『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

長崎への旅 島原は湧水と「かんざらし」のまち

2017-10-31 01:17:00 | 旅行


     長崎の旅、2日目は長崎駅から島原へ。

     諫早駅で島原鉄道へ乗り換え。

     乗りたいと思っていた海岸線を行くローカル線です。


            
            1両の可愛いワンマン車両です。

            
            「おどみゃしまばらの~」で有名な「島原の子守唄」がボディに。


            
            お天気を心配していたのに、曇り時々晴れ。秋の風景が車窓いっぱいに。

            
            田園地帯が過ぎると有明海の海岸線を進みます。

            
            海岸すれすれに小さな駅があって、黄色いハンカチ(?)がなびいていました。

     
     始発の諫早駅から終点の島原外港まで24駅、1時間半位車窓を飽きることなく楽しみました。

     一緒の席になった地元の方は毎週定期的にこの電車で病院に通っているとのこと。

     日常の足としても使われ、乗客も少なくないのに路線の簡素な駅舎(というより電停のような)はボロボロになっている駅も多く、もったいないと思いました。

     ローカル色豊かで海岸線を走るという観光資源、立派にしなくもいいけれど壊れた箇所は整備してもっとPRしてほしいもの。

     フェリーで来た友人と島原外港で落ち合い、タクシーの運転手さんおすすめの島原城近くの店へランチに向かいました。


     
     具雑煮の出汁に感激し、湧水の街を歩く

     「姫松屋」は島原の郷土料理、具雑煮(ぐぞうに)の元祖の店。

     金曜日でもランチ時は順番待ちでした。

  
           


     これが具雑煮です(写真を撮るのを忘れてしまいお店のパンフレット写真から)。

     今からおよそ350年前、島原の乱で総大将天草四郎の一揆軍が原城籠城の際、もちを兵糧として山海の材料を集めて雑煮を炊き、

     約3か月間も戦ったことに由来するそうです。

     小さな土鍋の上に小ぶりの丸餅が5個も載って、鶏肉、根菜類、椎茸、焼き穴子、それにこうや豆腐が入っています。

     最初に澄んだ出汁をレンゲですくってみて、その美味しさに唸ってしまいました。

     何と表現したらいいのか。魚介と具材とが混ざりあった複雑でやさしい旨味というか、老舗の伝統の味でしょうね。

     この日のホテルでの夕食、雲仙のホテルでも具雑煮が出ましたが、具材は同様でも出し汁は違うものでした。



           

            


     島原城は空に向かって建つ白亜の美しい城です。

     五重の天守を持ち、内部は史料が展示してあり、中でもキリシタン弾圧に対して起こった島原の乱や数々のキリシタン関連の遺産には目を引かれました。

     実物の踏絵や隠れキリシタンの遺物など、他では見られないものでした。


                  
                   午後2時頃だというのに、きれいなアーケードの商店街には人影なし。
                   地方都市が抱える現実でしょうか?

     アーケードの通りにに似つかわしくない古い木戸を開けて入ると、そこは「しまばら水屋敷」。

     明治時代の豪商の家をそのまま残し、湧水の池がある喫茶処になっています。

           
            和洋折衷の木造の家

           
            澄んだ湧き水の池では亀さんが甲羅干し中

     ご夫婦二人で営んでいて、入ると注文所があり先に支払って池を見下ろすお座敷で待ちます。

     かんざらし(白玉団子)あずきを食べて、まったりひと休み。

     2階は招き猫のコレクション展示室になっています。

     ご夫婦が趣味で長年集められたもの。その数1000個以上だとか。

            

            
             スタンダードな招き猫から作家の手になる招き猫まで、チャーミングな猫たちであふれています。




     島原市内には60カ所もの湧水があるそう。

     街中のそこかしこに清らかな、飲める水が湧いていて羨ましいほどの水のまちです。

     1792年の雲仙岳噴火と群発地震の地殻変動で誘発されて、水の湧出が始まったといわれています。


            
            通りの水路にも鯉が泳いでいます。

            
            こんなに大きい鯉も。さすがに“鯉の泳ぐまち”のキャッチコピー通りです。

     「湧水庭園四明荘」「しまばら湧水館」も民間人の古い日本家屋を残し、湧水の庭の佇まいを楽しめます。


    
     
