知中と知日が開く未来 週のはじめに考える(2018年10月14日中日新聞)

2018-10-14 09:42:26 | 桜ヶ丘9条の会
知中と知日が開く未来 週のはじめに考える 

2018/10/14 中日新聞
 日中「不戦の誓い」といえる平和友好条約の締結から今年で四十年。等身大の相手を理解する「知中」と「知日」が未来を開くカギではないでしょうか。

 日中平和友好条約は一九七八年八月に北京で調印され、同年十月に当時のトウ小平副首相が来日して批准書を交わしました。

 一九七二年の国交正常化から条約調印まで、六年という長い年月がかかりました。中国は文化大革命により政治が大混乱し、日本はロッキード事件で田中角栄政権が倒れ、不安定な政治が続いたことが背景にあります。

等身大の相手を知ろう

 何よりも、中国がソ連を念頭に主張した「覇権反対」をめぐり交渉が難航しました。日本側のソ連配慮もありましたが、最終的には日中は覇権を求めず、いかなる国の覇権確立の試みにも反対し、紛争の平和解決を約束した条約の意義は大きいといえます。

 尖閣問題をめぐり日中関係は一時、緊張しました。それだけに、両国の指導者には条約四十年の節目に、紛争解決を武力や威嚇に訴えないことを確認した条約の精神を胸に刻んでほしいと思います。

 将来に目を向ければ、日中双方の人たちが、思い込みや偏見を排して等身大の相手を知ることが、無用なあつれきを避ける知恵となるのではないでしょうか。

 神戸国際大学の毛丹青教授(日本文化論)は九月末、名古屋市で開かれた東海日中関係学会の公開研究会で、「互いのことを知り、人と人が強く結ばれれば、国同士が悪くなるはずがない」と述べ、両国民が相手を知る体験を積み重ねることが、国と国の絆を支える力になると強調しました。

 毛さんは二〇一一年に北京で日本文化を紹介する雑誌「知日」を創刊し、中国の特に若い人たちに日本の生の、実際に体験できる情報を提供してきました。

 毛さんは「誇張せず、蔑視せず、賛美せず」と、等身大の相手を見る重要性を力説しました。

 思い返せば、パンダブームに沸いた国交正常化直後、日本中に親中の機運があふれていました。中国脅威論が高まり、最悪の関係に陥った近年、日本の書店では反中本が飛ぶように売れました。

 中国でも八〇年代には改革開放政策が本格始動し、経済先進国の日本に学ぼうという姿勢が顕著でした。一転、九〇年代からは「愛国」を「反日」に結びつけた歪(ゆが)んだ教育が行われ、反日デモが起こるようになりました。

「刷り込み」を消し去る

 「親中」「親日」も「反中」「反日」も、感情的でムードに流されやすく、客観的に相手を見て、理解しようという誠実さに欠けているように映ります。

 日本のアニメや漫画のレベルの高さにあこがれて中国の多くの若者が来日しています。少し前の「爆買い」ブームの時には、富裕層だけでなく、中間層の人たちも自分で日本社会を体験し、日本人をその目で見て帰りました。

 上海の三十二歳の女性は昨年、初めて日本を訪れ、「日本人は礼儀正しく、街はきれいで、商店のサービスは良かった。中国で教えられていた日本像とは全く違った」と、旅行を振り返ります。

 日本を訪れた当初の目的は買い物や漫画だったのかもしれませんが、自ら体験した「知日」により、日本認識が大きく変わったようです。こうした例は枚挙にいとまがなく、「愛国主義」による「反日」の刷り込みが消し去られるケースもあるようです。

 〇二年、民族主義的な反日意識をいさめる「対日新思考」を発表した元人民日報論説委員の馬立誠さんは八月、本紙の取材に「都市の中間層が多く訪日し、本当の日本をその目で見て価値観が転換している。新しい民意が親日派との批判を恐れる中国の政治家を動かしてほしい」と述べました。

 中国の著名な知識人の間にも、国民の真の「知日」こそが、両国関係を下支えし好転させる原動力だと期待する観点が生まれているのは心強いことです。

先駆者のトウ氏に続こう

 来日したトウ氏は東京から京都まで新幹線に乗り、「速い。後ろから誰かが鞭(むち)を持って私を駆り立てているようだ」と、日本の先端技術に感嘆したといいます。

 後年、「改革開放の総設計師」とたたえられたトウ氏は帰国してすぐ、改革開放政策にカジを切るよう歴史的な号令をかけ、中国は経済発展の一歩を踏み出しました。

 まさに、トウ氏こそ「知日」体験で、中国と日中関係を前へ動かした先駆者ともいえそうです。

 日中が争わず、平和と繁栄を共に享受する条約の精神を現実のものとするため、多くの「知中」「知日」の若者たちが、トウ氏に続いてほしいものです。