内田博文 国立ハンセン病資料館館長
2021年10月29日 中日新聞
差別の歴史認め 再発防ぐ施策を
ハンセン病患者や家族への人権侵害を国が検証し、再発防止策をまとめたはずなのに、新型コロナウイルスの登場によってこの国で再び感染症患者らへの差別が起きている。コロナ禍の七月に国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の館長に就任した内田博文九州大名誉教授(75)は、「教訓が生かされていない」と危機感を強める。 (石原真樹)
-資料館はどういう場所ですか。
誤った国の強制隔離政策によって、ハンセン病患者や家族は深刻な人生被害を受けました。一方で当事者は被害を受けるだけでなく、人間回復を目指して勇敢に闘い、今も闘い続けている。そういったハンセン病問題の歴史や教訓を現在、そして次の世代にバトンタッチする場です。
たとえば「結婚、断種、中絶」という展示。入所者は子どもを持つことは許されず、断種(強制不妊)手術が結婚の条件でした。ある女性入所者は赤ちゃんも持てないというのは疑似夫婦だ、と私に話しました。他方で、心から支え合った夫婦もいます。
岡山県の療養所「長島愛生園」にあった療養所内で唯一の高校「県立邑久(おく)高校新良田(にいらだ)教室」を紹介する展示。療養所の子が授業を受けられるようになったことは進歩ですが、管理する側に都合の良い入所者に育てる教育でした。ここから患者運動のリーダーになる方もいて意義は大きかったですが、良かったね、だけではない。今の展示はそういった複雑さを伝え切れていない部分があります。
療養所はどういうところかと入所者に尋ねると、半数は地獄、半数は天国、と言います。療養所に入る前に家族がその人を守り、社会の偏見から守られた患者にとって、家族との関係が絶たれる療養所はつらい。他方で、家族が守ることができず社会の差別偏見に直接さらされた患者は、療養所は天国のようだ、となる。それぞれの話す意味を理解するには、背景を考えないと駄目なのです。
-「国立」資料館の意義は。
近代国家の役割は人々の暮らしと権利を守ることですが、逆のことを行うことがあり得る。その場合に自ら過ちを認め、繰り返さないための施策を講じることで国民の信頼を得る、それが近代国家です。ところが日本はなかなか過ちを認めず、再発防止の取り組みも弱い。例えば熊本県で一九五〇年代に起きた「菊池事件」。ハンセン病患者とされた男性が、裁判所ではなく療養所内に設けた特別法廷で、まともな審理を受けられないまま死刑判決、執行となった。
熊本地裁は昨年二月、隔離された法廷での審理は「人格権を侵害し、患者であることを理由とした不合理な差別」として憲法違反との判断を示しました。ところが、男性の名誉回復に不可欠な再審の必要性は認めず、検察も後ろ向き。国が、被害の回復をしようとしないのです。
国の役割に、被害を回復し、検証し、再発防止することを盛り込む必要があります。「国立」の資料館が国の過ちを展示できるのかと疑問を持たれることがありますが、国立の施設として「昔こんな過ちをした」と伝えることは、国が国として正しく機能を果たすために必要なことです。
-新型コロナウイルスで差別が起きています。
差別の理由は感染したくない、避けたいという人間の自然な動機。つまり誰でも加害者になり得る。そして集団意識が形成され、個人の判断よりも、なんとなく流されてしまう。防ぐには個人が個人で判断することと、集団に対して啓発の取り組みが必要です。
差別は加害者が多数派なので、被害者が訴えても多数派が「それは違う」といったら終わり。被害を客観的に判断するために、道徳ではなく、何が差別なのかを定めた法律が必要です。
らい予防法は違憲だとの判断を示した二〇〇一年熊本地裁判決を受けて「ハンセン病問題に関する検証会議」がまとめた最終報告書に、再発防止への提言として患者の権利の法制化などが盛り込まれています。
「感染症患者の人権を保障し感染の拡大を防ぐ唯一の方法は、患者に最良の治療を行うことであって、隔離や排除ではないとの認識を普及させること」であり、やむを得ず強制隔離が必要な場合も患者の人権の制限は必要最小限にしなさい、と。提言には被害者を救済する人権擁護の仕組みの整備などもありますが、実現していません。
-専門は刑法です。
