家の近くのイチョウ並木の葉も随分散った。そして我が家の槇の樹には2年前に巻き付けた蔦が成長して、今年はこんな綺麗な紅葉模様を見せてくれた。又、スーパーで吊るし柿にする江戸柿を見つけて買えた。寒くなるこの季節にはこんな楽しみがあるんだ。
(画像はクリックすると拡大する)
11月25日(土)
今日は長岳寺へ彼と2人で出かけてきた。交通機関を利用して行くのは初めてで、天理駅に出てそこからバスで上長岡(かみなんか)まで13分。バスの走る本数が少なくてちょっと不便な所である。
私には地獄絵と冷やし素麺と可愛い絵馬が印象に残っているお寺で、全国紅葉100選の1つとか824年に弘法大師創建とは知らず、今回は紅葉と地獄絵絵解きと弥勒大石棺仏に拝顔したくバスに乗った。10月23日~11月30日までの大地獄絵開帳に沢山の人達が訪れているようである。
長い参道を通って朝8時56分大門に到着。1万2000坪もあるという広い境内は紅葉に包まれていた。盛りをわずかに過ぎたばかりでまだまだ綺麗!
「本堂に行く前にぜひ普賢延命菩薩様にお参りを。」と受付で勧められて従う。初めての様に新鮮で心静かに落ち着いて拝顔出来た。年齢を重ねると参拝の感覚も変わってくるのかな。
庫裏として使われているところは旧地蔵院で、室町時代の書院造りの様式、屋根は杉皮の大和葺きだそうだ。(現在の建物は江戸時代に再建)付属のこじんまりした庭も素敵で、独り縁側に座ってゆっくりぼんやりしたい気分になった。
二間四面の本堂・延命殿に御座す菩薩様は白象に乗っておられた。お顔の数は幾つ?、臂(ひ)=腕の数は幾つ?、多面多臂の仏様かしら。ひょっとして脚の数も複数かもと思いながら見つめていたが、次の方に譲った次第。
台座の下にも沢山の象が円陣を組んで確り仏様を支えていた。
石段を上がり楼門をくぐって本堂(1783年に再建)へ進む。東京からの団体さんが到着でご一緒させてもらって絵解きを聞いた。以前はお軸の際でじっくり見せて頂いて一人でお話が聞けた。
人があの世に旅立った時から三途の川を渡り、閻魔王庁で閻魔様の裁判を受け、悪人は様々な地獄で責め苦に遭うが善人は天国の仏様・阿弥陀如来様が迎えに来られ極楽に連れてもらえるという絵が九幅の大きな掛け軸に描かれている。
ご住職のお話は三悪道(地獄・餓鬼・畜生)から始った。六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)のお話そして絵図にある地獄(黒縄地獄や集合地獄や刀葉林や焦熱地獄や無間地獄の火の車等)に堕ちた人間の様子を淡々と語られた。最後に、この地獄図は今の現代社会のあり方をも告発しているのではないかとおっしゃった。
恐ろしく凄まじい絵の中で、以前見た時からずっと私の脳裡に強烈に残っているのが串刺しの人間だった。説法が終わってご住職にその箇所を確認させてもらっていると私を恐ろし気に振り向かれた方がいて、ごめんなさいと心の中で呟いた。
この精巧な絵は狩野山楽の筆らしい。古いお軸の修復に多額のお金がかかったという事で、ささやかな募金の積もりで小冊子を買った。
本堂の仏様のお話が後回しになったが、御本尊は阿弥陀三尊で、1151年藤原時代(平安末期)にして日本初、玉眼使用の像らしい。堂々として端正なお姿に私の背筋が伸びた。それに多聞天・増長天も立派で堂内は息を呑む様な雰囲気が漂っていた。(撮影禁止)
今日は久しぶりに「因果応報」「勧善懲悪」の四文字熟語を思い起こすと同時に、その意味を子供だった私に教えてくれた父を思い出した。そして絵解きから「一蓮托生」(いちれんたくしょう)という素敵な言葉を知った。
その後、境内の散策で不動明王(何かしら可愛い)や十三重の石塔(叡尊の供養塔らしい)そして弘法大師の大きな立像を拝み、鐘つき堂に立ち寄り、長岳寺88ケ所の第88番大窪寺にお賽銭を入れ、弥勒石棺仏へと山を少し登った。
石棺仏とは古墳の石棺の蓋に彫られている弥勒菩薩で高さは2m余りも有る大きな仏様であった。鎌倉時代のものらしいが、右手は手の平を肩の辺りで前に向け5指を揃えて伸ばした状態、左手は手の甲を前にして5指は同じく伸ばして下げていられる。お顔は微笑んでいられる様に見えた。
こちらにお参りのほとんどの人が知らない仏様ではないだろうか。勿体ない気がするなぁ~。
帰りの道では野焼きの煙と一人のお年寄りの姿を見た。平穏な日々を送っておられる幸せを分けてもらったような気持ちになって山の辺の道、柳本の地を後にした。
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11月25日(土)
今日は長岳寺へ彼と2人で出かけてきた。交通機関を利用して行くのは初めてで、天理駅に出てそこからバスで上長岡(かみなんか)まで13分。バスの走る本数が少なくてちょっと不便な所である。
私には地獄絵と冷やし素麺と可愛い絵馬が印象に残っているお寺で、全国紅葉100選の1つとか824年に弘法大師創建とは知らず、今回は紅葉と地獄絵絵解きと弥勒大石棺仏に拝顔したくバスに乗った。10月23日~11月30日までの大地獄絵開帳に沢山の人達が訪れているようである。
長い参道を通って朝8時56分大門に到着。1万2000坪もあるという広い境内は紅葉に包まれていた。盛りをわずかに過ぎたばかりでまだまだ綺麗!
