岩井圭也著『われは熊楠』(2024年5月13日文藝春秋発行)を読んだ。
カテゴライズ不能の「知の巨人」、その数奇な運命とは
「知る」ことこそが「生きる」こと
研究対象は動植物、昆虫、キノコ、藻、粘菌から星座、男色、夢に至る、この世界の全て。
博物学者か、生物学者か、民俗学者か、はたまた……。
慶応3年、南方熊楠は和歌山に生まれた。
人並外れた好奇心で少年は山野を駆け巡り、動植物や昆虫を採集。百科事典を抜き書きしては、その内容を諳んじる。洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばし、広大無辺の自然と万巻の書物を教師とした。
希みは学問で身をたてること、そしてこの世の全てを知り尽くすこと。しかし、商人の父にその想いはなかなか届かない。父の反対をおしきってアメリカ、イギリスなど、海を渡り学問を続けるも、在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ることがないのだった。
世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、学者としての栄光と最愛の息子との別離……。
野放図な好奇心で森羅万象を収集、記録することに生涯を賭した「知の巨人」の型破りな生き様が鮮やかに甦る!
南方熊楠(みなかた・くまぐす)は、1867年和歌山市に生まれ、子供の頃から野原を歩いて動植物の採取に熱中していて「天狗」(てんぎゃん)と呼ばれていた。両替商、金物屋を営む豊かな商家の次男に生まれたが、商売に興味が持てず、「我(あが)は、この世のすべてを知り尽くしたい」と願っていた。
東京の大学予備門の合格したのは良いが、19歳の時、強烈な脳病に襲われ、和歌山に帰った。アメリカの農学校に入ったが、講義が嫌いで直ぐ辞めて、25歳になってからロンドンへ渡った。独学で「東洋の星座」に関する論文を書いて「ネイチャー」掲載された。伝手を頼って大英博物館へ出入りし、手つかずの東洋美術の目録作りを依頼される。しかし、トラブルを起こし、日本へ帰り、和歌山県田辺で隠花植物(花を持たない植物の総称)の採取・研究に入れ込んだ。
南方熊楠は、生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文が掲載されるなど、国内外で大学者になったが、生涯を在野で過ごした。6か国語に通じ、博覧強記で、先進的業績、膨大な採取資料を残したが、癇癪もち、変わり者で、奔放自由で純粋な生き方を貫いた。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)
在野の学問の巨人、変人の熊楠の生涯を要領よく描いている。328頁と大部で、巻末の参考文献は40数冊を数えるが、彼の全容を捉えたているとは言えないし、私には熊楠が分かったという気はしない。なにしろ世界を股にかけた巨人なので、やむを得ないだろう。
日本人離れした、まさに在野の学問の巨人が明治の世にはいたことをもっと若者には知ってもらいたい。
岩井圭也(いわい・けいや)
1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。
2018年『永遠についての証明』で野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー
2023年『完全なる白銀』で山本周五郎賞候補、『最後の鑑定人』で日本推理作家協会賞候補
2024年『楽園の犬』で日本推理作家協会賞候補
2024年『われは熊楠』直木賞候補
その他の著書に『水よ踊れ』『生者のポエトリー』『付き添うひと』『暗い引力』「横浜ネイバーズ」シリーズなど多数。24年5月、刊行。
熊楠の人生って面白いことがありすぎて、全部書きたくなっちゃう。孫文と仲が良かったとか、アメリカへ留学していた頃、旅先のキューバでサーカス団についていったとか、伝説には事欠かない。彼の身に起きたことを順番に書くだけで十分に面白いので、小説としての切り出し方が難しいんです。
以下、私のメモ
粘菌:不定形の痰のような変形体の時期には、自ら動き回ってバクテリア等のエサを捕食する。周囲に食物がなくなると、小型のきのこのような形状の子実体(しじつたい)に変化し、胞子を撒き散らし、また変形体になる。