3月下旬から日本に来て、もうじき帰るドイツ人の書である。
年の半分を日本に来て、ドイツの歴史を大学で教えていたこともある歴史の先生だが、
日本にいる時は、弓道や書、そして禅に興味を持ったらしい。
三年前に来日したとき以来の、私との書縁である。
今回、金沢を旅し、鈴木大拙の書「妙〇」に出会ったらしい。
禅を世界的に広めた鈴木大拙の書は、やはり何かを感じさせたらしい。
〇が思いだせないという。それを書きたいと。
私が思いついた二字で「妙〇」禅的な言葉は、「妙覺」。
どうも、違うらしかったが、「妙」が禅語としては、えもいわれぬ境地の言葉としてあり、書くのも書きやすいと思い、「妙」をすすめるが、何か違うらしい。
そして「覺」も禅的なので、「覺」を。
だが、複雑。
動きある行草で書きたいとなって、草書形が今の楷書の形となった「覚」にする。
次の画へつながるんだ!
頭では解っているんだ。
ゆっくりでいいんだ!
頭では解っているんだ。
そんな問答の末、できた二つの「覺」。
書的にはこっち、でも禅的にはこっち。
と、そのドイツ人の眼は確かだとおもった。
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