「本堂に行く前にぜひ普賢延命菩薩様にお参りを。」と受付で勧められて従う。初めての様に新鮮で心静かに落ち着いて拝顔出来た。年齢を重ねると参拝の感覚も変わってくるのかな。
庫裏として使われているところは旧地蔵院で、室町時代の書院造りの様式、屋根は杉皮の大和葺きだそうだ。(現在の建物は江戸時代に再建)付属のこじんまりした庭も素敵で、独り縁側に座ってゆっくりぼんやりしたい気分になった。
二間四面の本堂・延命殿に御座す菩薩様は白象に乗っておられた。お顔の数は幾つ?、臂(ひ)=腕の数は幾つ?、多面多臂の仏様かしら。ひょっとして脚の数も複数かもと思いながら見つめていたが、次の方に譲った次第。
台座の下にも沢山の象が円陣を組んで確り仏様を支えていた。
石段を上がり楼門をくぐって本堂(1783年に再建)へ進む。東京からの団体さんが到着でご一緒させてもらって絵解きを聞いた。以前はお軸の際でじっくり見せて頂いて一人でお話が聞けた。
人があの世に旅立った時から三途の川を渡り、閻魔王庁で閻魔様の裁判を受け、悪人は様々な地獄で責め苦に遭うが善人は天国の仏様・阿弥陀如来様が迎えに来られ極楽に連れてもらえるという絵が九幅の大きな掛け軸に描かれている。
ご住職のお話は三悪道(地獄・餓鬼・畜生)から始った。六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)のお話そして絵図にある地獄(黒縄地獄や集合地獄や刀葉林や焦熱地獄や無間地獄の火の車等)に堕ちた人間の様子を淡々と語られた。最後に、この地獄図は今の現代社会のあり方をも告発しているのではないかとおっしゃった。
恐ろしく凄まじい絵の中で、以前見た時からずっと私の脳裡に強烈に残っているのが串刺しの人間だった。説法が終わってご住職にその箇所を確認させてもらっていると私を恐ろし気に振り向かれた方がいて、ごめんなさいと心の中で呟いた。
この精巧な絵は狩野山楽の筆らしい。古いお軸の修復に多額のお金がかかったという事で、ささやかな募金の積もりで小冊子を買った。
本堂の仏様のお話が後回しになったが、御本尊は阿弥陀三尊で、1151年藤原時代(平安末期)にして日本初、玉眼使用の像らしい。堂々として端正なお姿に私の背筋が伸びた。それに多聞天・増長天も立派で堂内は息を呑む様な雰囲気が漂っていた。(撮影禁止)
今日は久しぶりに「因果応報」「勧善懲悪」の四文字熟語を思い起こすと同時に、その意味を子供だった私に教えてくれた父を思い出した。そして絵解きから「一蓮托生」(いちれんたくしょう)という素敵な言葉を知った。
その後、境内の散策で不動明王(何かしら可愛い)や十三重の石塔(叡尊の供養塔らしい)そして弘法大師の大きな立像を拝み、鐘つき堂に立ち寄り、長岳寺88ケ所の第88番大窪寺にお賽銭を入れ、弥勒石棺仏へと山を少し登った。
石棺仏とは古墳の石棺の蓋に彫られている弥勒菩薩で高さは2m余りも有る大きな仏様であった。鎌倉時代のものらしいが、右手は手の平を肩の辺りで前に向け5指を揃えて伸ばした状態、左手は手の甲を前にして5指は同じく伸ばして下げていられる。お顔は微笑んでいられる様に見えた。
こちらにお参りのほとんどの人が知らない仏様ではないだろうか。勿体ない気がするなぁ~。
帰りの道では野焼きの煙と一人のお年寄りの姿を見た。平穏な日々を送っておられる幸せを分けてもらったような気持ちになって山の辺の道、柳本の地を後にした。