hiyamizu's blog

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水谷竹秀『脱出老人』を読む

2015年12月22日 | 読書2

 

 

水谷竹秀著『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(2015年9月20日小学館発行)を読んだ。

 

 2010年、一人暮らしの単独世帯が1678万世帯、夫婦と子供の世帯より多くなった。65歳の高齢者は2012年に4人に1人、2035年には3人に1人になる。

 

フィリピン人女性を追いかけて金を使い果たし、捨てられて無一文でフィリピンで暮らす「困窮邦人」の失意の日々を取材、執筆した『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で開高健ノンフィクション賞を受賞した。

 

近年は、日本からの移住者、とくに高齢者たちが年々増え、その取材から日本の高齢化社会の問題が浮かび上がってきた。3年間かけて取材した人数は100人超え、そこには波乱万丈の人生があった。

 

登場する高齢者たちの事情は様々だが、「寂しさ」「貧困」「人間関係の閉塞感」「寒さ」「介護疲れ」「ゴミ屋敷」など日本での苦しい状況から「日本脱出」というアクションを起こしている。その結果は、世間的には失敗という人のほうが多いが、それでも一瞬は南国の幸せを味わっている。

 

 

 

中澤さんはタクシー運転手だった2000年頃、フィリピンクラブの女性から「田舎の女の子を紹介してあげようか」と持ちかけられ、50歳目前でシキホール島まで足を延ばし、18歳の子を紹介される。結婚を決意し、日本へ戻り、半年後に彼女を日本に迎える。65歳までの中島さんの年金は月額12万円なので、生まれた子どもと3人でフィリピンで暮らすため、妻と息子をセブ島に送り、自宅建設のため送金を始めた。妻は他人の子供を産んでいたため、離婚したが、つぎ込んだ金額は500万円になっていた。

中島さんはセブ島で若いフィリピン女性のナンパを始めた。200人もデートして現在の妻25歳と結婚した。彼女は「本当は年寄りとは結婚したくなかったけど、今では良かったと思っている」と語る。中島さんは「私のような貧乏人は途上国の方がええんとちゃいますか。いざとなったら帰国する人もおるが、私は帰らない。私の人生はここで終わり。」

 

厚生労働省人口動態統計で、2013年は、

夫「日本」:妻「フィリピン」の婚姻件数 3118件、離婚件数 3547件

夫「日本」:妻「中国」の   婚姻件数 6253件、離婚件数 4573件

夫「日本」:妻「韓国・朝鮮」の婚姻件数 2734件、離婚件数 1724件

 

 

初出:月刊『本の窓』2013年3,4月合併号~2015年3,4月合併号の連載「マジメに考える日本脱出計画」を改題、加筆。

 

 

水谷竹秀(みずたに・たけひで)
1975年三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部卒業。ウェディング専門のカメラマンや新聞記者を経て、フィリピンを拠点にノンフィクションライターとして活動中。

フィリピン在住11年で、「日刊マニラ 新聞」の記者として、日本人観光客が窃盗に遭う事件や、殺人事件、国際逃亡犯逮捕などの邦人事件の取材をしていた。

2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で開高健ノンフィクション賞受賞。

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

フィリピン人妻の親戚からは金の無心をされることが多いが、断るだけでは上手くいかない。フィリピン人は人懐っこいのでその輪に入っていかなくては孤立してしまう。最低限の英語かタガログ語が話せるようにならなくてはならない。

幸せに暮らしている老人もいるが、以上を守ってもフィリピンへの脱出生活は一瞬の幸せに終わることも多い。

 

著者はフィリピン在住で、取材後のフォローをきちんとしており、フィリピン人女性からもかなり本音を引き出している。

 

フィリピンでの一番の心配事は医療だ。

「極端な例を話します。・・・救急車で運ばれると『いくらまで補償される保険に入っていますか?』と聞かれます。支払い能力が十分でなければ初期治療のみです。保険に加入していても対応限度分の治療までしか施されないのがフィリピンの現状です」

 

 

 

エピローグ
第1章 寂しさからの脱出
第2章 借金からの脱出
第3章 閉塞感からの脱出
第4章 北国からの脱出
第5章 ゴミ屋敷からの脱出
第6章 介護疲れからの脱出
第7章 美しい島へ
エピローグ

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