冬が来る前に 週のはじめに考える
2020年11月29日 中日新聞
ギリシャ神話によると、女神ペルセポネは、冥界のザクロの実を十二粒中、四粒食べてしまったことで、年の三分の一を冥界で暮らすはめに。母親の豊穣(ほうじょう)の女神デメテルはそれを嘆き、その間、地上に実りをもたらさないと決めてしまう。それが「冬」の始まり…。
暦の上ではもう冬ですが、気象学的には十二月からです。つまり今は、ぎりぎり、冬が来る前、というタイミング。
感染が広がりやすい季節
「冬が近づくと…」と専門家らの恐れていたことが、このごろ、北半球各地で現実化しています。わが国でも、新型コロナの一日感染者数が過去最多を更新するなど「第三波」を認めざるを得ない状況ですが、欧州、そして米国での瀰漫(びまん)は目を覆いたいほど。
米紙のコラムニストでもあるノーベル賞経済学者ポール・クルーグマン氏は、過日の記事に「どれほど恐ろしい冬になり得るかを、どれぐらいの人が理解しているか確信がない」と、「コロナの冬」への恐れをつづっています。
米国を「コロナ大国」にしてしまったトランプ大統領や共和党の姿勢の特徴とは、科学の否定でしょう。クルーグマン氏の表現を借りれば、例えば「最も基本的で安上がりな予防策であるマスクの着用を人々に求めることさえ、否定し、拒否する」ものといえます。
トランプ氏が「暖かくなればウイルスは消える」など科学的根拠のない楽観、さらには事実と異なる主張を披歴してしばしば国民をミスリードしたことも思い出されます。国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長が科学的見地から何度も苦言を呈するのが気に食わず、「間抜け」呼ばわりしたことさえありました。
コロナの件に限らず、トランプ主義の正体とは、自分が見たくない、自分に不都合な事実や科学的知見をフェイクだ、嘘(うそ)だといって否定、拒否することだったといえるでしょう。地球温暖化を「でたらめ」と決めつけ、パリ協定から離脱した愚挙もしかり。
都合悪いと「事実」も拒否
そしてそれは、批判者には攻撃や脅し、異論を言えば排除というお得意の振る舞いとも通底しています。反対を言ったがために、一体、何人の側近が馘首(かくしゅ)されたことか。「粛清」や「収容所送り」こそないものの、やっていることの根本は権威主義国の独裁者と大差ない。大統領選後でさえ、人種差別抗議デモへの軍の動員に反対した国防長官を解任しています。
似通ったことは、わが国でも起きています。菅首相は就任早々、「政策に反対する官僚は異動してもらう」と堂々明言。学術会議会員の任命拒否も、要は安保関連法制や軍事研究に批判的−即(すなわ)ち、政権に都合の悪そうな学者を排除したいだけ、との見方が専らです。
事ほど左様、他国にも影響が及んだ節がある、トランプ氏の時代とは、いわば「事実の冬」。意に沿わねば、事実も科学も異論も退ける。そんな風潮も大統領もろとも早々退場願いたいものです。
科学といえば、このごろしきりに思い出すのが、戦争映画の傑作『プライベート・ライアン』。ライアン二等兵の救出という危険な特命を受けた兵士たちは途中、仲間の一人カパーゾを失います。そんな犠牲を払ってまで助ける価値があるのかと自問する兵士の間でこんなやりとりが交わされます。
「そいつ(ライアン)は、どんなやつなんだろう」
「難病の特効薬や、切れない電球を発明するようなやつだと思おう。それでないとやりきれない。カパーゾの十人分に値するやつでなきゃ」
確かに創薬とはそれほど崇高な仕事。それでも、今ほど切実にそう思ったことはありません。人類がコロナ禍というトンネルを抜け出すには多分、トランプ氏が軽んじた科学の力に頼るほかない。科学者たちがワクチンや特効薬の開発に夜も日もなく取り組んでくれているのを世界中が祈るように見守っています。幸い、最近、開発中のワクチンに臨床試験で高い効果が確認されたとの吉報が相次いでいます。闇の先に光が差した思いです。
されど、春は遠からじ
でも無論、楽観は早計。何よりまずは正念場の冬です。わが国でも第三波の襲来で、医療機関の対応力が逼迫(ひっぱく)してきているような危険な状態ですが、私たちは少し、「コロナずれ」した感じもあります。紙ふうせんの名曲『冬が来る前に』を借りるなら、●冬が来る前にもう一度、半年ほど前の警戒心を思い出したい、ところです。
寒く、暗いイメージの季節にコロナ警戒が重なりますが、「事実の冬」同様、「コロナの冬」もいつまでもは続きません。ペルセポネは必ず地上に戻ってきます。英国の詩人シェリーの有名な詩句を●冬が来る前にもう一度、かみしめておきたい、と思います。
冬来りなば春遠からじ−。
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