翁長知事死去 沖縄の訴えに思いを
2018/8/10 中日新聞
沖縄の保守政治家として、なぜ保革の垣根を越えた「オール沖縄」を率いて安倍政権と真っ向対決してきたのか。翁長雄志知事が亡くなった。その訴え、沖縄の現状をよく思い起こそう。
翁長氏の政治信条は「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉に象徴されていた。
国土の0・6%の広さしかない沖縄県に、国内の米軍専用施設の70%が集中する。にもかかわらず政府は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の代替施設として、同じ県内の名護市辺野古に新基地建設を強行している。日本国憲法よりも日米地位協定が優先され、県民の人権が軽視される。
そうした差別的構造の打破には保守も革新もなく、民意を結集して当たるしかない、オール沖縄とはそんな思いだったのだろう。
言い換えれば、沖縄のことは沖縄が決めるという「自己決定権」の行使だ。翁長氏は二〇一五年に国連人権理事会で演説し、辺野古の現状について「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と、世界に向け訴えた。
父、兄が市長、副知事などを務めた政治家一家に生まれ、那覇市議、県議、自民党県連幹事長などを歴任した。県議時代には辺野古移設を容認していたが、那覇市長当時の〇七年、沖縄戦の集団自決に日本軍の強制を示す記述が削除された教科書検定問題を巡る県民大会に参加。さらに、民主党政権の県外移設方針が迷走したことなどを機に移設反対にかじを切る。
戦争につながる基地問題に敏感なのは、沖縄戦後、激戦地に散乱したままだった戦死者の遺骨集めに奔走した実父の影響も強いとされる。「保守は保守でも自分は沖縄の保守。本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖でもあったという。
翁長県政の四年弱、安倍政権はどう沖縄と向き合ったか。県内を選挙区とする国政選挙のほとんどで移設反対派が勝利したが、その民意に耳を傾けようとせず、辺野古の基地建設を進めた。菅義偉官房長官は九日の記者会見でも、辺野古移設を「唯一の解決策」と繰り返すのみだ。
内閣府が三月に発表した自衛隊・防衛問題に関する世論調査で、「日米安保が日本の平和と安全に役立っている」との回答が約78%を占めた。安保を支持するのなら、その負担は全国で分かち合うべきではないか。翁長氏の訴えをあらためて胸に刻みたい。
長崎原爆の日、グテーレス国連総長は訴えた「長崎を核兵器で苦しんだ地球最後の場所に」
スピーチ全文は、以下の通り。
----------
「長崎の皆様、こんにちは。皆様にお目にかかれて、光栄です」(日本語)
本日、この平和式典において、ご参列の皆様とともに、1945年8月9日に、ここ長崎で原子爆弾の攻撃で亡くなられたすべての方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げられることを光栄に思います。
今日ここにご参列の皆様、ならびに原爆のすべての犠牲者と生存者の皆様に対し、最も深い尊敬の念を表明します。
ここ長崎を訪問できましたことは、私自身にとっても大変な喜びです。5世紀近くにわたり、私の国、ポルトガルは、この街と深い政治的、文化的、宗教的なつながりがあります。
しかし、長崎は、長い魅力的な歴史を持つ国際都市というだけではありません。より安全で安定した世界を希求する世界のすべて人にとっての、インスピレーションでもあります。
この皆さま方の街は、強さと希望の光であり、人々の不屈の精神の象徴です。
爆発の直後、そしてその後何年、何十年にもわたって十数万もの人々の命を奪い、人身を傷つけてきた原爆も、あなたがたの精神を打ち砕くことはできませんでした。
広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は、ここ日本のみならず、世界中で、平和と軍縮の指導者となってきました。彼らが体現しているのは、破壊された都市ではなく、彼らが築こうとしている平和な世界です。
原爆という大惨事の焼け跡から、被爆者の方は人類全体のために自らの声を上げてくれました。私たちは、その声に耳を傾けなければなりません。
決して広島の悲劇を繰り返してはなりません。長崎の悲劇を繰り返してはなりません。一人たりとも新たな被爆者を出してはなりません。
ご来賓の方々、ご列席の皆様、児童・生徒の皆さん
悲しいことに、被爆から73年経った今も、私たちは核戦争の恐怖とともに生きています。ここ日本を含め何百万人もの人々が、想像もできない殺戮の恐怖の影の下で生きています。
核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいます。2017年には、1兆7000億ドル以上のお金が、武器や軍隊のために使われました。これは冷戦終了後、最高の水準です。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたります。
その一方で、核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止しています。
