噴火リスク退け、伊方原発再稼働容認 社会通念とは何か(2018年10月10日中日新聞)

2018-10-10 09:53:58 | 桜ヶ丘9条の会
噴火リスク退け、伊方原発再稼働容認 

2018/10/10 中日新聞 

2018/10/10 朝刊

 二つの裁判所が九月下旬、相次いで四国電力伊方原発(愛媛県)の再稼働を認めた。争点は「破局噴火」と呼ばれる超巨大噴火で生じる危険性。「社会通念」を根拠に、「起きる確率が低いから想定していなくても問題ない」と判断した。この社会通念という言葉は裁判の場に時々、登場するが、「本質は裁判官の主観でしかない」と批判する法律家もいる。あいまいな物差しで原発を動かしていいのだろうか。

◆【社会通念】って何?

 「危険性が社会通念上無視し得る程度にまで管理され、客観的に見て安全性に欠けるところがない」(九月二十八日、大分地裁)

 「国が破局的噴火の具体的対策を策定しておらず、国民の大多数は策定していないことを問題視していない。原子力発電所の安全確保の上で自然災害として想定しなくても安全性に欠けるところはないとするのが、少なくとも現時点におけるわが国の社会通念である」(同二十五日、広島高裁)

 伊方原発3号機の運転差し止めを巡る仮処分や異議審の決定で、二つの裁判所は阿蘇山(熊本県)の噴火の危険性が運転再開に支障がないと判断した。

 気になるのが「社会通念」という言葉だ。どちらの決定文でも、重要な部分に登場する。

 社会通念とは何か。広辞苑第七版で引くと、「社会一般で受け容(い)れられている常識または見解。良識」とある。法の世界では最高裁大法廷が一九五七(昭和三十二)年、出版物のわいせつ性を巡って争われた「チャタレー事件」の判決で、この言葉をこう定義した。「個々人の認識の集合またはその平均値でなく、これを超えた集団意識」

 言葉は難しいが、要するに「みんながこう思っている」ということだ。

 では、そうした集団意識があるかどうかは誰が判断するのか。最高裁は続けて「社会通念がいかなるものであるかの判断は、裁判官に委ねられている」と述べた。つまり、裁判官がそんな集団意識があると思えば、それが社会通念になってしまう。

 だから、安易に社会通念を持ち出すことには批判がある。

 元裁判官で明治大法科大学院の瀬木比呂志教授(民事訴訟法)は「判決や決定で、社会通念を判断の基準として用いるのは、わいせつのように、『普通の人の意識』を問題にする必然性のある特殊な場合に限るべきだ」と話す。

 今回の争点は、地下のマグマが一気に吹き出す壊滅的な破局噴火が原発に及ぼす危険性。「時代や社会が変われば人の意識は変わるが、原発は危険性の有無という客観的な事柄が問題であり、社会通念を判断基準にするのはきわめて不適切だ」と瀬木教授は批判し、こう強調する。

 「裁判官時代、判決で社会通念という言葉は一度も使わなかった。権力を公正にチェックすべき裁判所がこんなあいまいな概念を持ち出したら、権力側の考え方を社会通念と形容して、難しい判断から逃げることになりかねない」

 明治学院大と名古屋大の名誉教授である加賀山茂氏(民法)は戦後に最高裁が出した判決や決定で、社会通念が使われた例を調べた。「大半の場合は『自分の考えでは~』と同じ意味で、裁判官の主観に説得力を増すための根拠のない概念だった」と指摘する。

 そして「破局噴火は、発生確率はかなり低いが損害は算定できないほど大きい。裁判官は、原発稼働の利益と損害のバランスの答えが出せず、社会通念でごまかしたのだろう」と裁判所の決定を批判する。

