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近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とする

2014-02-28 18:01:08 | 日記
中日新聞2014年2月28日の社説は、政権が自由に解釈を改変するなら、憲法の破壊に等しい。と書いて、「多数者支配の政治が何でも勝手に決めてしまうならば、もはや非民主主義的であると、厳しく警告する。

立憲主義を破壊する 首相の「解釈改憲」

2014年2月28日


 安倍晋三首相は「解釈改憲」をし、閣議決定すると述べた。集団的自衛権の行使容認のためだ。政権が自由に解釈を改変するなら、憲法の破壊に等しい。
 フランスの哲学者モンテスキュー(一六八九~一七五五年)は、名高い「法の精神」の中で、こう記している。
 「権力をもつ者がすべてそれを濫用しがちだということは、永遠の経験の示すところである」
 権力とはそのような性質を持つため、非行をさせないようにあらかじめ憲法という「鎖」で縛っておく必要がある。それを「立憲主義」という。
国家権力の制限が目的
 政治も憲法が定める範囲内で行われなければならない。先進国の憲法は、どこも立憲主義の原則を採っている。
 安倍首相はこの原則について、「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と述べ続けている。明らかに近代立憲主義を無視している。
 若手弁護士がバレンタインデーにチョコレートと故・芦部信喜東大名誉教授の「憲法」(岩波書店)を首相に郵送した。憲法学の教科書は「近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とする」と書いている。
 とくに集団的自衛権の行使容認に踏み切る憲法解釈の首相発言が要注意だ。日本と密接な外国への武力攻撃を、日本が直接攻撃されていないのに、実力で阻止する権利のことだ。だが、平和主義を持つ憲法九条がこれを阻んできた。首相はこう語った。
 「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける。審判を受けるのは法制局長官ではない、私だ」「(解釈改憲を)閣議決定し、国会で議論する」
自ら「鎖」を解くのか
 仮に首相が何でも決められる責任者だと考えているなら、著しい議会軽視である。しかも、閣議決定は強い拘束力を持つ。
 憲法という「鎖」で縛られている権力が、自ら縛りを解いて憲法解釈を変更するのか。しかも、選挙で国民の審判を仰げば、済むのか…。こんな論法がまかり通れば、時々の政権の考え方次第で、自由に憲法解釈を変えることができることになる。権力の乱用を防ぐ憲法を一般の法律と同じだと誤解している。やはり立憲主義の無視なのか。
 憲法九条で許される自衛権は、自国を守るための必要最小限の範囲である。「集団的自衛権はこの範囲を超える」と、従来の政府は一貫した立場だった。
 かつ、歴代の自民党内閣は解釈改憲という手法も否定してきた。集団的自衛権の憲法解釈を変更することに「自由にこれを変更するということができるような性質のものではない」(一九九六年)。「仮に集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方であれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ない」(八三年)などの政府答弁が裏付けている。
 元内閣法制局長官の阪田雅裕氏は講演で「六十年間、風雪に耐え、磨き上げられてきた相当に厳しい解釈だ」と述べている。
 集団的自衛権行使を認めると、海外で自衛隊が武力を行使できることになる。実質的に憲法九条は空文化し、憲法改正と同じ意味を持ってしまう。
 阪田氏は解釈改憲の手法を「大変不当だ。法治国家の大原則に違反する」とも語っている。「そんなことが許されるなら立法府はいらない」「一内閣のよくわからない理屈で解釈変更するのは、法治国家の根幹にかかわる」という厳しい批判だ。
 政権によって自由に憲法の読み方が変わるというのでは、最高法規が不安定になるではないか。解釈改憲は、憲法の枠を超越する、あざとい手段といえる。
 「選挙で審判を受ける」という論理も飛躍している。選挙公約には、国民生活などにかかわる“フルコース”の政策メニューが掲げられる。
 選挙で勝ったからといって、解釈改憲という重大問題について、首相にフリーハンドを与えるわけではない。
 そもそも憲法九九条には「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ(う)」と定められている。首相は本来、現行憲法を尊重し、守らねばならない立場である。
多数者支配を許すな
 “芦部憲法”はこうも書く。
 <民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった立憲民主主義でなければならないのである>
 多数者支配の政治が何でも勝手に決めてしまうならば、もはや非民主主義的である。



