OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

彷徨

2013年07月18日 | 書道・筆文字
今日は上野の森の小林抱牛遺墨展へ。
詩文書の大作「提灯さげてゆく花嫁」は1978年作。「惣七挽歌」1977年作。
私のことなど忘れていた新潟からお見えになった野中先生はこの作品などは、後世に残る名作と。
古典の修練の上にたっているが、そのまま上手く書いているわけではない。書家の書に終わらず、深い情感ある作品で、その後の詩文書の一つの在り方が示された。
1995年の「密」なども一字を書いて様々な思いが湧きでるような作品は、この小林抱牛の人間的魅力の為す業なのか。

私が今こうして書に関わっていられるのも、右卿に憧れて入った学校の一年目の夏、小林先生にある先輩が私に代わって私の作品を観てもらう機会があって、「こいつは、たいした才能だな~」といってたということをそのまま受け入れた自惚れによる。
ちなみにその後教わる右卿先生に褒められたことはない。

そして新国立の毎日展へ。
今回の特別展示は、手島右卿の書芸術-その世界性

右卿先生の往年の名作が並ぶ。
この人に触れると、書に命を賭けられる。
食えなくてもいい。書はそこまで価値のあるものである、と思える。

最後は銀座のP書展か書展Pか。
命名がおもしろい。PはなになにのPであり、なになにのPである、ようなことが会場に書いてあったが、そのへんはどうでもよく感じられた
が、派閥横断的な書展であって、しっかりした作品が並び、リラックスしているのがいい。ただ、おとなしくまとまり過ぎている点はものたりなかった。

右卿の時代、抱牛の時代、そして今。
作品には何を求められているのだろうか。
書家にはなにを求められているのであろうか。

個でいい。
孤でいい。






コメント
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