◆司法判断の根拠は適切か

 伊方3号機の差し止めを求める仮処分申請は、高松高裁や山口地裁岩国支部でも係争中だが、四国電力は今月二十七日の再稼働に向けて動いている。

 佐伯勇人社長は九月の記者会見で「伊方は火山事象等に対する安全性を十分に有している。一つ一つ勝訴の実績を得て、安全性への『揺るぎない判例』を積み重ねたい」と語った。

 それに対し、九月の二つの審理でいずれも住民側の代理人を務めた河合弘之弁護士は憤る。

 「原発事故は、交通事故や工場火災とは深刻さが違う。広範囲で住民が被ばくし、大地が汚染される。国が滅びるほどの事態を招く危機感から、各地で住民が立ち上がってきた」

 それだけに、社会通念を理由に再稼働を認めた決定には納得がいかない。「裁判官はマジックワードに逃げ込まず、誠実に答えてほしかった」と語る。

 では、原発を審査する国の原子力規制委員会は、伊方3号機の火山リスクをどう見てきたのか。

 規制委には、噴火に伴う危険性を評価する手順を定める「火山影響評価ガイド」という内規がある。

 原発の百六十キロ圏内で将来活動する可能性のある火山を調べ、火砕流などが敷地に及ぶ恐れを「十分小さい」と評価できなければ、原発を立地できないと定めている。規制委は二〇一五年、約九万年前に阿蘇山で起きた破局噴火と同規模でも原発に影響はないと判断。伊方3号機の再稼働の前提となる新規制基準に「適合」したとする審査書を決定した。

 ただ、今回の広島高裁の異議審決定は、規制委の内規を「噴火の時期や程度を数十年前の段階で正確に予測することは困難。不合理」と指摘した。

 規制委の更田豊志(ふけたとよし)委員長は、九月二十六日の定例記者会見で「読みにくい部分があるのは確か」と認め、ガイドの見直しに言及。一八年度中に、噴火リスクで原発を止める目安となる基準を作成する方針だ。

 火山学者は、決定や規制委の姿勢をどうみるか。

 首都大学東京の鈴木毅彦教授(火山学)は「一般の社会通念は『原発は危ない』だろう。既存の原発も全て立地を見直し、火山の近くや断層の真上を避け、住民の避難先が確保できる場所への設置を考えるべきだ」と主張する。

 そう考えるのは、今のところ火山の噴火が予知できないからだ。「火山性微動や隆起は確認できても、何をもって破局噴火の予兆と見なすか、今の火山学のレベルでは残念ながら判断できない」と説明する。

 鹿児島大の井村隆介准教授(地質学)は「社会通念上、容認できると言い切れるほど、社会は破局噴火を知らない」と言う。

 井村氏は二万八千年前に姶良(あいら)(鹿児島県)で起きた破局噴火を例に、高温の火砕流で南九州と住民が全滅すると想定。「原発があれば、汚染された灰は大阪や東京のみならず、世界に飛び散る。原発は破局噴火に上乗せされるリスクになる」と指摘する。

 そして裁判所の決定を厳しく批判する。「伊方の破局噴火の危険性は完全にゼロにはならない。国や電力会社は、地震のように三十年の発生確率を数値で示し、原発が火砕流にのみ込まれた際の過酷な被害想定も出すべきだ。原発の安全神話に乗っかる形で、社会通念などという言葉を使い、司法が科学をねじ曲げるのはやめてほしい」

 (皆川剛、安藤恭子)

 <伊方原発> 愛媛県伊方町にある四国電力の加圧水型軽水炉。3号機(出力89万キロワット)は1994年に運転を始めた。2011年から定期検査で停止していたが、16年8月に再稼働した。17年12月の広島高裁決定が今年9月末までの運転差し止めを命令。四国電は異議を申し立て、同高裁の別の裁判長が9月25日の決定で取り消した。77年に運転を開始した1号機、82年開始の2号機(いずれも出力56万6000キロワット)は、再稼働に向けた巨額の安全対策投資に採算が合わないとして廃炉となる。