カドミュムとは(愛知県衛生研究所)

2014-01-06 09:49:10 | 日記
カドミウムとは (愛知県衛生研究所)

 カドミウムは、青みをおびた銀白色の軟らかい金属で、鉄材の錆を防ぐためのメッキ、電池、及び鉛、スズ等との合金に用いられています。カドミウムは亜鉛、銅などの鉱床に高濃度に共存するため、これらの金属を採掘、精錬する時の副産物として得ることができます。従って、カドミウム汚染の主な発生源は金属の採掘、精錬の場所であり、空気中に放出されたカドミウムは水中、土壌に堆積し、そこで生育した野菜、穀類、家畜、魚介類等、様々な食品を経由して人体内に取り込まれます。
 はすべての食品中に存在しますが、その濃度には食品の種類によって大きな差(平均値で0.003~0.1ppm)がみられます。野菜、穀類、獣肉、魚肉中では0.005~0.06ppmと低濃度ですが、獣、魚類の肝臓、腎臓では1ppm程度と高濃度で、さらに貝類、イカの肝臓では100ppm以上の高い値を示すことがあります。また、日本人が主食とする米中のカドミウムは、非汚染地域で0.005~0.13ppm、カドミウム汚染地域各地では0.2~2.0ppmと、非汚染地域の米に比べて10倍以上のカドミウムが含まれています。そこで、我が国では主食とする米からのカドミウム摂取量を制限するため、食品衛生法によって、カドミウム濃度が0.4ppm以上1ppm未満の米は食用として販売禁止、1ppm以上の米は栽培することも禁止としています。
 ヒトでのカドミウムの体内吸収は、主に消化管と呼吸器を経由して行なわれ、消化管からの吸収率は1~6%、呼吸器からは粒子径、化合物等によって異なりますが、2.5~20%程度とされています。体内に吸収されたカドミウムは全身の臓器に運ばれ、標的臓器である腎臓に運ばれたカドミウムはメタロチオネイン(MT:分子量6000~7000、SH基を有するシステインを30%前後含み、カドミウム、亜鉛、銅等の金属を11%まで含有)を誘導し、そのSH基に結合して腎皮質に高濃度に蓄積するため、毒性の発現が抑えられます。しかし、腎臓中のカドミウム濃度が過剰になり、MTのSH基と結合できないカドミウムが出現すると、それによって腎臓障害が発症すると考えられています。健康成人では、体内カドミウムの50%は腎臓に、15%は肝臓に、20%は全身の筋肉に存在しており、各臓器中カドミウムの生物学的半減期は、ヒトでは10~30年と非常に長く、臓器中のカドミウム濃度は年齢の増加とともに高くなることが知られています。また、体内に蓄積されたカドミウムは主に尿中に排泄されることから、健康成人の尿中カドミウム量はその体内蓄積量及び腎臓中濃度を示すよい指標であると考えられています。
 カドミウムの慢性毒性としては、腎臓の近位尿細管障害が特徴的で、多尿、低分子タンパク(β2-ミクログロブリン、リゾチーム、メタロチオネイン等)尿がみられ、排出される低分子タンパクの量は暴露のない人の100倍以上に増加します。さらに腎障害が進行すると遠位尿細管機能低下、糸球体機能低下、血清クレアチニンの上昇等が起こり、最終的には腎不全で死亡することもあります。我が国のカドミウムによる最大の汚染地域である富山県神通川流域では、昭和30年代から地域住民にイタイイタイ病という奇病が多発し、当初、この病気の原因としてカドミウムと骨の関係がクローズアップされていました。しかし、その後の研究でカドミウムは骨に直接障害を与えるのではなく、これは腎臓障害に骨軟化が合併した病気であることが分かってきました。
 カドミウムがヒトにとって必須であるという事実は報告されていません。しかし、ヤギを用いた実験では、カドミウム欠乏による低体重児出産、流産の増加や、動かない・首をまっすぐに上げない等の筋力低下がみられ、それらはカドミウム投与によって改善することが報告されています。このことから、ヒトを含む哺乳動物に対するカドミウムの必須性が推定される1)ようになってきました。
 

