安保法制、「立憲主義の危機」(2015年6月13日中日新聞)

2015-06-16 08:36:03 | 桜ヶ丘9条の会
安保法案、立憲主義の危機 

2015/6/13 中日新聞

 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案について、そもそも「憲法違反だ」という意見が、憲法学者らの間で強まっている。憲法学者や政治学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」が六日に東京都内で開いた「立憲主義の危機」と題した集会には、千四百人を超える聴衆が詰めかけ、この問題に対する関心の高さがうかがえた。パネルディスカッションの発言などを紹介する。

 パネルディスカッションは杉田敦法政大教授(政治学)の司会で、佐藤幸治京都大名誉教授(憲法学)、樋口陽一東京大名誉教授(比較憲法学)、石川健治東京大教授(憲法学)の三人が討論した。

 【立憲主義とは何か】

 <杉田氏>昨今、政権に近い人たちから、憲法九条がなくても日本は平和だったという議論がされているが、何の根拠もない。われわれは憲法がある歴史を生きてきた。だから憲法について考えるには、(憲法によって国家権力を縛る)立憲主義が不十分だった時代と比較することが、唯一の手段。この観点から、立憲主義について歴史的に考えたい。

 <樋口氏>日本の近代化は戦前まで、立憲主義がキーワードだった。ところが、戦後はひたすら民主主義を唱えていればいいという時代があった。立憲主義と民主主義は場合によっては反発し合う。民主主義とは、人民による支配であり、憲法制定権力になる。一方、立憲主義は人間の意思を超えた触れてはならないものがあるとの考え方に基づく。そんな立憲主義と民主主義のぶつかり合いをどう近づけ、具体的な統治制度をつくり、政治的な決定をしていくのか。

 <石川氏>問題提起したい。合憲と違憲とは別次元で語られる立憲と非立憲の区別についてだ。京都帝国大の憲法学者、佐々木惣一(一八七八~一九六五年)が、違憲とは言えなくても「非立憲」という捉え方があると問題提起した。ここに集まってこられた方は今の政治の状況に何とも言えないもやもや感を抱いていると思う。そのもやもや感を「非立憲的」と表現した。まさに今、非立憲的な権力と政権運営のあり方が、われわれの目の前に現れているのではないのか。

 <佐藤氏>戦後は、国民が憲法制定権力となって国のあり方を決めようということになった。決めたものがぐらぐら揺れていては、社会は決して良い方向には向かわない。自由平等な人間がお互いに議論して決めたことは、大事に守っていかなければならない。それが、立憲主義の根幹にある。佐々木が言った非立憲とは立憲精神に反するということで、特に政治家はやってはいけないことだ。

 【立憲主義に反する安保法案】

 <杉田氏>安倍政権の安保法制の進め方や改憲案は、現行憲法の土台まで変えてしまおうという内容だ。現在の政治状況をどう見るか。

 <樋口氏>現政権はまず憲法九六条を変え、改憲発議に必要な国会議員数三分の二というハードルを下げようとした。まずこれが非立憲の典型。安保法案は提出方法そのものが非立憲だ。国民が集団的自衛権の議論に飽きたころに法案を提出し、国民に議論を提起せずに、憲法の質を丸ごと差し替える法案を提出した。さらに安倍晋三首相は米国の議場で、日本の国会に提出もしていない安保法案について、夏までに必ず実現すると語った。これは憲法が大前提としている国民主権にも反する。

 <石川氏>憲法の側から枠をはめ、その枠の中で法律ができ、法の枠内で行政が動くのが本来の道筋だが、現在はその逆。安全保障という目的のためにどういう手段が必要かという行政の思考を優先してまず法律をつくり、それに合わせるように憲法まで変えようとしている。これはまさに非立憲的な事態だ。安保法案についての議論は、憲法九条の論理的な限界を超えている。どう歯止めをかけるかが問われている。

 <樋口氏>歴史に学ぶとは、負の歴史に正面から対面することであり、同時に、先人たちの営みから希望を引き出すことでもある。今の政治は負の歴史をあえて無視するだけでなく、希望をもつぶそうとしている。戦後レジームからの脱却だけでなく、戦前の先人たちの努力を無視、あるいはそうした努力について無知のまま突き進もうとしている。

 一九三一年の満州事変の時、国際法学者の横田喜三郎(一八九六~一九九三年)は、これは日本の自衛行動ではないと断言した。その横田の寄稿を載せた学生たちの文集が手元にある。その中で横田は「汝(なんじ)平和を欲さば、戦への備えをせよ」とのラテン語の警句を引き、「汝平和を欲すれば平和を準備せよでなければならない」と呼び掛けた。そして文集に、学生が「横田先生万歳!」「頑張れ!」と共感を書き込んでいる。恐らく、この二人の学生は兵士として出征しただろう。再び母校に戻ってくることはなかったかもしれない。

 今、私たちが対しているのは、平和を欲すれば戦争を準備しようという警句通りの時代。しかし、かつて文集に書き込みを残した若者たちがいたし、この会にも若い人がたくさん参加している。われわれは日本の将来に対して、大きな責任がある。

「土台が揺れてはいけない」 佐藤幸治・京大名誉教授 

 日本国憲法は、人権を保障し、立憲主義をよく具現化した憲法となった。占領軍による押しつけだと言われるけれども、政府や国民が軍国主義や全体主義にからめ捕られた理由を考えていけば、自分たちの手でも日本国憲法に近いものをつくったに違いない。

 私は日本国憲法の個別的事柄について修正を加える必要があることを否定しない。しかし憲法の根幹を安易に揺るがすようなことをしない賢慮が必要だと強く思う。土台がいつ、どのように変わるか分からないようなところで、立派な建物を築けるはずがない。

 根幹を全部変えてしまう発想はイギリスにもない、米国にもない、ドイツにもない。いつまで日本がぐだぐだ言い続けるのか。それを思うと本当に腹立たしくなる。土台がしっかりしているから、法律によって憲法の内容を豊かにすることができる。

 冷戦の終結とともに世界の様相は大きく変わった。不確実性が増え、世界が不安定化を強めている。大胆な政策とか、強力な指導力の顕示が受け入れられる傾向があるのは否定できない。しかし根底的に一番大事なのは、人間の自制力だ。

(三沢典丈、榊原崇仁)

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