故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

のど元過ぎても

2024-01-20 08:24:48 | よもやま話

絵のタイトルは、「無言で語る女」です。
この人は、ムカついています。


今日のタイトルは、「のど元過ぎても」です。

妻が起きてきました。
やっと、朝ご飯づくりがひと段落ついて、コーヒー飲みながら一服のはずでした。
テレビがついてうるさくなりました。
もう少し寝てればよいのにと心の声。

寝床では起きていました。
朝ドラを視るために起きてきた。
洗濯物がやっと乾いた。
収納しようとすると、妻が塞いでいる。
朝ご飯を食べようかな、妻が冷蔵庫から好みの漬物を出してくる。
3品もあるのに、食欲がわかず、漬物でよいとのこと。
私は、朝早くから働いているので腹ペコです。

朝ご飯が終わり、洗い物を拭いて収納しました。
残り物は、ラップをして冷蔵庫に入れました。
洗濯物を干しました。
コーヒーを飲みながら一服です。
さっきまでのイライラはうすぼんやりになり、風前の灯です。
「のど元過ぎても、怒っていたい」と思うものの、実感が失せています。
あーあ。
だから、続くんでしょうね。

2024年1月20日
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素の自分

2024-01-19 06:46:07 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「素(クールビューティー)」です。


ブギの女王・笠置シヅ子(佐古口早苗著)を読んでいる。
戦後間もないころ、帰還兵は闇市で、戦争孤児は靴磨き、戦争未亡人はパンパンを
やってしのいできた。
笠置シヅ子は、まっすぐな性格だった。
らくちょう(有楽町にGHQの本部があった)のお姉さんたちから支持された。
何故と思い、図書館に行きこの本を取り寄せていただいた。

今日のタイトルは、「素の自分」です。
寒くて、疲れて、どうしても楽なほうに足が向いてしまいます。
それでよいのですが、一方格好をつけたがる自分がいます。
以上でも以下でもなく、ありのままで生きたいと思います。

どうしてできないか。
自分は弱い。
でも認めたくない。
このジレンマです。
歳を重ねるごとに、ギャップが大きくなります。
朝起きられない、いつまでも妄想(後悔含む)に明け暮れます。
シミュレーションだけでは進まないと、すぐに起きだします。
できないゆえに、5分間で済む仕事(炊事、掃除、洗濯)を考えなしに続けます。
畑に行こうにも、道具を選んでトラックに積むことが億劫です。
なぜなら、畑しごとがきついからです。
夕ご飯で酔っぱらった後は、片づけが嫌です。
洗い水が冷たいからです。

ストレッチは、気持ちよいからできます。
筋トレは、腹筋がつらいから躊躇します。
5分だけ我慢と続けています。

ちょっとした努力でよいのです。
正しい方を向いてるだけで十分です。
何をためらっているのでしょう。
「素」でよいのです。

2024年1月19日

素とは、
ありのまま
なにも伴わないこと
(他の語の上に付けて)
軽蔑の意をこめて、ただの、みすぼらしい、などの意を表す語(素寒貧、素町人)
程度のはなはだしいことを示す語(素早い、素ばしこい)
(広辞苑より)
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島の山火事

2024-01-16 07:04:21 | よもやま話

写真タイトルは、「陀峯山南山火事」です。
昨日の絵の場所です。
対岸の能美島の山の岩肌が黒く焼け焦げています。


今日のタイトルは、「島の山火事」です。
島の火事は、発生から3日目を迎えました。
140haを焼き尽くし、未だに鎮火しません。
向かいの島から消火作業を見ました。
ヘリコプター(プロペラx2)2機が海水を汲み、頂上付近に放水しました。
他のヘリコプター(プロペラx1)2機が海自の基地で取水し放水しました。
火事発生から2日間で累積消失面積は、240haになりました。
この地区は、採石場などがあり人が住んでいない地域です。
岩肌が黒く焼け焦げていました。
そして、今日も消火作業は続きます。

島(江田島と能美島は陸続き)には、高い山が4つあります。
野登呂山(542m)、古鷹山(394m)、クマン岳(399m)と、
今回山火事が出た陀峯山(438m)です。
島で発生した山火事を調べようとネットで検索しました。
昭和53年6月1日に発生し、44時間燃え続け947ha(森林の76%)を
焼失した古鷹山(江田島)の火事が出ていました。
帰省していた私は、能美島(江田島湾をはさんで対岸)から、
3日間燃え続ける異様な光景を見ました。
消火用の道路が整備されておらず、為すすべもありませんでした。
その後、どの山にも消防車が通れる道が山頂まで造られました。
今では、耕作放棄地と共に、通れるか不安なくらい整備はされていません。