浦部法穂の憲法時評 『特定秘密保護法』 (法学館憲法研究所 2013年12月9日)

2013-12-11 10:01:46 | 日記
今日は、自公政権が、数の力で強行採決してしまった「特定秘密保護法」についての浦部法穂の憲法時評を掲載する。


特定秘密保護法

                                                                 浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
                                                                         2013年12月9日

 「特定秘密保護法」というとんでもない法律が、なぜいまこれが必要なのかの説明さえまったくないままに、与党の強行採決で成立してしまった。こんな法律を作るということは、昨年の衆議院選でも今年の参議院選でも、誰からも、どの政党からも、まったく語られていなかった。唐突に提出され、そして強行採決である。パブリックコメントも通常よりも短期間で締め切られ、しかしそれでも、寄せられたパブリックコメントの77%が法案に反対する意見であったという。また、衆議院採決の前日に行われた福島での地方公聴会では、自民党が推薦した人を含めて全員が反対意見を述べた。国民の法案反対の声も、日に日に高まってきていた。そういう「民意」にはまったく知らんぷりで、野党の抵抗もどこ吹く風とばかりに、「民主国家では今世紀最悪」(アメリカの有識者の指摘として朝日新聞が報じたところ)の法律は強行可決されたのである。自民党の石破幹事長は、法案反対のデモを「テロと本質的に変わらない」とまで言った。テロに関する情報はこの法律の「特定秘密」の対象になっているから、デモ規制にかかわる情報も「特定秘密」だということになるのだろう。衆参両院で圧倒的多数を占め、そして向こう3年間は選挙を気にする必要はない、という状況で、数を頼みに何でもやりたい放題の政治は、いよいよ牙をむき出しにしてきた。

 新聞等は、また民主党なども、この「特定秘密保護法」を、官僚による情報隠しのための法律だ、として批判している。そういう面はたしかにある。だが、この法律は、すでにこれに先立って成立した国家安全保障会議(「日本版NSC」)設置法、年末にも閣議決定されるであろう武器禁輸原則撤廃、来年には強行するとみられる集団的自衛権の「解禁」、そのうちにきっと設けるべきだと叫ばれるであろう「日本版CIA(または"007"の英国SIS)」創設などと一体のものであり、安倍政権がめざす「戦争できる国・する国」へのワンステップである。だから、官僚のための法律というよりも「右翼の軍国主義者」たちのための法律というべきものだと、私は思う。「日本版NSC」のほうには民主党も賛成したし、「特定秘密」では反対の論陣を明確にしている新聞も「日本版NSC」にはほとんど無批判だった。これでは、この法律の「本質」を見抜くことはできないと思う。


安倍政権が「特定秘密保護法」をごり押しで成立させたのは、「日本版NSC」の活動を効果的なものにするためには、アメリカ(あるいは、イギリスも)から情報をもらいやすくする環境を整える必要がある、ということからである。アメリカのCIAやイギリスのSISといった情報・諜報機関が収集した情報をスムースに提供してもらうためには、秘密保全が絶対条件であり、また、日本からも国内でガタガタ批判を受けずに秘密裏にアメリカなどに情報提供できるようにしなければならない、というわけである。とくに、集団的自衛権を行使するということになれば、アメリカとの情報共有が不可欠であり、また、アメリカとの共同軍事行動について日本国内で反対論が吹き出して円滑に行かなくなるようなことは絶対避けられなければならない。そのためには徹底的な秘密保全が必要だ。安倍政権が思い描いているのは、こういうストーリーであろう。

