箕面里山のブログ part2

 里山歩きと山野草のことなど_猪名川町大日山よりみる北西の山やま

鳥飼仁和寺大橋を眺めてから鳥飼牧跡へ

2024年06月05日 | 番田井路・鳥飼水路等
鳥飼仁和寺大橋の斜張ハープの左に見える生駒山(見出しの画像)は、箕面
から眺める姿と少し違って見えました。

摂津市鳥飼は鳥飼牧跡、鳥飼の渡し、淀川築堤千本つき歌碑など多くの
史跡や見所があります。(2020.01.26)


鳥飼五久BSから淀川方向に歩くと「実正(さねまさ)樋」が…
樋門石の上に木板に青い字の説明がありましたが、読みずらいので以下に。
判読困難な四、五か所は、それらしき語句をあてがいました。
大意は伝わると思います。

樋とは川から用水を取り入れるか、あるいは悪水灌漑の類の不用水を排水
する目的で川の堤をくり抜き樋管を通したものである。
実正樋が開設され、淀川の水を農業用水として利用するようになった。
年代は不明である。「さねまさ樋のくち(口)つかせたて」(高槻市葉間家
文書)の書状が十六世紀中頃のものと推定されるところから、既にこの頃に
あったと思われる。
これが実正樋が全国で最も古い樋門の一つとされている理由である。
明治年間になってからも、ここから水が尼崎方面迄送られ、その役割の大き
さがうかがえる。
この樋門は長い間たびたび改修され、昭和三年に改修されたのを最後に三島
江(鳥飼在)に統合樋門が開設された昭和三十五年に廃止された。
この時、鳥飼上一丁目の淀川堤に使用されていた樋門石がこれである。
                  平成元年四一日 摂津市教育委員会


 鳥飼(養)の渡し場の説明板、石碑などの遺跡はありません。


千本つき歌碑


 説明石碑(下の部分不鮮明、文字をなぞって上書き)


堤防から見下ろすと藤森神社一の鳥居と常夜灯が見えました。
藤森神社は工事中なのでパス、鳥飼(養)牧跡に向かいました。


鳥飼(養)牧跡の石碑と説明板、石碑には「此付近右馬寮鳥飼牧址 」と


 鳥飼(養)牧跡



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