反対がある世界に賛成 週のはじめに考える
2019/2/24 中日新聞
賛成、イエス。何か明るく前向きな感じがしますね。でも、それだけだと意見は一つ。反対やノーこそが、「それ以外」という別の選択肢をつくります。
さて、最近、少し驚いたのは、例の統計不正の問題があったにもかかわらず安倍政権の支持率が上昇した、とのニュースでした。その調査結果に関する記事の中で、「自民党幹部」は要因をこう分析しています。
「野党がふがいないから」
何となく想が連なったのは、NHKの朝の連続ドラマ『まんぷく』でした。
『まんぷく』の鈴と野党
ご覧になっていない方には申し訳ないのですが、あのチキンラーメンをつくった安藤百福と妻がモデルのお話です。ドラマでは、萬平と福子という夫婦が二人三脚で即席ラーメン開発を成し遂げていく姿が描かれています。
あらゆる決断の場面で、萬平が「こうしたい」と言えば、福子は少し躊躇(ちゅうちょ)はしても、結局は「萬平さんのしたいようにしてください」と賛成します。しかし、福子の母鈴は、萬平・福子が「やる」と言えば「やめた方がいいわ」、「やめる」と言えば「何でやめるのよ」といった具合に、まあ、何でも反対する。
ちょっと重なりませんか。萬平が自民党なら、福子は公明党、そして、鈴は、野党。
そういえば、「何でも反対」って、野党批判の常套(じょうとう)句の一つでしたね。
しかし、そもそも野党が与党に反対するのは当然でしょう。英語で言えば、the opposition=反対党なのですから、ひるむことはない。与党から「ふがいない」と言われてしまうのは、むしろ反対が手ぬるい、あるいは反対に工夫が足りないからではありますまいか。「何でも反対」でも、鈴は(演じる松坂慶子さんの力も大きいのですが)、とてもチャーミング。学ぶべきところがあるかもしれません。
権力が異論を軽視すれば
もっとも、似てはいるが違うといえば、こっちの方が決定的。自民・公明の与党には、萬平・福子の柔軟さ、謙虚さを感じません。
例えば、萬平が即席ラーメン開発の最初の課題、スープ作りで試作を家族に食べさせる場面。萬平の苦労も察してか、福子をはじめ、みなが口々に「おいしい」と言う中、鈴は一人敢然と「おいしくない」と言い放ちます。まさに、反対によって「それ以外」の選択肢を提出したわけです。
すると萬平は、悔しそうにしつつも、そのノーを受け入れ、改良を続行、最終的によりおいしい完成品へとたどり着けたのでした。
野党の反対や批判を容(い)れて、参考にしたり、主張を見直したりする。今の与党、安倍政権には、そういう懐の深さがない。首相は、野党の異論や追及に誠実に応じているとは到底言えず、国会での議論というプロセス自体さえ、軽くみている印象があります。
萬平・福子が、異論を「聞く耳」を持ち、反対者(鈴)への敬意も決して忘れないのとは、むしろ対照的です。
与党は衆参両院で多数を占め、いくら野党が反対しようと、確かに、最後は数の力で何でも決められる。現在は、自民党内にも有力な“野党”は見当たらず、ほぼ一強・安倍首相の思うように物事が決まっていく状態です。
しかし、では反対には価値がないのでしょうか。
そうでないことは、逆に、「反対のない世界」を想像してみれば明白です。政治体制で言えば、独裁や全体主義でしょうか。賛成一色の中、すべては権力者の思うがまま…。ノーが表明できて、反対者が存在できる民主主義のありがたさを思います。
しかし、たとえ民主的に多数を得た権力でも、反対に価値を認めず「思うがまま」にことを進めるなら、「反対のない世界」との境界はどんどん曖昧になっていく。即(すなわ)ち、反対できるだけでは不十分。権力がそれに敬意を払ってはじめて民主主義なのです。
たった一人の「ノー」
米中枢同時テロの直後、米議会は大統領に、ほぼフリーハンドで報復戦争を行う権限を与える決議を採択しました。相当乱暴な内容でしたが、上院は全員賛成。そして下院は賛成四二〇に、反対一。
この唯一の反対票を投じたバーバラ・リー議員に、後年、ワシントンで会ったことがあります。
「白紙小切手みたいな決議には賛成できなかった。まさか、反対が自分だけだとは思わなかった」と言っていました。世論の感情もたかぶる中、非愛国的だと脅されたこともあったそうです。
でも、米国が危うく「反対のない世界」に陥るところを彼女の一票が救ったようにも思えます。こうしたノーを守り、敬意を払える社会でありたいものです。
