hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

外国人の日本語は流暢ではいけないのか

2006年12月22日 | その他

ニュースステーションのキャスターだった久米宏氏が10年前の「外人の日本語は片言がいいよね」という趣旨の発言に対し謝罪したとの記事が21日の朝日新聞の夕刊の社会面に出ていた。
当時抗議したのは、Arudou Debito有道出人さんで、米国で生まれ、1996年から日本に永住し2000年に帰化した方だ。

以下、Debitoさんのブログ、http://www.debito.org/index.php/?p=106 の概要を引用する。
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平成8年10月17日に、Debitoさんは以下のように抗議メールを出し、電話でも抗議した。
「あるイ ンド人が非常に上手な日本語でしゃべったときに、久米さんは「しかし、外人の日本語は片言がいいよね」と言いました。必死に日本語を勉強している外国人がいるのに、日本語が下手なままがよいのですか?」

これに対して、抗議内容を最近知ったという久米さんが、2006年12月に「やはり外国の方は、外国人だと分かる日本語を話してくれないと困る、というニュアンスで僕は話した記憶があります。しかしながら、良く考えてみると、これはかなり失礼な発言だと思います。いわゆる「島国根性」の視野の狭さ、と反省しています。もし不愉快な思いをされたら、今頃何をとお思いでしょうが、心からお詫びします。」(ここも、上記ブログから引用)というメールをくれた。
Debitoさんはこの10年後の謝罪を評価している。
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ここで、外国人の日本語が流暢だと、どうなのか私の場合を考えてみたい。

まず、逆に、外国で日本人が英語を話す状況を考えてみる。故人となったソニー会長の盛田さんが、居並ぶ外国の要人の前で典型的ジャパニーズ・イングリッシュの発音で堂々と積極的に発言する姿を見て感心したことがある。
一方、米国人と区別のつかない流暢な発音で英語を話す日本人に対しては、英語で苦労したように感じられないので、嫉妬の感情からか、なにか軽薄に感じてしまう場合も多い。また、実際、英語が話せるというだけで内容のない人もいる。

日本での外国人の場合も、同じことが言える。
たどたどしく話す外国人は一生懸命日本を好きになり理解しようとして日本語を勉強している感じがして好感が持てる。これは、英語劣等感の裏返しで、難解な日本語を話せる優越感もあるだろう。
流暢に日本語を話す外国人は、少ないこともあって、その日本人にはない外観と、出てくる自然な日本語に違和感がある。日本人と同じように、日本の文化・習慣に全くなじんだ人として接した方が良いのか、それとも外人(日本人とは異なるエイリアンalien)として接するべきなのか、戸惑ってしまう。日本に外国人がまだまだ少なく、文化の多様性がないことが原因なのだろう。

いずれにしても、第一印象での戸惑いは別にして、問題の第一は、言葉の上手さにあるのではなく、その内容にあることだけは間違いない。





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