過去の火事を調べようと、図書館に行き各町村の史料を調べました。
十分な資料を見つけることができませんでした。
中国新聞の記事を検索するしかないと実感しました。
北から季節風が吹き、中国山地で雪(湿気)を落とします。
瀬戸内海に入った風はからからです。
週末の雨(天気予報によると18日~20日まで)が待たれます。

2024年1月16日
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剪定

2024-01-14 00:16:42 | よもやま話

絵のタイトルは、「倉橋島より能美島を望む」です。
恩師に教えられた通り、空に斜めの光を描きました。
少しずつ工夫を重ねることが、新鮮で楽しくなる道です。


島で山火事があった。
この時期、畑の草や剪定した枝を焼くことが多い。
私は穴を掘って、つききりで焼き、土をかぶせて消火する。
風のない日を選び、煙が出なくなったことを確認して帰宅する。

今日のタイトルは、「剪定」です。
遠くから剪定対象の果樹を見る。
互いに触れ合うほど接近し、陽が当たらない葉と枝は取り除く。
できるだけ低くする。
今日の剪定は、柚子の老木である。
棘が7cmにもなる。
切った木は、必ず片づけることにしている。
棘が長靴を貫通するので、伸びた草に隠れて危険です。
切った枝を集めるときも軍手の指に刺さらぬよう、
火ばさみを使い籠に入れて運びます。

耕作放棄地(果樹も含む)の管理を任された。
どの果樹も一年目で大枝を落とし、二年目で整える。
すべての枝を落とすと、枯れてしまうことがある。
剪定された果樹は、切られた個所に糖分を送り再生しようとする。
涙を流す様にみえて、少々可哀そうである。

切った雑木を乾燥し、ガス、電気や灯油に代わる燃料にしたい。
枝を焼いたのち、とうしでふるい集めた炭を七輪で使います。
刈った草や落ち葉を集めれば、有機肥料ができる。
台所で出る生ごみもコンポストになる。
今年から、少しずつ堆肥を作ることにした。
有機物で出来たたい肥は、地力をあげ保水力を高める。
分かっていても、なかなかできません。

倒産する企業のうち、農業が一位であった。
次は服の卸業、三番目が建設の職種別事業(請負ではない)であった。
どれも、中間業者が複数ある職種です。
売価を自分で決められない職業ともいえる。

農業をやって、生活が豊かになったと実感するまで時間がかかります。
一生続けられるし、経験と工夫を重ねればだんだん面白くなります。
簡単ではないが、楽しい。

2024年1月13日

(あとがき)
毎日アップする記事は、インスタ映えしません。
面白いことが一つあればよいと書いています。
書くことは、自分にとってはストレスではありません。
日記ではない、人様に読んでいただく記事です。
今後とも、責任ある記事を書き続けたいと思います。
(筆者)
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お母ちゃんって

2024-01-12 10:39:17 | よもやま話

絵のタイトルは、「山吹のいつかはつける実ひとつ」です。
日陰にひっそりと咲く山吹です。
けっしてつかない実に、
期待するでもなく、あきらめるでもなく。
お母ちゃんの変わらぬ日常です。
都会に出て初めて分かる「おふくろの味」です。


今日のタイトルは、「お母ちゃんって」です。
家族全員が風邪をひきました。
子供が引いて、老人がうつって、旦那も耐え切れず寝込みました。
何故か、お母ちゃんが最後にひきます。
みんな治ったころのことです。
もういいかな。
すっかり治って、周りを飛び跳ねる子供たちです。
緊張の糸が切れたように、お母ちゃんは寝込みます。
2-3日も寝たら、もうすっかり元気になり、いつものお母ちゃんです。

還暦を迎える頃、その訳が分かりました。
お母ちゃんの、それが日常だったのです。
いつも家族ファーストでした。
子供がもっと食べたい。
自分のおかずを、子供の皿にそっと載せてやります。
お母ちゃんは、いつも最後です。
漬物でさらさらと食べしまいます。

お金がない。
たまには、鍋窯投げ合う喧嘩もします。
外で飲まなくなった旦那から料理を褒められます。
そりゃ、好きな人と食べるものはなんでも美味しいでしょうよ。
何十年か前の浮気をなじっています。
お母ちゃんって、凄い。

2024年1月12日

(あとがき)
日常の先に仕事がある。
あさイチで菊地凛子さんが言われた言葉です。
柳の枝のように、風まかせのようで、芯のある内容でした。
仕事の合間に日常がある。
会社に勤めている頃は、そう思っていました。
退職してから、違ったなと気づきました。
あと20年、気づいただけでも儲けものです。
(筆者)
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