多くの国が、昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、これに対する不満を示しました。
また、核兵器以外にも、日々、人々を執拗に殺傷する様々な兵器の危険も認識せねばなりません。
化学兵器や生物兵器などの大量破壊兵器や、サイバー戦争のために開発されている兵器は、深刻な脅威を呈しています。
そして、通常兵器で戦われる紛争は、ますます長期化し、一般市民への被害はより大きくなっています。
あらゆる種類の兵器について緊急に軍縮を進める必要性がありますが、特に核兵器の軍縮はもっとも重要で緊急の課題です。
このような背景の下、今年5月に私はグローバルな軍縮イニシアティブを発表しました。
軍縮は、国際平和と安全保障を維持するための原動力です。国家の安全保障を確保するための手段です。軍縮は、人道的原則を堅持し、持続可能な開発を促進し、市民を保護するのを助けます。
私の軍縮アジェンダは、核兵器による人類滅亡のリスクを減らし、あらゆる紛争を予防し、武器の拡散や使用が一般市民にもたらす苦痛を削減するために、現在の世界で実現可能な様々な具体的な行動を打ち出すものです。
このアジェンダは、核兵器が、世界の安全保障、国家の安全保障、そして人間の安全保障の基盤を損なうことを明らかにしています。核兵器の完全廃絶は、国連の最も重要な軍縮の優先課題なのです。
ここ長崎で、私は、すべての国に対し、核軍縮に全力でとり組み、緊急の問題として目に見える進歩を遂げるよう呼びかけます。核兵器核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任があります。
長崎と広島から、私たちは、日々平和を第一に考え、紛争の予防と解決、和解と対話に努力し、そして紛争と暴力の根源に取り組む必要性を、今一度思い出そうではありませんか。
平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません。平和は人々が日々具体的に感じるものであり、努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです。
原爆の恐怖を繰り返し想起することから、私たちは、お互いの間の分かちがたい責任の絆をより深く理解することができます。
私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう。
その目的のため、私は、皆さま方と共に全力を尽くしてまいります。
「ありがとうございます」(日本語)
浜田
2018/8/10 中日新聞
沖縄の保守政治家として、なぜ保革の垣根を越えた「オール沖縄」を率いて安倍政権と真っ向対決してきたのか。翁長雄志知事が亡くなった。その訴え、沖縄の現状をよく思い起こそう。
翁長氏の政治信条は「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉に象徴されていた。
国土の0・6%の広さしかない沖縄県に、国内の米軍専用施設の70%が集中する。にもかかわらず政府は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の代替施設として、同じ県内の名護市辺野古に新基地建設を強行している。日本国憲法よりも日米地位協定が優先され、県民の人権が軽視される。
そうした差別的構造の打破には保守も革新もなく、民意を結集して当たるしかない、オール沖縄とはそんな思いだったのだろう。
言い換えれば、沖縄のことは沖縄が決めるという「自己決定権」の行使だ。翁長氏は二〇一五年に国連人権理事会で演説し、辺野古の現状について「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と、世界に向け訴えた。
父、兄が市長、副知事などを務めた政治家一家に生まれ、那覇市議、県議、自民党県連幹事長などを歴任した。県議時代には辺野古移設を容認していたが、那覇市長当時の〇七年、沖縄戦の集団自決に日本軍の強制を示す記述が削除された教科書検定問題を巡る県民大会に参加。さらに、民主党政権の県外移設方針が迷走したことなどを機に移設反対にかじを切る。
戦争につながる基地問題に敏感なのは、沖縄戦後、激戦地に散乱したままだった戦死者の遺骨集めに奔走した実父の影響も強いとされる。「保守は保守でも自分は沖縄の保守。本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖でもあったという。
翁長県政の四年弱、安倍政権はどう沖縄と向き合ったか。県内を選挙区とする国政選挙のほとんどで移設反対派が勝利したが、その民意に耳を傾けようとせず、辺野古の基地建設を進めた。菅義偉官房長官は九日の記者会見でも、辺野古移設を「唯一の解決策」と繰り返すのみだ。
内閣府が三月に発表した自衛隊・防衛問題に関する世論調査で、「日米安保が日本の平和と安全に役立っている」との回答が約78%を占めた。安保を支持するのなら、その負担は全国で分かち合うべきではないか。翁長氏の訴えをあらためて胸に刻みたい。
長崎原爆の日、グテーレス国連総長は訴えた「長崎を核兵器で苦しんだ地球最後の場所に」
スピーチ全文は、以下の通り。
