早や11月、庭のつわぶきは開花季節を充分に堪能したようで、近隣の桜の紅葉も始まって来た。思いがけず娘からTELがあって大阪の「七福神めぐり」を一緒にする事になった。
昔から『七福神』が好きで、絵馬やストラップを買って楽しんでいた私、中でも寿老人が大好きで、果ては掛け軸に描いて気持ちが落ち着いた次第である。(笑)
七福神信仰が盛んであったのは室町時代で、江戸で始まった七福神めぐりは1803年に大阪七社寺で巡拝が盛んになったそうだ。①三光神社「寿老人( 健康長寿のご利益)」、②長久寺「福禄寿( 延命長寿のご利益)」、③法案寺「弁財天(諸芸上達のご利益)」、④大乗坊「毘沙門天(家内安全のご利益)」、⑤大国主神社「日出大国天(福徳開運のご利益)」、⑥今宮戎神社「えびす大神(商売繁盛のご利益)」、⑦四天王寺「布袋尊(笑門来福のご利益)」、これぞ神仏融合の時代を物語るものであろう。
11月3日(金)
午前10時、JR大阪環状線「玉造駅」で落ち合う事になり、七社寺の地図は彼がコピーしてくれた。
先ずは天王寺区玉造本町に在る「三光神社」からスタート、こちらの神社のご朱印(300円)済み七福神の描かれた色紙(1500円)を手にした。
大きな楠の傍らに立っている寿老人像の穏やかな顔と姿を見るとやっぱり嬉しくなった。
又、この地は知る人ぞ知る真田丸の一部だそうで、1614年11月大阪冬の陣で大勝した真田幸村公の像が建っている。そしてその横に、「真田の抜け穴」と呼ばれる、大阪城まで続く地下道の入り口が残っている。真田家の家紋・六文銭を刻んだ鉄門で封鎖されていたが、覗いてみると今は5m位の穴になっていた。明日4日には鉄門が開かれる行事があるそうだ。
(画像はクリックすると拡大する)
次の「長久寺」(中央区谷町)までは徒歩標準20分のところ、脚力の乏しい私の精でこの後もすべて倍以上の時間で移動となった。
鉄筋コンクリート造りの建物に少々興覚めしたが、中に入ると立派な福禄寿像を目の前で拝顔する事が出来、お坊様の温和な物腰にすっかり気持ちが変わった。とても良かった。(写真撮影は禁止)
お寺の縁起は1579年豊臣秀頼の武運長久を願って淀君の命により建てられた由緒あるお寺で、かっては大規模なお寺であったそうな。
続いて中央区島之内にある赤い門の「法案寺」の弁財天。「長久寺」から約1kmの道のりで地理的には道頓堀から1本北に位置するらしい。
諸芸上達の他に学業成就のご利益もあると聞き覚えていた女神様は琵琶を手に微笑んでいられた。琴が上手に弾けますように仕舞がうまく舞えます様に・・・と努力が必要とは承知しながらも手を合わせた人、誰だっけ。(笑)
道頓堀川を見て急に安井道頓の名を思い出した。川を掘削した氏の石碑が建つ場所をパパさんがスマホで探してくれた。さすが立派な巨大石碑である。見上げていると、水上バスで「とんぼりリバークルーズ」を楽しんだ日の情景が再び蘇ってきた。水の都大阪に残した氏の業績は実に偉大だなぁ~。
かつて東京で生活していた娘は「東京は日本橋(にほんばし)だけど、大阪は日本橋(にっぽんばし)だよね。」と、嬉しそうに日本橋を渡っていた。
黒門市場で美味しい物をお腹いっぱい食べたかったのに、日曜祝日はお休みで”食い福”の無い今日(祝)の私達であった。(悲)
市場を素通りして12時20分、「大乗坊」(浪速区日本橋)に着いた。
こちらは宝満寺とも言うらしい。お前立の毘沙門天像は拝顔できたが遠く御簾の向こうではっきりとはいかず、ちょっと寂しかった。毎年5月と11月の第2日曜日には御開帳法要があって、お前立、中秘仏、奥秘仏に拝顔できるようである。
次に向かったのは南海電鉄のガード下を通り抜け、浪速区敷津西の「大国主神社」(オオクニヌシジンジャ)。
ここは”木津の大國さん”と呼ばれ縁結びの神様としても親しまれているようで、大きな立て看板が目立っていた。
イメージしている大黒様とは趣の違うお姿で??であったが、打出の小槌と米俵は狛犬ならぬ狛鼠がお堂の前で確り持って控えていた。このような形式の大黒天はココだけかもしれないなぁ~。
それから後で知ったのだが、こちらは「敷津松之宮」でもあり”種銭”(たねせん)のお守りが有名だそうで、そう言えば「種銭授与所」の立て看板が置かれていたよな。
お腹も空いていたが、「大国主神社」の直ぐ近くに在る「今宮戎神社」(浪速区恵美須西)のお参りを済ませてから「新世界」で食事をしようと決めた。
お正月の”十日えびす”(1月9日~11日)にMさんとこの神社に来たのはもう10年もっと前の事。広い境内は身動きもままならない混み様だった。ずらりと並んだ福娘さんの忙しさもさながら道路脇の出店でも商売繁盛の縁起物が飛ぶ様に売れていたのを思い出す。その時の福箕(ふくみ)は未だ私の部屋に飾ったままだがお返ししなくてはならないのかなぁ~
今日の境内は「七福神めぐり」のご朱印を待つ数人の列があるだけで、静かで、その広さに改めて驚きながら本殿の前に立った。えびす様は大きなお逗子の中で拝顔は叶わなかったが、元気を頂けるよう静かに手を合わせた。
新世界に来た。通天閣を見上げながら歩いていると大阪の下町気分に胸がワクワクしてくる。ココに足を運ぶ人共通の心理の様で、大人も子供も皆々ニコニコしていた。
串カツ屋さんで私達4人は今日の再会を祝して乾杯!そうそう彼女達の結婚20周年目の記念日でもあったよな。おめでとう!
