東京・神宮外苑にある国立競技場のスタンドは白、黄緑、灰、深緑、濃茶と五色に塗装された六万八千の座席がランダムに配置されています=写真。まるで、美しいモザイク画のよう。木漏れ日をイメージしたそうです。
カラフルな座席は、無人でも人が座っているように見えて、空席が目立たない視覚効果があるといいます。まさか、この日を予測したわけではないでしょう。今夜、開会式を迎える東京五輪は史上初の無観客開催となりました。
東京は新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言の真っただ中。観客はゼロでも、選手や大会関係者の感染が続出しています。いくら「ステイホーム」を呼び掛けても、大会が感染拡大を助長することへの懸念は広がります。
五輪は過去にも、国際政治の対立の場になったり、過度な商業主義に陥ったりと、問題を抱えてきました。その中でも、コロナ禍の今回は最大の危機でしょう。
国民的な挫折の経験
憂えるのは大会が人々の間に対立や分断をもたらしたことです。最近の世論調査では、無観客開催を適切だとする人が四割超、なお中止を求める人が三割超と、「国論」が二分されています。
あるアスリートが複雑な心境を明かしてくれました。「日本代表に選ばれたことを、会員制交流サイト(SNS)で公表できない。ワクチンの優先接種についても話せない」。インターネット上での批判を恐れてのことです。
大会ボランティアが見知らぬ人の罵声を浴びる、というニュースにも接しました。
弱い一市民へのバッシングには断固として反対します。
国民の間には「海外からウイルスが持ち込まれるのでは」との懸念があります。ただ、外国人選手らへのワクチン接種は日本の一般市民以上に進んでおり、偏見は避けねばなりません。
一方、外国人選手らにとって感染対策でがんじがらめの滞在には不満があるでしょうが、規則の順守を求めるのは当然です。
混乱の最大の責任は、感染を収束できないまま開催を強行した日本の政界、スポーツ界のリーダーらと国際オリンピック委員会(IOC)にあります。
抜本的な解決策ではなく、その場しのぎの対応を重ねたり、結論を先送りしたり。観客数を巡る迷走や大会予算の膨張、関係者の相次ぐ辞任・解任と、統治機能の不全を思い知らされました。
今大会は、国民的な挫折の経験ではないか。私たちは主権者として、国を根本から変えなければと肝に銘じなければなりません。
大会は本来、対立や分断ではなく、連帯と共感を示す場となるはずでした。五輪憲章の冒頭に理想が掲げられています。
平和を目指し、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる。人種や性別、宗教や政治的意見など全ての差別を禁じる−。
一人の選手の姿が脳裏に浮かびました。日本選手団の旗手を務めるバスケットボール男子の八村塁(はちむらるい)選手(23)。アフリカのベナン出身の父と日本人の母との間に富山市で生まれ、現在は米国のプロリーグNBAで活躍しています。
互いの差異認め合う
昨年、ワシントンでのデモ行進に八村選手の姿がありました。全米を揺るがした白人警官による黒人男性暴行死事件。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」と、人種差別に抗議する人の群れに加わりました。
ところが今年、八村選手と弟へのSNSでの中傷が判明したのです。アフリカ系の蔑称を記し「死ね」「間違えて生まれてきた」。八村選手は「こんなの毎日のようにくるよ」と明かしています。
海の向こうではない、この日本で起きている人間の尊厳を冒す事態。今夜、八村選手が掲げる日の丸から、「この国から差別をなくしたい」とのメッセージを読み取る感性を持ちたいと思う。
大会には母国を逃れた難民選手団、性的少数者(LGBT)だと公表した選手も参加します。迫害や生きづらさを乗り越え、肉体の極限に挑む人々です。
お互いの差異を認め合い、多様性を尊重する。同じ一人の人間として共感し、連帯する。混乱する大会が、その機会であることを忘れたくはありません。
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