事だよ。それしかねえの」

     と、記事の最後に書いています。


     私は最初のどぎまぎはどこへやら、ぶっきらぼうな中に職人さんの優しい心根を垣間見た楽しい取材になりました。

     「気にいった布があれば、何でも持ってきな。表紙にしてやっから」

     といいながら、屈託のない笑顔で渡してくださったのが、最初の3冊の豆ノートです。

     大・中・小と5、6冊、戴いたのですが、友人や孫にもあげて今、手元にあるのはこの3冊です。



     取材する方の中には、自分の半生を目いっぱい語りたい方も多く、なかなか本題に入れないこともありました。

     それだけに、この時の取材は忘れがたく、豆ノートとともに記憶が蘇ります。













     

     

     

     

     
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はぎれでクッションを作りました

2020-04-15 21:46:21 | 身辺雑記

     先週から取りかかっていた、パッチワークのクッションがようやく出来上がりました。


     

     

     オモテ側とウラ側です。

     サイズは40㎝×40㎝。

     昔、パッチワークにしようと買っていた古布がようやく日の目を見ました。

     紺色部分とウラ側はこれも以前、田無神社から戴いた手ぬぐい1本を全部使いました。

     数年ぶりのミシンが調子悪くて、手縫いとミシンで何とか仕上げました。


     不器用さにかけては誰にも負けないこの私が何十年ぶりかで、完成させたのですよ。

     手づくりするのが好き、布が大好きで、娘が小さい頃は簡単な洋服を縫っていたものです。

     でも、出来上がりは下手くそ!いつもガックリ!

     器用さというのは、夫を見ていて天性のものだと思います。

     いくら努力しても不器用人は「鮮やかな手さばきの人」にはなれないと諦めています。



     だから私の憧れはずっ~と「ものづくりの達人」。

     材料は何であれ、自分の手で売れるようなものを生み出せるという人は素晴らしい。


     整理をしていたら、もう30年位前の作りかけのパッチワークが出てきました。

     「あの頃も何か作りたいと手探りしていたんだなぁ~」と懐かしく、今も変わらぬ自分が可笑しくなって・・・

     「下手の横好き」だって自分が楽しむのだからいいじゃ~んと、たっぷり時間はあることだし、また作りますからね。







     


     

     
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