     元祖かんざらし伝説の甘味処「銀水」を訪ねて     


     私が島原に関心を持ったのはもう20年以上も前、かんざらしをタイル張りの水槽で冷やし作っているおばあちゃんをテレビで何度か見てからでした。

     こんな素朴な味を食べてみたい、素敵なおばあちゃんに会ってみたいと思っていましたが、もう今は店もないだろうと諦めていました。。

     ところが島原港の観光案内所にあったチラシに、その店「銀水」が昨年20年ぶりに復活したとあったのです。

     銀水は街から離れた奥まったところにあるので、道行く人に訊ね訊ねて夕刻ようやくたどり着きました。

     「浜の川湧水」という地元の人たちが生活用水として使う洗い場の隣に、銀水はありました。


            
            市内でも有数の浜の川湧水

           
            共同の洗い場は今も地域の人々が使い、4つの区画に区切られています。

           
            気持ちよく使えるよう洗い場の場所のルールが決められています。

     銀水のかんざらしもこの浜の川湧水を使って作られているのです。

           
            2代目の田中ハツヨシさんの死去後20年空き家になっていた店を市が買取り、当時のままに改装しました。

           
            店内にあるジュースなどを冷やすタイル張りの水槽も当時のまま。

           
            大正4年から変わらないかんざらし。蜜は数種類の砂糖をブレンドして作ります。


     島原名物になった「かんざらし」は白玉粉で作った団子を島原の湧水で冷やし、特製の蜜をかけたもの。

     ころころとした小さな団子は手で一つ一つ丸めるそうです。

     私もよく白玉団子を作りますが、みんな形も大きさも不揃いにしかできません。

     水屋敷でさっき食べたのに、元祖の味はスルーする訳にはいきません。

     蜜が甘すぎず上品で、団子とともに喉越しよく、いくらでも食べられる味でした。

     こんな単純で素朴なものこそ作るのが難しいのでは?


     私がテレビで見た田中ハツヨシさんは人情味あふれる接客の名物おばあちゃんだったそうで、

     著名人にもこの店のファンが多く、杉村春子が公演で島原に来た時は必ず「公演が終わったら行くから、かんざらしを取っておいて」と

     電話予約が入っていたとか。

     この店の運営を任されている地域おこし協力隊の女性に訊くとハツヨシさんは「私が死んだらこの店をたたんで」とレシピを何も残さなかったそうです。

     店内に残っていた原材料の空袋などから当時の仕入れ先を探すなどして、「伝説の味」再現に苦労したのだそうです。

     歩き疲れたけれど、本物に出合えて本当によかった!島原はステキなところでした。



            
             銀水へ行く途中で、もう10月なのにしめ飾りがある旧家の入口。この隣の家も同じでした。
             これはキリシタン弾圧時にキリシタンではないことをアピールした習慣が残ったものと言われています(諸説あり)。


            
             ホテルの庭にはヤギや茶色のウサギがいました。エサをおねだり中。







     

     
                 



     
    
     

            

 


          

     

     



     



     

            



     

     
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小平市青少年音楽祭

2017-10-30 00:28:46 | 講演会・催し


      10月29日、ルネこだいらへ「小平市青少年音楽祭」に行って来ました。

      今年で29回になるそうです。

      小平市は“吹奏楽のまち”と称されるくらい、全国大会で過去何度も金賞をとった中学があり、

      高校もともに吹奏楽のレベルが高い街です。


      今回の音楽祭は小学校から高校までの合唱団や音楽クラブ、地域で活動するバンドや音楽サークルなど18組が出演。

      日頃の練習の成果を発表しました。


           
            小平第八小学校の器楽クラブの演奏。「負けないで」「花束を君に」よかったです。
            4年生から6年生までの女子ばかりのようでした。


            
            小平第七小学校の放課後子ども教室の吹奏楽部。
            3年生から6年生まで月に5回練習しているそうです。


      運動会もそうですが、子どもたちのひたむきな姿には心打たれますね。

      あんなに小さいのにトランペットもクラリネットも、アコーディオンまで上手に演奏できて感動します。

      指導の先生の熱意が伝わってきました。



           
           ロビーには市内の中学校、高校の生徒から募集したPRポスターの原画が展示してありました。
           中央のリボンがついたイラストがプログラムにも使われていました。







      【まちかど情報】
       ◆みこしプロジェクト第4弾「遊び声がきこえる街に」
       子どもの「あそび」と大人の「あそび心」が地域を育む

       11月5日(日)13:30-16:15(13時より受付)
       小平市福祉会館4階小ホール
       ・基調講演 西川正さん(コミュニティワーカー NPO法人ハンズオン埼玉理事)
       ・事例紹介 NPO法人こだいら自由遊びの会
             ここぷらっと~こだいら・こども・こそだてプラットフォーム~
       ・おしゃべりティータイム(参加者でフリートーク)
       参加費無料 定員80名(当日会場へ 先着順)

       (問合せ)みこしプロジェクト事務局 090-5316-4180 info@kodaira-shimnet.jp

       


       

       

          







