先に触れたが、「ゆく河の流れは…」と、その場で書かされた一枚がプラハのとある美術館で展示され、その後、スロバキアまで行くのだそうである。
作者としては、とても歯がゆいものであるが、それは逆にいうならば、書のもっている宿命みたいなものなのだろう。
この一枚の会場写真は、チェコの灯り作家が日本側の代表に送ってくれたものの一枚である。私の書作品一点だけの写真もあったが、上下が切れていた。
そういえば6,7年前、ハンガリーのブダペストとペーチでのイベントでは、ポスターは私の筆文字タイトルでなっていた。ハンガリーのイベント紹介冊子に載ったその記事の掲載写真はポスターの私の筆文字部分を使ってくれたのであるが、筆文字タイトルの半分しか載っていない。
その方がいい時があるのかな。
と思いはめぐる。
それにしても、歴史の重みを持ちながらも、東ヨーロッパの文化はすれていない印象である。
作者としては、とても歯がゆいものであるが、それは逆にいうならば、書のもっている宿命みたいなものなのだろう。
この一枚の会場写真は、チェコの灯り作家が日本側の代表に送ってくれたものの一枚である。私の書作品一点だけの写真もあったが、上下が切れていた。
そういえば6,7年前、ハンガリーのブダペストとペーチでのイベントでは、ポスターは私の筆文字タイトルでなっていた。ハンガリーのイベント紹介冊子に載ったその記事の掲載写真はポスターの私の筆文字部分を使ってくれたのであるが、筆文字タイトルの半分しか載っていない。
その方がいい時があるのかな。
と思いはめぐる。
それにしても、歴史の重みを持ちながらも、東ヨーロッパの文化はすれていない印象である。
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