 しかし、いくら秘密保全に万全を期したとしても、それでアメリカなどがいまより多くの情報を提供してくれるようになるなどと考えるのは、馬鹿げている。アメリカが日本に提供する情報は、アメリカにとって都合の良い情報、つまり、アメリカの都合に合わせて日本を動かすための情報だけである。アメリカにとって不都合な情報は、日本には必要な情報であったとしても、それをアメリカが日本に提供してくれるなどということは100%ありえない。そのうえ、アメリカのCIAは、アメリカの利益のために、あるいはアメリカの特定の政治勢力の利益のために、ときにはウソの情報をでっち上げて流すことさえする。「フセイン政権が大量破壊兵器をもっている」というウソの情報でイラク開戦の口実を作ったように。そういう、もっぱらアメリカに都合の良い情報だけを頼りに、しかもときには世論操作のためのウソさえも含まれる情報を頼りに、日本はアメリカと一緒になって軍事行動することになるわけである。つまりは、軍事面でもアメリカの意のままに動く。アメリカのためにどこへでも出かけていって前線で戦う。「日本版NSC」、特定秘密保護法、そして集団的自衛権の帰結は、そういう日本になることである。そして、そのうち、情報収集自体についても、一定の範囲で日本に「肩代わり」が要求されるだろうことは、容易に想定される。そのときには、「右翼の軍国主義者」たちは、「日本版CIA」の創設を叫ぶことになるだろう。実際、安倍首相は国会答弁で、「特定秘密保護法をつくる以上、特定秘密にあたるような情報を収集する能力をもたなければ意味がない」とまで言っている。

 もう一つは、武器禁輸原則の撤廃である。これと「特定秘密保護法」が結びつくことで、どんな兵器をどこに売ったか、どんな軍事技術をどんな兵器開発のためにどこに提供したかなどのことは、すべて秘密にされることとなる。国民の目からは完全に隔絶されたところで日本の軍需産業はどんどん肥大化していくこととなろう。そして、国民の知らぬ間に、日本は最新鋭の兵器を保有する軍事大国になって行くであろう。

かくして、「改憲」を待たずに日本国憲法は実質的に廃棄されることとなろう。「ナチスの手口を真似たらどうか」という麻生副総理の発言は、失言でも何でもなかったのである。そのとおりのことを、いま、安倍政権は進めているのだから。


中国が一方的に防空識別圏を設定したとして、またまた「中国の脅威」が声高に言われる。日本自身は、とうの昔に防空識別圏を設定しているのに、これをもってことさらに「中国の脅威」を言うのは、世論操作以外のなにものでもなかろう。それは置くとして、日本政府は、中国の防空識別圏設定を認めないという立場から、JALやANAに対して中国側の飛行計画提出要求に従わないよう指示した。しかし、アメリカ政府は、同様に防空識別圏設定を認めないとしながらも、民間航空会社に対しては中国政府の求めに応じ飛行計画を提出するよう促した。韓国政府も、民間航空会社が中国に飛行計画を提出することは認める姿勢に転じた。いずれも、乗客の安全確保の観点から、こうした対応をとったのである。日本だけが民間航空会社にも飛行計画を提出するなと言っている。乗客の安全より国としての立場を重視した対応である。安倍首相と自民党は、「特定秘密保護法」について、「国と国民の安全を確保する」ことを目的とするものだという(自民党HPの「Q&A」参照)。が、「国民の安全」は、彼らにとっては、2番目に挙げられているとおりに、やはり二の次でしかないのだ。

一票の較差 参院選は「違憲無効」高裁岡山支部判決(東京新聞 2013年11月29日付社説)

2013-11-29 10:12:17 | 日記
東京新聞29日朝刊の社説は、参院選の「違憲無効判決」について、参院選初の正確かつ常識に沿った国民主権の原理や代表民主制の適用したことに触れ、「判決を尊べ」と国会の選挙制度の抜本改革を迫った。

【社説】

参院選は「違憲・無効」 史上初の英断を尊べ

2013年11月29日


 参院選の「違憲・無効」の判決は史上初だ。広島高裁岡山支部は限りなき一票の平等を求めた。この英断を尊び、国会は速やかに抜本改革を図るべきだ。
 この判決が秀逸なのは、国民主権の原理や、代表民主制などについて、正確かつ常識に沿って適用した点に表れている。
 日本国憲法は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」で始まる。
 その文言を引用しつつ、「国民主権を実質的に保障するためには、国民の多数意見と国会の多数意見が可能な限り一致することが望まれる」と述べた。これが憲法が求める平等な一票の姿である。