生ビールが喉に浸みて疲れが吹っ飛んだ。串カツもなかなか美味しかった。1時間の休憩で元気は回復し、ビリケンさんに挨拶して記念写真を撮り、ビリケンさん人形焼きカステラを頬張りながら歩くと、すっかり、幸せ気分になれた(笑)
のんびり寄り道を楽しませてもらってのこの巡拝に7柱の神様はご立腹?いえいえ、苦笑しながらきっと許して下さった様に思う。
「四天王寺」(天王寺区四天王寺)に着いたのは3時47分。境内でとろとろしているとご朱印受付4時迄に惜しくも間に合わなかった。目の前でピシャリと窓口が閉まったらしい。残念!大いに反省したが、パパさんの度量は流石に大きく、「いいじゃないですか。もう一度皆で来ましょうよ。」と。大阪の街をもっと知りたい気分になってもらえた様で、他の3人も又会える機会ができたと、締めくくりの延期を喜びに転換できた。
何回も来ているお寺なのに布袋尊には気づかずにいた”まぬけ”な私、発見であった。
この文化の日の楽しい「七福神めぐり」は一生の思い出になりそう・・・・・ゆっくり歩行の私をかばって歩いてくれたお3人に感謝、ありがとう。再会を約束して難波で別れを惜しんだ。
昔から『七福神』が好きで、絵馬やストラップを買って楽しんでいた私、中でも寿老人が大好きで、果ては掛け軸に描いて気持ちが落ち着いた次第である。(笑)
七福神信仰が盛んであったのは室町時代で、江戸で始まった七福神めぐりは1803年に大阪七社寺で巡拝が盛んになったそうだ。①三光神社「寿老人( 健康長寿のご利益)」、②長久寺「福禄寿( 延命長寿のご利益)」、③法案寺「弁財天(諸芸上達のご利益)」、④大乗坊「毘沙門天(家内安全のご利益)」、⑤大国主神社「日出大国天(福徳開運のご利益)」、⑥今宮戎神社「えびす大神(商売繁盛のご利益)」、⑦四天王寺「布袋尊(笑門来福のご利益)」、これぞ神仏融合の時代を物語るものであろう。
11月3日(金)
午前10時、JR大阪環状線「玉造駅」で落ち合う事になり、七社寺の地図は彼がコピーしてくれた。
先ずは天王寺区玉造本町に在る「三光神社」からスタート、こちらの神社のご朱印(300円)済み七福神の描かれた色紙(1500円)を手にした。
大きな楠の傍らに立っている寿老人像の穏やかな顔と姿を見るとやっぱり嬉しくなった。
又、この地は知る人ぞ知る真田丸の一部だそうで、1614年11月大阪冬の陣で大勝した真田幸村公の像が建っている。そしてその横に、「真田の抜け穴」と呼ばれる、大阪城まで続く地下道の入り口が残っている。真田家の家紋・六文銭を刻んだ鉄門で封鎖されていたが、覗いてみると今は5m位の穴になっていた。明日4日には鉄門が開かれる行事があるそうだ。
(画像はクリックすると拡大する)
次の「長久寺」(中央区谷町)までは徒歩標準20分のところ、脚力の乏しい私の精でこの後もすべて倍以上の時間で移動となった。
鉄筋コンクリート造りの建物に少々興覚めしたが、中に入ると立派な福禄寿像を目の前で拝顔する事が出来、お坊様の温和な物腰にすっかり気持ちが変わった。とても良かった。(写真撮影は禁止)
お寺の縁起は1579年豊臣秀頼の武運長久を願って淀君の命により建てられた由緒あるお寺で、かっては大規模なお寺であったそうな。
続いて中央区島之内にある赤い門の「法案寺」の弁財天。「長久寺」から約1kmの道のりで地理的には道頓堀から1本北に位置するらしい。
諸芸上達の他に学業成就のご利益もあると聞き覚えていた女神様は琵琶を手に微笑んでいられた。琴が上手に弾けますように仕舞がうまく舞えます様に・・・と努力が必要とは承知しながらも手を合わせた人、誰だっけ。(笑)
