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甲山神呪寺へ

2019-05-20 | 日記
今年の4月9日に奈良県宇陀の室生寺本堂・灌頂堂(かんじょうどう)で一面六臂(手が6本)のご本尊如意輪観音さまを参拝して、「日本三如意輪観音」を知った。同月18日には大阪河内長野の観心寺へ行き、更に兵庫県甲山の麓、➊「神呪寺」かんのうじ)のご開帳の日を待っていた。5月18日が年に一度のその日・融通観音大祭に出かけた。すっかり疲れて、ようやく2日遅れの日記を書く事になった。
今朝、庭の赤いスカシユリが一輪開花した。

   5月18日(土)
午前10時10分西宮で優奈ちゃんと合流、3人だけで歩くのは初めての事。阪急バス、鷲林(じゅうりんじ)寺行きに乗り「甲山大師前」で降りると道路を挟んで南側に仁王門があった。お寺の敷地に幹線道路が走っているのだ!本堂を見上げると背景に甲山が綺麗な弧を描いていた。
道路を横切り本堂までは長い石段が続き。登り切った所に大きな鐘楼があって、撞きたい人は20円也を箱に入れて撞かせてもらうようになっていた。

20円を要求されるお寺なので、ひょっとしてご開帳と言えども果たして如意輪観音様のお姿を拝させて下さるのかしら・・・と法要の読経の声を聞きながら半ば諦め、境内の展望台からの景色を楽しんでいた。西宮市街を一望出来るだけでなく、何と「あべのハルカス」が見えてとても嬉しかった。

             
                              (画像はクリックすると拡大する)

さて、法要が終わると参拝者にビニール袋が手渡され、靴を脱ぐと本堂の中に入れて下さったのである。びっくりした。大喜びした。
拝観順路として、先ず弘法大師、高さ81.2cmの像は檜の寄木造りだそうである。鎌倉時代の作で、弘法大師58歳のお姿らしい。お四国巡礼で、私にはスッと心に入る仏様だが、ココでお目にかかれるとは嬉しかった。
厄除け大師・甲山のお大師さんとして有名だそうだ。通りでバス停の名称に納得できた。

如意輪観音座像がご本尊で、桜材寄せ木造り彩色、高さは98.7cm、ま近かにお膝元から見上げて拝観できた。ちょっと首を傾げて左斜め上を向いておられる美しいお姿に感動!
そして、あら不思議!予想とは違って、こちらの如意輪観音様の右足は立て膝ではなかったし、六臂(ろっぴ)の形も持物(じもつ)も2ケ寺のとは違っていた。
淳和天皇の妃であった真名井御前が仏門に入られ、この神呪寺の開祖となられたわけだが、平安時代810年に弘法大師がその如意尼の姿を写して刻まれたという。(お寺のパンフからいただいたお写真)

沢山の参拝人で長い間立ち止まるわけにはいかず、しっかり瞼に刻み移動した。
そうそう拝観は無料で又びっくり、きっと地域の人々の篤い信仰があるからだろう。


近くの食事処でお腹を満たし、いざ出発という時に散歩中の女性が、森林公園を抜ける近道があるから一緒に行きましょうと言って下さった。お陰で随分時間短縮で山を下りる事が出来て助かった。
甲山森林公園では噴水の立ち上る時間帯に遭遇して、甲山を背景に3人の思い出写真も撮れた。彼女にありがとう。
  
「上ヶ原八幡神社」に着いたのは午後2時54分、説明板に依るとこちらの鳥居は西宮市で一番古いそうで、阪神間でも二番目に古い明神系八幡鳥居だとか。ちなみに「明神(みょうじん)系」というのは、「神明系」が素朴な感じで直線で作られているのに対して、笠木(かさぎ)の両端が反ったり装飾性があって少し柔らかい感じがする形になるらしい。伊勢神宮参拝の折その区別を聞いたような気がするが、記憶が曖昧になっていた。(笑)

境内の奥に石碑『雄飛の碑』とその横にプロペラと錨が置かれていた。この学園都市上ヶ原地区が特攻隊養成の飛行訓練場だったという。太平洋戦争の末期、昭和19年ココが「戦場」だったとは優奈ちゃんら関学生が知るはずも無し・・・歴史はひっそりと静かに語られていた。私も父から戦争の話をよく聞かされ、歌でこそ飛行隊の存在は知っていたが、目の前にプロペラを見て「雄飛」という言葉に触れると胸が痛んだ、心が沈んだ。。。。。
            

聖和キャンパスの門前を通り、気分を取り直し、❸「神呪厳島神社」(かんのういつくしまじんじゃ)に来た。
石段を登って行くと、こちらの鳥居も明神鳥居のようだ。貫(ぬき)の色が柱内と抜き出た部分で違うのは修理されたからかなぁ・・・?
社殿は赤い玉垣で囲まれ、綺麗!珍しい、私はこんなのを初めて見た。そして、狛犬は左右阿吽以外に毛並み等のデザインにも違いがあった。

又この神社はあの甲山神呪寺が慶長年間(1600年代)に初めて山を下りて150年間ココに在ったと言われているようで、石段の一番上に在る「麁乱大荒神」(そらんこうじん)の銘ある灯籠がそれを立証しているらしい。

             


直ぐ近くに菅原道真を祀る❹「門戸天神社」があって、曲がり角のある長い石段をゆっくり登る。
こちらの鳥居は先ほどの上ヶ原八幡神社に次いで二番目に古い鳥居であったらしいが阪神淡路大震災(1995年1月17日)で倒壊したらしく、平成10年(1998)に再建されたようだ。古い鳥居の残骸が脇に残されていた。そうだね、すっかり片付けてしまうのは色んな意味で惜しまれるよな。

社殿の前に小さい盛砂(もりすな)が置かれていた。京都、上賀茂神社で大きい盛砂を見たのを思い出した。お清めの意味があるのかなぁ~・・・?
阿吽の狛犬さんが私を呼んだ。向かって左の吽形狛犬には角がしっかり立っていた。手が届く高さで優奈ちゃんも私も何だか嬉しくなって角を触らせてもらった。右の阿形の狛獅子さんに角は無し。優奈ちゃんが言った「この狛犬さんの顔、おじいちゃんと似ているね!」3人は大笑いをした。(笑)
ヤマモモの木が2本あって市の保護樹木だそうだ。ヤマモモってどんな実を付けるのだろう・・・・・

            

かなり疲れてきたので、境内の片隅でお菓子を食べて、小休憩した。
時計を見ると午後4時50分、大急ぎで❺「門戸厄神東光寺」に向かい、表門に立ったのは4時58分、お坊様はそんな私達を黙って中に入れて下さった。

実に大規模なお寺にびっくり、厄除け祈願のお寺として広く親しまれているそうだ。弘法大師の開基でご本尊は薬師如来様らしい。立派な格子天井の中楼門をくぐると正面に厄神堂、右手に薬師堂、左手に大黒堂と愛染堂が在り巨大な霊木や石の蛙が置かれていた。
優奈ちゃんの話ではお正月に広い境内は身動きが取れない程の参拝者でいっぱいだったそうである。優しいお坊様のお陰で閉門ぎりぎりの入山を許していただき、ありがとうございました。
                       
                          

無事予定終了、とにかく石段と坂道を歩き回った一日であった。お疲れ様。

   鷲→わし  鷹→たか  鶯→うぐいす