◆「35%で過半数」の矛盾
 国会は国権の最高機関であるが、国会議員を選んでいるのは、われわれ国民である。国民の多数意見が、国会議員の多数意見と食い違ってしまっては、主権者の意見が国政に正しく反映されないではないか。
 有権者の一票の価値にゆがみが生じると、当然ながら、国民の多数意見が国会議員の多数意見にならない。判決はまっとうな視点に立っている。
 今年七月の参院選は、最大格差が四・七七倍もあった。つまり、ある人が「一票」を持っているのに、ある人は「〇・二一票」しか持たない。この矛盾した状態について、判決は別の表現方法で、うまく言い当てている。
 まず、最も議員一人当たりの有権者数が少ない選挙区から、順番に選挙区を並べてみる。そして、議員の数が過半数に達するまで、有権者数を足し算する。
 そうすると、有権者数の合計は約三千六百十二万人になる。それを全国の有権者数で割り算をするのだ。その結果、たった約35%の有権者で、過半数の議員を選んでいることがわかる。

◆頓挫したブロック制論
 「全有権者数の三分の一強の投票で、選挙区選出議員の過半数を選出できるのであって、(中略)投票価値の不平等さははなはだ顕著である」
 小学生レベルの算数の世界だ。深刻なずれを生む選挙制度が、まかり通ってきた方がおかしい。
 国民主権や代表民主制、法の下の平等という憲法原理を用い、「選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等」「徹底した平等化を志向するものである」とも言った。根源的で良心的な考え方だと評価したい。
 しばしば、人口比例で議員の配分を決めると、「都会が有利になる」などと言われる。だが、今回の参院選で最も不利益をこうむったのは、最北の地・北海道の有権者なのだ。次は兵庫である。そもそも、都会が有利になるのではなく、平等になるだけだ。
 長く参院では、約五倍もの格差が漫然と放置されてきた。二〇〇九年の最高裁は「合憲」としつつも、「定数を振り替えるだけでは格差の縮小は困難」と抜本改正を求めた。
 その翌年に西岡武夫議長は、都道府県単位の選挙区を廃止し、比例代表を全国九ブロックに分割する試案をまとめた。この場合だと、最大格差は一・一五倍まで縮まる。大選挙区にすると、一・一三倍になるとの試算もあった。
 ブロックを十一にする大選挙区の案も出たりして、抜本改革に向かうかに見えた。だが、西岡氏が一一年に死去すると、この機運は一気にしぼんで消えた。国会は怠慢を決め込んだのだ。
 一〇年の参院選訴訟を審査した昨年の最高裁判決では、「違憲状態」としたうえで、「都道府県単位の選挙区を設定する現行方式を改めるなど立法措置を講ずる必要がある」と、さらに踏み込んだ表現にした。
 それでも、国会は「四増四減」という小手先の直しに安住し、今夏の選挙に至ったのだ。〇九年の大法廷判決から、実に約三年九カ月もの期間があった。この経緯を眺めるだけでも、立法府の慢性化したサボタージュは明らかだ。
 昨年の最高裁では、複数の裁判官が現行法の枠組みを続ければ「選挙無効にする」と言及したから、岡山判決が突出しているのではない。むしろ、「現行方式を改めよ」とする“憲法の番人”の指摘に忠実だったといえる。
 今回の訴訟の特徴は、全国四十七すべての選挙区での無効を求めている点だ。一つの選挙区だけ無効が出た場合、その議員が不在のまま是正が行われる。

◆「事情判決」を封印する
 その不公平がないように、あえて全国提訴したわけだ。違憲でも選挙は有効とする「事情判決の法理」を封じる狙いもある。
 高裁レベルの判決が終了すれば、最高裁はいよいよ決断が迫られる。「国民の多数決と国会議員の多数決の一致」-。当たり前の答えが出るのを期待する。