       
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山本萠さんの個展

2017-10-28 01:31:38 | 講演会・催し


      長崎旅行の島原編を続ける予定でしたが、今日素敵な個展に行ってきましたのでこちらを先にご紹介しましょう。

      毎年NMCギャラリーの年末チャリティ美術即売展で、書家の山本萠(もえぎ)さんの作品を見ては何と粋で素晴らしい、と感じていたのですが、

      ようやくその個展を観にNMCギャラリー(小平市小川西町)へ行ってきました。



          
          掛け軸以外は額装も山本萠さん自身の手によるもの。

          
          毎年作られるカレンダー。クレパスで描かれた来年のカレンダー原画です。


      山本萠さんは書家であると同時に、画も描かれ、モノクロの写真も撮られ、詩もエッセイも書かれるマルチな才能の持ち主です。

      所沢の古い家で猫ちゃんと暮らし、著書によると携帯もパソコンも持たない日常の中で、好きなものに囲まれ創作に励んでいらっしゃいます。

      小学生の頃から絵を描くのが好き、お習字も好きで自ら習いたいと18歳まで書道の先生につきましたが、以後は独力で書の道を歩んだそうです。

      どんなに経済的に苦労しても、好きな道を決して棄てなかったという萠さんの静かな語り口の中に、強い意志力を感じました。


          
          作品の前で山本萠さん



      好きな詩を書で自由に表現し、それをどういう色合いの額とマッチさせるかが一苦労なのだとか。

      さまざまな布を広げ、その上に書いたものを置き試行を繰り返すのだそうです。

      古代柄と無地を組み合わせたもの、下の写真のように大胆なストライプなど多彩な色合いが書とハーモニーを奏でます。

      その組み合わせの妙が現代的で書とともに楽しめ、和室、洋室どちらにも合います。


           

                      


      ギャラリー内には書・画・写真に加えて蒐集したやきものなど、山本萠さんの美の世界が広がっています。

      もっと萠さんのことが知りたくて、エッセイを1冊求めました。


                    
                    『椅子の上の時間』 発行所:書肆夢ゝ 1600円


      

      10月31日(火)まで NMCギャラリー&スタジオにて開催中
      小平市小川西町4-14-27(小川駅西口徒歩3分) tel:042-346-7300




      


      





      
      
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長崎への旅 電車で市内巡り

2017-10-26 02:36:07 | 旅行

      グラバー園内に西洋料理発祥の碑

      10月19日から22日、3泊4日で長崎、島原、雲仙への旅。

      長崎は一人ブラブラ歩き、翌日島原港で旧友と落ち合い、島原と雲仙の温泉を楽しんできました。

      1昨年の冬、弟たちとハウステンボスと佐世保に行ったのですが、長崎市内は4年ぶりでしょうか。

      その時は軍艦島クルーズとオランダ坂や思案橋界隈を歩いただけ、今回はホテルがグラバー園に近いところだったので、

      グラバー園からが旅のスタートでした。


      長崎空港からリムジンバスを降り、ホテルへ向かう道すがらも坂本龍馬が英イカルス号事件裁判に立ち会ったという「運上所」跡(現在は市民病院)の碑や

      トーマス・グラバーが英国製の蒸気機関車を走らせたという「我が国鉄道発祥の地」の碑があり、のっけから歴史を感じさせます。


      何十年ぶりかのグラバー園。昔いとこがこの近くに住んでいたので何度か来たことがありました。

      スカイロード(斜面を移動するエレベーター)で入口まで登りましたが、坂の上に住む地元の人々の生活手段でもあるようで、

      「これができてから買い物が楽になりました」と言っていました。


          

          

      第2ゲートの入り口から坂を下りて行くと、「旧自由亭」の喫茶室があります。

      その横にあるのが「西洋料理発祥の碑」。

      今月初め「草乃会」での「食文明の衝突」の資料にこの碑の写真がありましたので見たいと思っていました。

      日本の「西洋料理の父」と言われる草野丈吉(1840-1886)が明治11年諏訪神社下に「自由亭」という西洋料理店を開業。
    
      その建物を移築したものです。

      草野丈吉は出島のオランダ商館で西洋料理を学び、その後自宅を改装し「良林亭」という日本で最初の西洋レストランを開きました。

      客の中には五代友厚や小松帯刀、伊藤博文などの志士がいたそうです。

          

          

          

      店内は誰もお客はいなくて、私一人。窓から港の風景を眺めたり、古い調度品に目を奪われたり~。

      コーヒーとカステラで贅沢な時間を過ごしました。


          
          
          旧リンガー住宅 慶応3年(1867)頃に建てられたバンガロー風の建物。
          リンガー(1838-1907)は三階建てのレンガ造り「ナガサキホテル」を開業。
          各部屋に電話や冷蔵庫が設置され当時東洋一壮大なホテルと言われたそうです。

