長崎の旅、2日目は長崎駅から島原へ。
諫早駅で島原鉄道へ乗り換え。
乗りたいと思っていた海岸線を行くローカル線です。
1両の可愛いワンマン車両です。
「おどみゃしまばらの~」で有名な「島原の子守唄」がボディに。
お天気を心配していたのに、曇り時々晴れ。秋の風景が車窓いっぱいに。
田園地帯が過ぎると有明海の海岸線を進みます。
海岸すれすれに小さな駅があって、黄色いハンカチ(?)がなびいていました。
始発の諫早駅から終点の島原外港まで24駅、1時間半位車窓を飽きることなく楽しみました。
一緒の席になった地元の方は毎週定期的にこの電車で病院に通っているとのこと。
日常の足としても使われ、乗客も少なくないのに路線の簡素な駅舎(というより電停のような)はボロボロになっている駅も多く、もったいないと思いました。
ローカル色豊かで海岸線を走るという観光資源、立派にしなくもいいけれど壊れた箇所は整備してもっとPRしてほしいもの。
フェリーで来た友人と島原外港で落ち合い、タクシーの運転手さんおすすめの島原城近くの店へランチに向かいました。
具雑煮の出汁に感激し、湧水の街を歩く
「姫松屋」は島原の郷土料理、具雑煮(ぐぞうに)の元祖の店。
金曜日でもランチ時は順番待ちでした。
これが具雑煮です(写真を撮るのを忘れてしまいお店のパンフレット写真から)。
今からおよそ350年前、島原の乱で総大将天草四郎の一揆軍が原城籠城の際、もちを兵糧として山海の材料を集めて雑煮を炊き、
約3か月間も戦ったことに由来するそうです。
小さな土鍋の上に小ぶりの丸餅が5個も載って、鶏肉、根菜類、椎茸、焼き穴子、それにこうや豆腐が入っています。
最初に澄んだ出汁をレンゲですくってみて、その美味しさに唸ってしまいました。
何と表現したらいいのか。魚介と具材とが混ざりあった複雑でやさしい旨味というか、老舗の伝統の味でしょうね。
この日のホテルでの夕食、雲仙のホテルでも具雑煮が出ましたが、具材は同様でも出し汁は違うものでした。
島原城は空に向かって建つ白亜の美しい城です。
五重の天守を持ち、内部は史料が展示してあり、中でもキリシタン弾圧に対して起こった島原の乱や数々のキリシタン関連の遺産には目を引かれました。
実物の踏絵や隠れキリシタンの遺物など、他では見られないものでした。
午後2時頃だというのに、きれいなアーケードの商店街には人影なし。
地方都市が抱える現実でしょうか?
アーケードの通りにに似つかわしくない古い木戸を開けて入ると、そこは「しまばら水屋敷」。
明治時代の豪商の家をそのまま残し、湧水の池がある喫茶処になっています。
和洋折衷の木造の家
澄んだ湧き水の池では亀さんが甲羅干し中
ご夫婦二人で営んでいて、入ると注文所があり先に支払って池を見下ろすお座敷で待ちます。
かんざらし(白玉団子)あずきを食べて、まったりひと休み。
2階は招き猫のコレクション展示室になっています。
ご夫婦が趣味で長年集められたもの。その数1000個以上だとか。
スタンダードな招き猫から作家の手になる招き猫まで、チャーミングな猫たちであふれています。
島原市内には60カ所もの湧水があるそう。
街中のそこかしこに清らかな、飲める水が湧いていて羨ましいほどの水のまちです。
1792年の雲仙岳噴火と群発地震の地殻変動で誘発されて、水の湧出が始まったといわれています。
通りの水路にも鯉が泳いでいます。
こんなに大きい鯉も。さすがに“鯉の泳ぐまち”のキャッチコピー通りです。
「湧水庭園四明荘」「しまばら湧水館」も民間人の古い日本家屋を残し、湧水の庭の佇まいを楽しめます。
元祖かんざらし伝説の甘味処「銀水」を訪ねて
私が島原に関心を持ったのはもう20年以上も前、かんざらしをタイル張りの水槽で冷やし作っているおばあちゃんをテレビで何度か見てからでした。
こんな素朴な味を食べてみたい、素敵なおばあちゃんに会ってみたいと思っていましたが、もう今は店もないだろうと諦めていました。。
ところが島原港の観光案内所にあったチラシに、その店「銀水」が昨年20年ぶりに復活したとあったのです。
銀水は街から離れた奥まったところにあるので、道行く人に訊ね訊ねて夕刻ようやくたどり着きました。
「浜の川湧水」という地元の人たちが生活用水として使う洗い場の隣に、銀水はありました。
市内でも有数の浜の川湧水
共同の洗い場は今も地域の人々が使い、4つの区画に区切られています。
気持ちよく使えるよう洗い場の場所のルールが決められています。
銀水のかんざらしもこの浜の川湧水を使って作られているのです。
2代目の田中ハツヨシさんの死去後20年空き家になっていた店を市が買取り、当時のままに改装しました。
店内にあるジュースなどを冷やすタイル張りの水槽も当時のまま。
大正4年から変わらないかんざらし。蜜は数種類の砂糖をブレンドして作ります。
島原名物になった「かんざらし」は白玉粉で作った団子を島原の湧水で冷やし、特製の蜜をかけたもの。
ころころとした小さな団子は手で一つ一つ丸めるそうです。
私もよく白玉団子を作りますが、みんな形も大きさも不揃いにしかできません。
水屋敷でさっき食べたのに、元祖の味はスルーする訳にはいきません。
蜜が甘すぎず上品で、団子とともに喉越しよく、いくらでも食べられる味でした。
こんな単純で素朴なものこそ作るのが難しいのでは?
私がテレビで見た田中ハツヨシさんは人情味あふれる接客の名物おばあちゃんだったそうで、
著名人にもこの店のファンが多く、杉村春子が公演で島原に来た時は必ず「公演が終わったら行くから、かんざらしを取っておいて」と
電話予約が入っていたとか。
この店の運営を任されている地域おこし協力隊の女性に訊くとハツヨシさんは「私が死んだらこの店をたたんで」とレシピを何も残さなかったそうです。
店内に残っていた原材料の空袋などから当時の仕入れ先を探すなどして、「伝説の味」再現に苦労したのだそうです。
歩き疲れたけれど、本物に出合えて本当によかった!島原はステキなところでした。
銀水へ行く途中で、もう10月なのにしめ飾りがある旧家の入口。この隣の家も同じでした。
これはキリシタン弾圧時にキリシタンではないことをアピールした習慣が残ったものと言われています(諸説あり)。
ホテルの庭にはヤギや茶色のウサギがいました。エサをおねだり中。