2019/2/24 中日新聞
賛成、イエス。何か明るく前向きな感じがしますね。でも、それだけだと意見は一つ。反対やノーこそが、「それ以外」という別の選択肢をつくります。
さて、最近、少し驚いたのは、例の統計不正の問題があったにもかかわらず安倍政権の支持率が上昇した、とのニュースでした。その調査結果に関する記事の中で、「自民党幹部」は要因をこう分析しています。
「野党がふがいないから」
何となく想が連なったのは、NHKの朝の連続ドラマ『まんぷく』でした。
『まんぷく』の鈴と野党
ご覧になっていない方には申し訳ないのですが、あのチキンラーメンをつくった安藤百福と妻がモデルのお話です。ドラマでは、萬平と福子という夫婦が二人三脚で即席ラーメン開発を成し遂げていく姿が描かれています。
あらゆる決断の場面で、萬平が「こうしたい」と言えば、福子は少し躊躇(ちゅうちょ)はしても、結局は「萬平さんのしたいようにしてください」と賛成します。しかし、福子の母鈴は、萬平・福子が「やる」と言えば「やめた方がいいわ」、「やめる」と言えば「何でやめるのよ」といった具合に、まあ、何でも反対する。
ちょっと重なりませんか。萬平が自民党なら、福子は公明党、そして、鈴は、野党。
そういえば、「何でも反対」って、野党批判の常套(じょうとう)句の一つでしたね。
しかし、そもそも野党が与党に反対するのは当然でしょう。英語で言えば、the opposition=反対党なのですから、ひるむことはない。与党から「ふがいない」と言われてしまうのは、むしろ反対が手ぬるい、あるいは反対に工夫が足りないからではありますまいか。「何でも反対」でも、鈴は(演じる松坂慶子さんの力も大きいのですが)、とてもチャーミング。学ぶべきところがあるかもしれません。
権力が異論を軽視すれば
もっとも、似てはいるが違うといえば、こっちの方が決定的。自民・公明の与党には、萬平・福子の柔軟さ、謙虚さを感じません。
例えば、萬平が即席ラーメン開発の最初の課題、スープ作りで試作を家族に食べさせる場面。萬平の苦労も察してか、福子をはじめ、みなが口々に「おいしい」と言う中、鈴は一人敢然と「おいしくない」と言い放ちます。まさに、反対によって「それ以外」の選択肢を提出したわけです。
すると萬平は、悔しそうにしつつも、そのノーを受け入れ、改良を続行、最終的によりおいしい完成品へとたどり着けたのでした。
野党の反対や批判を容(い)れて、参考にしたり、主張を見直したりする。今の与党、安倍政権には、そういう懐の深さがない。首相は、野党の異論や追及に誠実に応じているとは到底言えず、国会での議論というプロセス自体さえ、軽くみている印象があります。
萬平・福子が、異論を「聞く耳」を持ち、反対者(鈴)への敬意も決して忘れないのとは、むしろ対照的です。
与党は衆参両院で多数を占め、いくら野党が反対しようと、確かに、最後は数の力で何でも決められる。現在は、自民党内にも有力な“野党”は見当たらず、ほぼ一強・安倍首相の思うように物事が決まっていく状態です。
しかし、では反対には価値がないのでしょうか。
そうでないことは、逆に、「反対のない世界」を想像してみれば明白です。政治体制で言えば、独裁や全体主義でしょうか。賛成一色の中、すべては権力者の思うがまま…。ノーが表明できて、反対者が存在できる民主主義のありがたさを思います。
しかし、たとえ民主的に多数を得た権力でも、反対に価値を認めず「思うがまま」にことを進めるなら、「反対のない世界」との境界はどんどん曖昧になっていく。即(すなわ)ち、反対できるだけでは不十分。権力がそれに敬意を払ってはじめて民主主義なのです。
たった一人の「ノー」
米中枢同時テロの直後、米議会は大統領に、ほぼフリーハンドで報復戦争を行う権限を与える決議を採択しました。相当乱暴な内容でしたが、上院は全員賛成。そして下院は賛成四二〇に、反対一。
この唯一の反対票を投じたバーバラ・リー議員に、後年、ワシントンで会ったことがあります。
「白紙小切手みたいな決議には賛成できなかった。まさか、反対が自分だけだとは思わなかった」と言っていました。世論の感情もたかぶる中、非愛国的だと脅されたこともあったそうです。
でも、米国が危うく「反対のない世界」に陥るところを彼女の一票が救ったようにも思えます。こうしたノーを守り、敬意を払える社会でありたいものです。