ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

西神吉町をゆく(39) 『風土記』に見る大国里・含芸里

2024-03-17 08:27:10 | 加古川市歴史探訪・西神吉町

    

    西神吉町をゆく(39) 『風土記』に見る大国里・含芸里

 奈良時代に編集された『風土記』は、国ごとの産物・伝説・土地の質等をまとめています。

 『風土記』に、「印南郡(いんなみぐん)には益気里(やけのさと)・含芸里(かむきのさと)・大国(おおぐにのさと)・六継里(むつぎのさと)等があった」と記しています。

 印南郡は、加古川右岸に広がる地域です。

 このうち、大国の里は西神吉町に地名が残っていますが、『風土記』には、大石・伊保山(いほやま)・池の原等の地名がでてきます。

 当時の大国里は、現代の大国を含めて西および西南の平野地に伸びていたようです。

 いずれにせよ、「百姓(おおみたから)の家、多く此(ここ)に居り。故(かれ)、大国といふ」と記しているように、大国は郡内でも豊かな地域だったのでしょう。

 含芸里(かむきのさと)は、東神吉町から志方町にかけての地域であったと思われます。

 益気里(やけのさと)は、東神吉町から平荘町にかけての地域と推測さます。

 六継里(むつぎのさと)は、海岸部でしょうが、はっきりしません。

 現在の西神吉町は、古代の大国里と含芸里の一部を含む地域でした。

 

   「西神吉町をゆく」終了  次回から「平荘町・上荘町をゆく」

 「西神吉町をゆく」は今回で一端終了します。お読みいただきありがとうございました。

 次回から「平荘町・上荘町をゆく」を取り上げますので、引き続きよろしくお願いします。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西神吉町をゆく(38) 宮... | トップ |  平荘町・上荘町をゆく(1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

加古川市歴史探訪・西神吉町」カテゴリの最新記事