戦争は悲惨なもので、太平洋戦争が終わったあと、国の内外で生き残った人も家族や親戚などをばらばらにされた人が多かった。戦争が終わっても、戦災で家を焼かれ、家族がばらばらになった人、外地から帰還し、焼け野原で家族を探す人などが多くいたのだ。
子供の頃、昼間の決まった時間だったと思うが、ラジオで尋ね人情報を放送していた。「昭和○年ごろ、○○町にいた○○さん」とか、「○○中学○年卒業の○○さん」などと、次々延々と単なる尋ね人情報が読み上げられていく。安否を気遣い、再開を願う一人ひとりの切実な気持ちがあのNHKのアナウンサーの冷静な読み上げで淡々と語られていく。
子供の頃は尋ね人の放送があるのが普通の状態だと思っていた。
戦後の一時期だけではない。昭和21年(1946年)から10年間続いたのだ。
親を失った子供(戦災孤児)も多く、浮浪児(子供のホームレス、ストリート・チルドレン)と呼ばれた。上野の駅の近くの地下道で浮浪児がたくさんいるのを見た記憶がある。
あまり変わらない年頃の子が、じっと私の目を見た。あのギラギラとした目が忘れられない。あの子は?