『説文解字の研究 古代漢字研究序説』 2段組322頁のずっしり重い本が届いた。それも「前篇」である。
ねちっこい研究で甲骨金文の研究を30年以上続けている成家徹郎氏の著作である。
大東文化大学人文科学研究所発行であるが、もともと書道季刊誌『修美』に連載されていたものだという。一般の書道人には読みこなすのが大変だったろうが、成家さんにしては“一般”を意識して書いたのだろう。
でも、成家さん、やっぱり難しいんだと思うよ。
いまは、カエルみたいにぴょんぴょん跳ねるのが、書道(ある知人の引用です。うまいなー)と思われていたり、ちょっとのばしたりゆがませた程度で面白いと騒がれたり……。
成家さんが二十数年前の冬、埼玉は都幾川村の山間の廃校を借りて、古代文字の研究として夜通し天体観測したことがあった。私と私の仲間二人が手伝った。
それは読売新聞埼玉版の一面に大きく載った。
4人並んで、天体観測に使った紐やスケールやそれらしいものを持っている写真である。
写真キャプションに「天体観測をした千葉在住の成家徹郎さんら」とかでていて、その写真記事を私は知人に見せて“「(…成家徹郎さん)ら」が俺だ。(さえねー)”と自虐的ギャグ。
そしたら、次の日、その会話の中にいた千葉在住の後輩が、千葉版の同じ写真を持ってきて、“千葉版は「ら」抜き”だという。
そう、千葉版では、「埼玉にいた友人の関係で」とかの記事も飛ばされ、写真の私は、ただのその他大勢になっていたのです。ギャグにもならねー。
そんな思い出も懐かしい。
そういえば続編もあるな。
北京にいたころ、西安経由で漢中に石門遺跡を訪ねる旅にでたことがある。西安の碑林博物館に、なぜかは忘れたが、成家さんの論文を届けたのである。
そしたら、博物館の女の方が、「漢中に知人はいるのか?」と。「いいや」とこたえると、「漢中博物館の館長に手紙を書いてあげる」と。
そんなわけで、大開通やら石門頌があったダムまで、マイクロで案内してくれたり、館長宅で御馳走になったり…何泊かした後、北京に帰ろうとして駅で列車をまっていると「小熊ー、居留証を忘れただろー」と、届けてくれたり。(その後、手紙一つ書いていない私である。そんなことばっかりだなー。思い、届けー)
漢中にはまだ自動車のタクシーはなく、三輪自転車タクシーであった頃の話である。
漢中の…茶館も…、ひなびていて…、思いだすと…、泣けてくるぜ。
閑話休題。「継続は力なり」成家徹郎に拍手。
心ある書道人、どこかで上記著作、読むべし!