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「長崎の皆様、こんにちは。皆様にお目にかかれて、光栄です」(日本語)
本日、この平和式典において、ご参列の皆様とともに、1945年8月9日に、ここ長崎で原子爆弾の攻撃で亡くなられたすべての方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げられることを光栄に思います。
今日ここにご参列の皆様、ならびに原爆のすべての犠牲者と生存者の皆様に対し、最も深い尊敬の念を表明します。
ここ長崎を訪問できましたことは、私自身にとっても大変な喜びです。5世紀近くにわたり、私の国、ポルトガルは、この街と深い政治的、文化的、宗教的なつながりがあります。
しかし、長崎は、長い魅力的な歴史を持つ国際都市というだけではありません。より安全で安定した世界を希求する世界のすべて人にとっての、インスピレーションでもあります。
この皆さま方の街は、強さと希望の光であり、人々の不屈の精神の象徴です。
爆発の直後、そしてその後何年、何十年にもわたって十数万もの人々の命を奪い、人身を傷つけてきた原爆も、あなたがたの精神を打ち砕くことはできませんでした。
広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は、ここ日本のみならず、世界中で、平和と軍縮の指導者となってきました。彼らが体現しているのは、破壊された都市ではなく、彼らが築こうとしている平和な世界です。
原爆という大惨事の焼け跡から、被爆者の方は人類全体のために自らの声を上げてくれました。私たちは、その声に耳を傾けなければなりません。
決して広島の悲劇を繰り返してはなりません。長崎の悲劇を繰り返してはなりません。一人たりとも新たな被爆者を出してはなりません。
ご来賓の方々、ご列席の皆様、児童・生徒の皆さん
悲しいことに、被爆から73年経った今も、私たちは核戦争の恐怖とともに生きています。ここ日本を含め何百万人もの人々が、想像もできない殺戮の恐怖の影の下で生きています。
核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいます。2017年には、1兆7000億ドル以上のお金が、武器や軍隊のために使われました。これは冷戦終了後、最高の水準です。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたります。
その一方で、核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止しています。
多くの国が、昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、これに対する不満を示しました。
また、核兵器以外にも、日々、人々を執拗に殺傷する様々な兵器の危険も認識せねばなりません。
化学兵器や生物兵器などの大量破壊兵器や、サイバー戦争のために開発されている兵器は、深刻な脅威を呈しています。
そして、通常兵器で戦われる紛争は、ますます長期化し、一般市民への被害はより大きくなっています。
あらゆる種類の兵器について緊急に軍縮を進める必要性がありますが、特に核兵器の軍縮はもっとも重要で緊急の課題です。
このような背景の下、今年5月に私はグローバルな軍縮イニシアティブを発表しました。
軍縮は、国際平和と安全保障を維持するための原動力です。国家の安全保障を確保するための手段です。軍縮は、人道的原則を堅持し、持続可能な開発を促進し、市民を保護するのを助けます。
私の軍縮アジェンダは、核兵器による人類滅亡のリスクを減らし、あらゆる紛争を予防し、武器の拡散や使用が一般市民にもたらす苦痛を削減するために、現在の世界で実現可能な様々な具体的な行動を打ち出すものです。
このアジェンダは、核兵器が、世界の安全保障、国家の安全保障、そして人間の安全保障の基盤を損なうことを明らかにしています。核兵器の完全廃絶は、国連の最も重要な軍縮の優先課題なのです。
ここ長崎で、私は、すべての国に対し、核軍縮に全力でとり組み、緊急の問題として目に見える進歩を遂げるよう呼びかけます。核兵器核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任があります。
長崎と広島から、私たちは、日々平和を第一に考え、紛争の予防と解決、和解と対話に努力し、そして紛争と暴力の根源に取り組む必要性を、今一度思い出そうではありませんか。
平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません。平和は人々が日々具体的に感じるものであり、努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです。
原爆の恐怖を繰り返し想起することから、私たちは、お互いの間の分かちがたい責任の絆をより深く理解することができます。
私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう。
その目的のため、私は、皆さま方と共に全力を尽くしてまいります。
「ありがとうございます」(日本語)
浜田
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