見えぬものを観る勇気 週のはじめに考える (2019年12月1日 中日新聞)

2019-12-01 12:12:48 | 桜ヶ丘9条の会

見えぬものを観る勇気 週のはじめに考える 

2019/12/1 紙面から

 今日から師走です。新年を前に、立ち止まって考えたい政治家の発言があります。その発想を放置すれば、社会を支え合う力を失いかねないからです。

 「ディープ・プア」

 「深刻な貧困」とでも訳しましょうか。この言葉を初めて知ったとき、衝撃を受けました。その言葉が示す人たちの存在を突きつけられたからです。

 貧困を表す指標に相対的貧困率という数字がよく用いられます。

 一定の収入を貧困線としてそれ未満を貧困世帯としています。金額にすると単身者世帯で年収約百二十二万円、四人世帯だと約二百四十四万円です。

 

ディープ・プアが13%

 

 これだけでも生活は相当苦しいはずです。ですがディープ・プア層の人たちはそのさらに半分の収入未満の人たちを指します。

 つまり四人世帯だと約百二十二万円です。いったい日々の生活をどうしているのでしょうか。衣食住に事欠き「生きる」だけで精いっぱいではないかと想像します。

 特に貧困率の高い母子世帯でどれくらいいるのか。そう考えた労働政策研究・研修機構の周燕飛主任研究員は調べてみました。

 母子世帯の多くは懸命に働いていますが、その半数超が貧困世帯です。ディープ・プア層は13・3%いました。七、八世帯に一世帯が深刻な貧困にあえいでいます。状況は米国とほとんど変わらない。父子家庭でも8・6%います。

 この定義は米国勢調査局が二〇〇九年から使いだしたそうです。「米国でこの階層の人たちは薬物中毒や失業、病など問題を複合的に抱えていてなかなか貧困から脱出できない上に次世代に連鎖する割合が高い。一方で自力で社会支援にたどり着けない人も多い。だから、支援のため注目すべき問題だとの認識があります」と周さんは説明します。日本でも暮らし向きの実態調査が待たれます。

 

罪深い「身の丈」発言

 

 新しい言葉は解決が必要な問題が存在する時に生まれます。問題の存在を「見える化」し共有する必要があるからです。「過労死」や「就職氷河期世代」などもそうではないでしょうか。

 貧しい子ども時代を過ごすことで教育機会が奪われ、人生の可能性を狭めてしまう。しかもそれが次世代に連鎖し固定化していいはずはありません。

 だから、萩生田光一文部科学相の英語民間試験における「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」との発言は罪深い。

 社会構造に起因する格差を容認し、追い詰められている人に自己責任を押しつけるような発言です。本来なら「機会の平等」の実現へ先頭に立つべき政治家、しかも教育行政の責任者の発言です。社会に横たわる問題の輪郭が見えていないのかもしれません。

 見えないとないことにしがちです。でも、問題解決にはまず見えない現実を意識して能動的に「観(み)る」。その勇気を持ちたい。

 ただ、難しいのは現代の「貧困のかたち」は見えにくい。困窮していても携帯電話は持っているし、ネットカフェで寝泊まりしていればホームレスに見えません。

 「格差」も同じです。自立して働いていても低賃金の非正規雇用だったり、ブラック企業に取り込まれて使い捨てにされている。これでは意欲も希望も次第に失ってしまいます。ネットカフェやブラック企業のように、今の社会には貧困・格差を「見えぬ化」する装置が潜んでいます。

 社会に隠れる解決すべき問題をどう「見える化」するか、それに知恵を絞る必要があるようです。

 例えば、就職氷河期世代はバブル経済崩壊で企業が新卒採用を絞ったことで正社員採用が激減しました。その置かれた苦境にこれまで社会は無関心でした。

 政府が社会問題と認識し就職支援に取り組み始めたことで関心が高まりだしています。

 さっそく兵庫県宝塚市がこの世代を対象に職員募集しました。採用四人に対し千六百三十五人が受験しました。四十代となっても安定雇用を得られない人たちが多くいる。それが分かった瞬間です。

 各地で増えている子ども食堂は、地域に分け入り困窮する子どもたちを見つけ、つながる住民の活動です。〇八年にリーマン・ショックで多くの派遣労働者らが失業した際に東京に現れた「年越し派遣村」でも苦境の顔が見えた。

 

「協心」を支えたい

 

 社会保障制度を含め社会は「支え合い」で成り立っています。それは他人の苦境を知り心を束にして助け合う「協心」が基盤です。

 人口減社会ではますます大切な思いのはずですが、貧困・格差の容認と放置はそれを崩壊させかねません。だからこそ、文科相の発言は看過できないのです。


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