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旧生駒トンネル公開!

2010-10-26 | 日記
10月24日(日) 晴れ
近鉄・近畿日本鉄道(株)の創業百周年(1910年・明治43年設立)の記念イベントとして開催された「旧生駒トンネルと生駒鋼索線巻上げ所見学」ツアーに参加してきた。

おなじみの生駒ケーブル鳥居前駅 改札口に朝9時45分集合。
生駒ケーブルは日本で最初(1918年・大正7年)に作られたケーブルカーだそうだ。ふぅ~ん そうだったのか。。。。
明治や大正は昭和の人間にとって昔とはいえ、父母の生きた時代、耳に懐かしい響きのある年号である。
先ずは宝山寺線(鳥居前駅~宝山寺駅)の敷設だったが、山頂に遊園地が出来て、1929年には山上線もできたという。
宝山寺線には1号線と2号線があって、私達は1号線の「11号ブル」に乗り、6分で宝山寺駅に到着。
係りの方々は丁寧に解かりやすく説明してくださった。質問等にも快く応じてくださった。
           

ケーブルカーの坂の角度は緩やかな所で約5度、急な所で約18度だそうだ。もっと急勾配だと思っていたが・・・・・    タイヤには溝車輪と平車輪があって、溝車輪にはすれ違う時に進む方向を決める役割があり、もし全部のタイヤが溝車輪だとするとすれ違う時にロープを踏みつけてしまうので平車輪があるのだそうだ。成る程、私は難しいことは解からないが宝山寺線には交わる対向車線も有るよな。
ケーブルカーは一本のロープで上の駅と下の駅間を動いているそうで、見せてくださった実物はナイロン芯にワイヤーが巻き付けられた太いものであった。皆の心配事・不慮の事故でロープが切れたらどうなるか?この時はバネの力でレールを抱きかかえてケーブルカーがSTOP出来る仕組みになっていると説明して下さった。安心!

           

ケーブルカーの運転席、宝山寺1号線運転室、それに 巻上室の中の巻上装置の巨大な滑車。回転してケーブルカーを停車させる瞬間をも見せてくださった。どきどきした。複雑に込み入った制御装置の諸々も見せていただき、私はただただへぇ~~ため息ばかりだったが、こういう見学の体験をした男の子の何人かはきっと将来の夢を描くことだろう・・・・・本当にありがとうございました。

               

巻上室の外にはなんと可愛いモノレール!現役だそうで恐れ入りました!頑張って!!
すごいものを見た感動の余韻を残しながら再び11号ブルで鳥居前駅にもどり、味楽座で昼食となった。午後は石切駅に移動して旧生駒トンネル(1914年・大正3年~1964年・昭和39年)の見学である。皆、雨合羽とヘルメットを着用して準備OK!
         


トンネルは全長3388m、見学は西口(石切方)の入り口から330mまで歩いての見学であった。
レンガ造り(3000万枚)で人の手の温もりを感じた。レンガの隙間から染み出た水に含まれている石灰はまるで鍾乳洞の堆積柱のような触感を壁面に残していた。
50年間使用されたわけだが、今は「けいはんな線生駒トンネル」として一部が使われている他、新生駒トンネルの避難経路として整備されている。
丁度330mの地点には「けいはんな線」に繋がる通路があり、「石切側へ」の標示板があった。風は石切方面からトンネルに入り込むからだそうだ。確かに火災事故でも起きた場合、避難する人達が煙を吸わない為にだな・・・・・
トンネル内での撮影は遠慮してください、ということで残念ながら許可の所からのみ。。。。。
         


ホームもそのままきれいに残っていた。学生時代に旧生駒トンネルを走る電車で通学していた彼曰く、ここは「孔舎衛坂」(くさえざか)と言う駅だったと。。。。。要するに生駒駅と石切駅の間に孔舎衛坂駅があったわけだ。
神社の案内柱が残り、ホームの南側には確かに神社もあった。
               

近鉄電車は今日も沢山の人たちを乗せて新生駒トンネルを勢いよく通り抜けて行った。知る人ぞ知る、トンネルの入り口上部には『日日新』と日進月歩を主張された近鉄元社長・佐伯勇氏の名言が掘り込まれていることを確認した。 
       (写真はクリックすると拡大する)