巨悪をなんとかしたいと思って京都大で刑法を専攻しました。大学院に進み、指導教官が忙しかったため、立命館大の佐伯千仭(ちひろ)先生に学ぶことに。戦前に京都帝国大に国家が介入した滝川事件で、学問の自由を守ろうと抵抗して辞職した先生です。弁護士としても冤罪(えんざい)事件などに熱心に取り組まれていました。
いつも語っていたのは、歴史に学ばなければ駄目だということ。人間はいっぱい過ちを犯してきた。過ちを二度と犯さないために、教訓を学ばなければならない。それも座学だけでなく、具体的な事件に生かさないと本当に生かしたことにならないのだと。
-ハンセン病問題と関わり続ける理由は。
法学界、法曹界の責任です。人権を守ることが責務なのに、一貫して傍観という態度をとった。加害者だった。これ以上傍観し続けることは許されない。
ハンセン病問題は国や社会、一人一人を映し出すきわめて精巧な鏡。自分自身の生き方やあり方を示してくれる。中でも法律の研究者にとって、日本国憲法を映し出す鏡です。ハンセン病の当事者たちのように日本国憲法の埒外(らちがい)の人がいるのではないか、と。憲法はあるけれど、機能しているのか。そういう問いかけを絶えずしてくれます。
戦後に憲法ができて社会は良くなったと思う方が多いですが、本当にそうでしょうか。国と市民が一体となってハンセン病患者を療養所に隔離した「無らい県運動」は、戦後に強化されました。
入所者の断種や堕胎は戦前も行われていましたが法的には禁止されており、戦後に優生保護法で合法になった。神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり園」事件が起きたように、優生思想は今、むしろ拡大傾向にあると思います。
戦前は検察官や警察官には、家宅捜索や勾留を行う「強制処分権」を認めない建前でした。拷問などの恐れがあるからです。一九四一年の改正治安維持法等は検察官に強制処分権を与え、戦後は廃止どころか、令状主義と引き換えに警察官にもこれを認めました。現憲法下も、治安維持法は引き継がれているのです。
小林多喜二を死亡させたような露骨な拷問はなくても、志布志事件での自白の強要など、精神的拷問といえる事案は起きています。戦前や戦中の出来事を検証し、過ちがあれば被害者にきちんと手当てし、再発防止策を講じることは戦後世代の責任です。
今、十分果たしているかどうか。加えてハンセン病問題では加害者の側面があり、今も差別が続いている。その事実を頭に置き、一人一人が考え行動することが必要です。
うちだ・ひろふみ 1946年、大阪府生まれ。京都大大学院法学研究科修士課程修了。88年九州大法学部教授、2000年法学部長。10年に退官し、名誉教授。専門は刑事法学(人権)、近代刑法史研究。
らい予防法廃止(1996年)直後に学生と国立ハンセン病療養所菊池恵楓園を訪問したことなどを機にハンセン病問題と関わり、2001年に原告側が勝訴した「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で弁護団の顧問、厚生労働省第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」で副座長を務めた。今年7月から現職。主な著書に「ハンセン病検証会議の記録」(明石書店)、「治安維持法の教訓」「医事法と患者・医療従事者の権利」(ともにみすず書房)。
あなたに伝えたい
国立の施設として「昔こんな過ちをした」と伝えることは、国が国として正しく機能を果たすために必要なことです。
インタビューを終えて
らい予防法を憲法違反だと訴えた国家賠償訴訟は、判例に照らせば「勝てるわけがない」裁判だったという。社会の関心も支持もなかった。そのような中で弁護団の顧問として共に闘った歴史と、「ハンセン病に学ばせてもらっている」との姿勢が、内田先生への当事者の厚い信頼につながっていると感じる。
元患者たちが高齢化し、当事者なきあとに歴史を修正させないために、よりどころとなる資料館の存在意義は大きい。新型コロナで、ハンセン病の教訓が生かされていない実態も浮き彫りになり、これまで以上に発信、啓発が求められる。館長としての手腕に期待しつつ、自分も何ができるか考え続けたい。
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