廃プラスチック漂流記 海の日に考える (2020年7月23日 中日新聞))

2020-07-23 10:43:37 | 桜ヶ丘9条の会

廃プラスチック漂流記 海の日に考える

2020年7月23日 中日新聞
 コロナ禍でテレワークになった時、運動不足解消のために始めた早朝散歩が今も続いています。
 愛知県知多半島の田園地帯の農道を、コースを決めずに三十分から一時間。途中浜辺に腰を下ろして、ひと休みするのが日課になりました。
 ぼんやり海を眺めていると、半透明の浮遊物がクラゲのように漂いながら、波間に消えていくのをしばしば目にします。
 あのレジ袋。どこから来て、どこへ流れていくのでしょうか−。

七つの海を漂うもの

 「コンティキ号漂流記」で知られるノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダールは、インディ・ジョーンズのような探検家でもありました。
 太平洋の島々に伝わるポリネシア文化の起源が南米大陸にあるという仮説を証明するために、一九四七年、古代インカ人の技法にならったバルサ材のいかだ「コンティキ(ペルーの太陽神)号」でペルーを出航、約八千キロ離れた南太平洋のラロイア環礁へ、百日余に及ぶ漂流実験を成功させました。
 それから二十二年後の六九年、今度は大西洋をまたいだ文明の交流を証明すべく、ヘイエルダールは、クフ王のピラミッドに描かれたパピルスの葦舟(あしぶね)を再現し、「ラー(エジプトの太陽神)号」と名付けて、モロッコからバルバドスへ、大西洋横断の冒険にこぎ出します。
 一度目は失敗でした。葦舟は出港から約八週間後、船体が破損し、波間に消えていきました。
 ちょうどそのころ、米国の有人宇宙船アポロ(ローマ神話の太陽神)11号が、人類史上初の月面着陸に成功しています。
 ヘイエルダールは翌年、「ラー二世号」で、大西洋横断六千百キロの航海を成し遂げますが、洋上で目の当たりにした大西洋の異様な姿に、強い衝撃を受けました。
 滑らかな海面はまるで油を流したみたいにぎらぎら光り、何やら黒い塊が浮かんでいます。その汚染された海面もまた、ラー二世号と同じように、カナリア海流に乗って南米大陸へ、ゆっくりと流されていたのです。

レジ袋の旅路の果ては

 ヘイエルダールは書きました。
 <しかし石油による汚染は現代人の海に対する唯一の贈り物ではなかった。ずっと見張りを続けていると、プラスチック容器や、ビールの空缶や、空瓶や、あるいはもっと腐りやすい包装用ケースやコルクなどのがらくたが、ラー二世号の近くを漂わない日は一日としてなかった>(葦舟ラー号航海記)
 ヘイエルダールはラー二世号の航海記録を基に海洋汚染の実態報告書をしたためて、国連に送っています。
 <世界の海洋を、人の出す永続的廃棄物の国際的ごみ投棄場として無分別に利用し続けることは、動植物の繁殖と生存そのものに修復不能な影響を与えるにちがいない−>
 この報告書などをきっかけに、船舶による海の汚染を規制する「マルポール条約」が結ばれました。しかし、「無分別な利用」は今も続いているようです。
 ところで、あのレジ袋。どこから来て、どこへ流れていくのでしょうか。
 海の中には、陸(おか)からはうかがうことのできない流れがあって、あらゆるものを水平線のかなたへと運んでいってしまいます。
 世界中の街から川、川から海へ流れ出たプラスチックごみの多くは、海中の巨大な流れに乗って、ハワイと米西海岸の間に位置し、「太平洋ごみベルト」と呼ばれる海域に漂着します。
 広さ百六十万平方キロ超。日本列島が四つ以上、すっぽり収まる広大なごみの海、というよりもはや大陸です。
 そのほとんどがプラスチック。太陽の光で分解されても「マイクロプラスチック」と呼ばれる微細な粒子になって、大海を漂い続けます。
 現時点では、安全に回収できる技術はなく、今のペースで排出が続けば、二〇五〇年には海のプラスチックごみの重量が、魚のそれを上回るという計算になるそうです。
 海も海の生き物たちも、窒息寸前なのかもしれません。
 ではそのごみは、どこから流れてくるのでしょうか。

「いらない」と言う理由

 詳しくはわかりませんが、私たちの暮らしの中から、ということだけは確かでしょう。
 ヘイエルダールは「葦舟ラー号航海記」を、このように結んでいます。
 <海は無限ではない>と。
 そう、海は無限ではありません。だからこそ私たちはまず、不要なレジ袋は「いりません」と言うべきなのだと思うのです。

 


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