hiyamizu's blog

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昔の高層ビル

2006年12月16日 | 昔の話

浅草12階
昔の高いビルと言って思い出すのは、浅草12階である。と言っても関東大震災で壊れたので、写真しか見たことはない。
明治23年(1890)に出来た凌雲閣(通称を12階)は浅草にあって、当時東京市中(東京は市でした)を一望できる最も高い建物だった。高さ67m、10階までは八角形のレンガ造りで、その上の11,12階は木造で、8階まで日本最初の電動式エレベーターがあった。大正12年(1923)の関東大震災で壊れた。

白木屋ビル
1932年12月にクリスマス・イルミネーションが原因で火事になり、14名の死者を出す日本初の高層建築物火災となった。
「当時の女子従業員は和服で、下着を着けていなかった。このため、裾の乱れを気にしてロープによる救助に躊躇したことで犠牲者を増やした。この白木屋火事を契機として女性がパンティをつけるようになった」という説があり、私もこの噂を信じていた。しかし記録によると1人を除いて犠牲者は全て転落死だったことに加え、多くの従業員が消防士の救助で助かっているなどこの説には疑問が多い。(フリー百科事典、ウィキペディア(Wikipedia)による)
私はもちろんこの事件のときには生まれていないが、かって日本橋交差点にあった歴史ある白木屋百貨店は知っている。いろいろ騒動があり、結局、東急百貨店に吸収された。

霞ヶ関ビル
関東大震災の教訓から東京では建築基準法により31mという高さ制限があったが、昭和37年に改正され高層ビルが建てられ始めた。
日本最初の超高層ビルと言われている。地上36階、地下3階、地上高147mで、昭和43年4月にオープンされた。
私は霞ヶ関ビルの35階の東京會舘で結婚式をしたのだが、当時は遠くからでも良く見える目立つビルだった。最近はビルの谷間に埋もれている。

その後の日本一の高層ビル
1970年、世界貿易センタービル(163m):浜松町駅前にある。9・11で崩壊したWTCと同じ名前だ。

1971年、京王プラザホテル(170m):新宿西口には小学校の見学で行った淀橋浄水場があった。その跡に建てられ、西口高層ビル群のさきがけとなった。

1974年、新宿住友ビル(210m):東京副都心計画による最初のビルで、住友三角ビルと言っていた。入口から入るとかなり高層まで吹き抜けになっていて、なんて無駄のことをするのかと思った。

1978年、サンシャイン60(240m):新宿に負けず池袋が日本一になった。

1991年、東京都庁・第一本庁舎(243m):あんなに表面が凸凹で窓拭きはどうするのかと思っていたが、やはり維持費が大変なようだ。

1993年、横浜ランドマークタワー(296m):現状で日本一の高さ。ランドマークというように東京の西のはずれの方からでも良く見える。横浜ロイヤルパークホテルからの横浜港の夜景は見事だ。69階の展望フロアに行くエレベーターは最大分速約750m(当時世界一)だが、昔のエレベーターと違って加速するときも少しも不快ではない。

なお、2000年に代々木にニューヨークのエンパイヤ・ステートビルに似たNTTドコモ代々木ビル(240m)ができたが、ビル自体は27階しかなく、それ以上は電波塔になっている。

今後の高層ビル建設としては、2010年の完成を目途に338mのオフィス棟が新宿西口にできるらしい。また、2011年に押上に完成予定の新東京タワーは、高さ約610mだそうだ。

世界一の高いビルの経緯は次のようになっている。
1930年、クライスラービル、米国・ニューヨーク、319m
1931年、エンパイア・ステートビル、米国・ニューヨーク、381m
1974年、ワールドトレードセンター、米国・ニューヨーク、417m
1974年、シアーズ・タワー、米国・シカゴ、442m
1997年、ペトロナスツインタワー、マレーシア・クアラルンプール、452m
2004年、台北国際金融大楼、508m


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