道頓堀川を見て急に安井道頓の名を思い出した。川を掘削した氏の石碑が建つ場所をパパさんがスマホで探してくれた。さすが立派な巨大石碑である。見上げていると、水上バスで「とんぼりリバークルーズ」を楽しんだ日の情景が再び蘇ってきた。水の都大阪に残した氏の業績は実に偉大だなぁ~。
かつて東京で生活していた娘は「東京は日本橋(にほんばし)だけど、大阪は日本橋(にっぽんばし)だよね。」と、嬉しそうに日本橋を渡っていた。
黒門市場で美味しい物をお腹いっぱい食べたかったのに、日曜祝日はお休みで”食い福”の無い今日(祝)の私達であった。(悲)
市場を素通りして12時20分、「大乗坊」(浪速区日本橋)に着いた。
こちらは宝満寺とも言うらしい。お前立の毘沙門天像は拝顔できたが遠く御簾の向こうではっきりとはいかず、ちょっと寂しかった。毎年5月と11月の第2日曜日には御開帳法要があって、お前立、中秘仏、奥秘仏に拝顔できるようである。
次に向かったのは南海電鉄のガード下を通り抜け、浪速区敷津西の「大国主神社」(オオクニヌシジンジャ)。
ここは”木津の大國さん”と呼ばれ縁結びの神様としても親しまれているようで、大きな立て看板が目立っていた。
イメージしている大黒様とは趣の違うお姿で??であったが、打出の小槌と米俵は狛犬ならぬ狛鼠がお堂の前で確り持って控えていた。このような形式の大黒天はココだけかもしれないなぁ~。
それから後で知ったのだが、こちらは「敷津松之宮」でもあり”種銭”(たねせん)のお守りが有名だそうで、そう言えば「種銭授与所」の立て看板が置かれていたよな。
お腹も空いていたが、「大国主神社」の直ぐ近くに在る「今宮戎神社」(浪速区恵美須西)のお参りを済ませてから「新世界」で食事をしようと決めた。
お正月の”十日えびす”(1月9日~11日)にMさんとこの神社に来たのはもう10年もっと前の事。広い境内は身動きもままならない混み様だった。ずらりと並んだ福娘さんの忙しさもさながら道路脇の出店でも商売繁盛の縁起物が飛ぶ様に売れていたのを思い出す。その時の福箕(ふくみ)は未だ私の部屋に飾ったままだがお返ししなくてはならないのかなぁ~
今日の境内は「七福神めぐり」のご朱印を待つ数人の列があるだけで、静かで、その広さに改めて驚きながら本殿の前に立った。えびす様は大きなお逗子の中で拝顔は叶わなかったが、元気を頂けるよう静かに手を合わせた。
新世界に来た。通天閣を見上げながら歩いていると大阪の下町気分に胸がワクワクしてくる。ココに足を運ぶ人共通の心理の様で、大人も子供も皆々ニコニコしていた。
串カツ屋さんで私達4人は今日の再会を祝して乾杯!そうそう彼女達の結婚20周年目の記念日でもあったよな。おめでとう!
生ビールが喉に浸みて疲れが吹っ飛んだ。串カツもなかなか美味しかった。1時間の休憩で元気は回復し、ビリケンさんに挨拶して記念写真を撮り、ビリケンさん人形焼きカステラを頬張りながら歩くと、すっかり、幸せ気分になれた(笑)
のんびり寄り道を楽しませてもらってのこの巡拝に7柱の神様はご立腹?いえいえ、苦笑しながらきっと許して下さった様に思う。
「四天王寺」(天王寺区四天王寺)に着いたのは3時47分。境内でとろとろしているとご朱印受付4時迄に惜しくも間に合わなかった。目の前でピシャリと窓口が閉まったらしい。残念!大いに反省したが、パパさんの度量は流石に大きく、「いいじゃないですか。もう一度皆で来ましょうよ。」と。大阪の街をもっと知りたい気分になってもらえた様で、他の3人も又会える機会ができたと、締めくくりの延期を喜びに転換できた。
何回も来ているお寺なのに布袋尊には気づかずにいた”まぬけ”な私、発見であった。
この文化の日の楽しい「七福神めぐり」は一生の思い出になりそう・・・・・ゆっくり歩行の私をかばって歩いてくれたお3人に感謝、ありがとう。再会を約束して難波で別れを惜しんだ。