          
          旧オルト住宅 元治元年(1864)頃建てられた石造りの洋館。
          緑に囲まれた美しい建物でした。
          オルト(1840-1908)は長崎から日本茶を世界に広めた人物。
          「イカルス号事件」の際、疑いがかけられた海援隊の無実を訴えるため、岩崎彌太郎と共にイギリス領事館へ赴いたそうです。


          

          

          

       世界遺産に登録された旧グラバー住宅。文久3年(1863)に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築。

       外観は日本瓦と土壁、室内は典型的な西洋風の造りで150年前の西洋料理が再現されていました。

       トーマス・グラバー(1838-1911)はスコットランド出身の貿易商人で、明治日本の産業近代化に多大な貢献をした人。

       長州藩の伊藤博文ら5人や薩摩藩の五代友厚ら19名の訪英を手助けしたそうです。

       また、現在のキリンビールの前身「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を設立したことを初めて知りました。

       住宅内には麒麟のモデル彫刻が展示されていました。


          

                  


       東京は大雨だったの長崎は時折薄日が差すお天気が快適でした。。

       港を見下ろす丘に変化に富む石畳の道、やはり長崎は幕末の最先端の街であったと感じつつ歩きました。




       修学旅行生であふれる眼鏡橋と出島

           

           

           

       眼鏡橋は修学旅行生で賑わっていました。

       SNS用の写真撮影か、高校生たちがいろいろなポーズを決めていました。

       石垣にはハート型の石が埋め込まれているので、皆探しているようでしたが上からも見えましたよ。

       沖縄からの中学生グループに遠慮がちに道を訊かれました。

       「ここに行きたいのですが、どう行けばいいですか」と地図を広げながら。

       私が降りた賑橋電停だったので教えられましたが、素朴で可愛い子どもたちでした。


           

           

       眼鏡橋奥の橋の欄干や擬宝珠(ぎぼし)に白や朱色のひも状に巻かれたものがあったので、「何だろう」と思い、近くの店のおじさんに訊ねると

       「アートプロジェクトとかいったかな、橋に芸術家がやったの。さすがに眼鏡橋は遠慮したそうだよ。オレは興味ないからよく知らないけどさ」と。

       反対側に説明板を見つけました。

       「ニット・インベーダーin長崎」というタイトルで、アーティストが寺の多いこの地域の橋に5色の毛糸を編み包み非日常的な景色を創出したのだとか。
 
            
                                

                     

       名物のチリンチリンアイス売り。

       おねえさんが器用にさっさとバラの形にしてくれました。

       シャーベットのようなあっさり味で150円と安い。



       
          
    
          


       出島は地元小学生の見学も多く、大賑わいでした。

       2000年から始まった復元事業で昨年16棟の街並みが甦り、今年は表門橋が完成するそうで未だ工事中のようでした。

       印象に残ったことは徳川幕府の命により、長崎の有力な町人が出資して出島が築造されたこと。

       当時貴重だった砂糖が台湾やインドネシアから輸入され、長崎と砂糖は深く結びつき、長崎と小倉を結ぶ長崎街道には

       カステラや大村寿司、小城羊羹などの砂糖文化が生まれたことに納得。

       現在はシュガーロードと呼ばれているとか。


          

          
           出島の中にミニ出島もできていました。





       歩き疲れてクタクタ、前回も訪ねた「吉宗」で茶碗蒸しと蒸し寿司(食べきれないほど)を食べてホテルに戻りました。

          

       


     





       

       


          

  






      

      




      
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3回日延べの運動会ようやく開催

2017-10-18 20:35:50 | 街あれこれ


    待ちに待った小学校の運動会は秋晴れ!


         


    10月14日開催予定だった小4の孫娘の運動会。

    長雨のため土曜、日曜、火曜と3回日延べになり、水曜日の今日こんな真っ青の奇跡のような空になりました。

    爽やかな秋晴れ、この上ない運動会日和でした。

  
        
        1年生の「チェッコリ玉入れ」
        踊りながら、音楽が止むと玉入れ競争。
        2年生以上も先生方も踊って楽しいプログラム。

        
        3,4年生のリレー。応援団が熱い!

        
        3年生の「Go!Go!フラッグ」
       
        
        恒例の全生徒による「大玉送り」みんなの歓声が響きます。

        
        5年生のエイサー。後半は「海の声」にのせて、ステキでした。



    子どもたちの一所懸命な姿には毎度のことながらジーンときます。

    「いじめのない楽しい毎日でありますよう」「あなたたちの未来が平和な世の中でありますように」

    大げさでなく、心からそう祈ってしまいます。



    校庭で見つけた秋

        
         キンモクセイもコスモスも久しぶりの青空にうれしそう。

        

        
         こちらは夏の名残り?ヘチマもまだがんばっていました。



    
    









    



     

      


         


         

    

    
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