故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

柿暖簾

2020-11-11 08:00:17 | よもやま話

絵のタイトルは、’’Window’’です。
君たち風は、自由に流れる。そして風が繋ぐ森です。


書かないと、読者数は伸びない。
それでよい。
裏を返せば、新しい記事を待っておられることになると、勝手に想像している。
今日のタイトルは、「柿暖簾」です。
洗濯物を干す竿は3本ある。一番、外側が柿暖簾である。
50個ばかりの蜂谷柿が景色を遮るように吊るされている。
庭には、つつじが20本も植えられている。
刈った草を集めておいてよかった。茶色の庭ではなく、残った草の緑にほっとする。

森との境に黄色く伸びていた山芋のつるも消えて見えなくなった。もう、芋の在処を辿れない。
紅葉の赤もオレンジに変わってきた。
落葉樹達は、早々と冬支度です。

森の奥までもっと見たい。暗い森は、気が滅入る。
下草を刈る時期が来た。緑の木々の下枝は落とすことにしよう。
竹は、優しい木だが、地面に光を届けない。そして、その範囲がどんどん広がる。
夏には風が抜ける。

柿暖簾、庭、森の入り口、林と距離を楽しみたい。借景となればよい。
定年が、60歳から65歳に延長され、じきに70歳までなる。
役目を終えた落葉樹は葉を落とし、森の奥に新しい光を届ける。
新しい光が、若い芽を育てていく。
私達は、老害と呼ばれたくない。
いつまでも緑であってはならない。
葉を落とし、次世代の栄養となりたい。

誰か、私達を切って材木にし、次世代の家に使って欲しい。
私達の年輪はひん曲がっているかもしれない。
あるべきところにはなくて、ちょっと「ここかい」と言うところに節となっている。
寒い暑い、今年は豊作でも去年は凶作だった。そのたび、年輪は厚く薄くなっている。

なにしろ、風通しである。
さわやかな風が通る、そんな会社で世間でありたい。
私達は、「しがみつく老人」ではないのです。
役割が終われば、朽ちて死んでいく。切り株に新しい芽が出れば本望です。

借景は 遠きと近き 結ぶ里

2020年11月11日
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ゴルフ練習場

2020-11-09 23:47:18 | よもやま話

絵のタイトルは、「歓喜」です。
後から、喜ぼうなんて思っていたらいつまでもできませんね。
瞬間沸騰でよいのではありませんか。
毎日が、そんな日々だったら。


仕事を追っかけているうちに、日暮れになりました。
人の一生もそんなものでしょうか。
そうであってはならぬ。

今日のタイトルは、「ゴルフ練習場」です。
自分で作りました。耕作放棄地の森側に作りました。
間口(2間)x奥行き1間半x高さ2mの小屋を建てました。
幼稚園で使っていたというテントの骨組みがありました。地域の先輩から、いただきました。
妻は、冬でも野菜や花を育てられるよう温室にしてほしかったようです。

友人が裏庭で使っていたゴルフ用ネット(6mx4m)を譲り受けました。
骨組みに切った竹を横に渡し、斜めに走らせネットを吊りました。
穴を覆っている別のネットも一緒でした。ネットには、穴が開いていました。
これでは、同じことが起こるなと、
ホームセンターで25mm開口のネット(1980円、2mx3m)を買ってきました。
これを後ろ1/3の部分に、垂らしました。
上は、縫うように紐で張り骨組みに固定し、下部はフリーにしました。

さっそく、試し打ちをしました。
前垂れのネットが、打ち抜く球の勢いを吸収し、初めに吊ったネットには届きません。
サンドウェッジで打った球は、天井部に伸ばした初めのネットに捕球されます。
我ながらうまくできました。

ネットをもらったのが夏、完成したのが晩秋です。
休む時には、暖が必要な季節になってしまいました。
これまた、伐った竹で作りましょう。野球のベンチのようなもの。
一つ作れば、二つも三つも一緒です。ベンチの中には、火鉢が必要です。
座る椅子も竹で作りましょう。
南側が森で、一日中太陽の光が当たりません。
せっかくできたけど、使う人はいないでしょう。

こんなものです。
望まれた時は出来ず、皆が忘れたころやり終える。
でも、約束は果たした。物好きですね。

恋の道 真面目過ぎても ちと困る

2020年11月9日
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分ける

2020-11-06 04:22:52 | プロジェクトエンジニアー

我カフェの料理番長です。
タイトルは、「ひたすら喜ぶ顔が見たいから」です。
ああ、今日もサービスし過ぎました。


今日のタイトルは、「分ける」です。
美味しいものを家族で分け合って食べる。
我が家では、末っ子がいつも、「一人何個」と決めていました。
お姉ちゃんたちに、先に越されないように防御線を張った。

職場でいただき物を分ける。
いつも決まって、姉御肌が新人に指示して行われていました。
儀式のように厳(おごそ)かに、平等に配布されました。クッキーの一個まで。

地域おこしの達人が言われていました。「巻き込むではない、分けるのよ」と。
自分が住むマンションの祭りを挙行した。マンションの住民の有志が盛り上げてくれた。
今度は、町全体の祭りを企画した。マンションの有志の内、賛同してくれた方はわずかだった。
新たに、ボランティアを募り、なんとかできた。
ヒマラヤ登山で、ごみが散乱しているのを見て、日本人登山客が嘆いた。
ノーノー、富士山回りがもっとひどいよ。外国人登山客が言った。
彼は、富士山回りのゴミの掘り起こしをしようと提案した。
マンションの祭り、町の祭りを手伝ってくれた人たちに呼びかけたが、誰からも色よい返事はなかった。
考えられることとして、企画者は「巻き込む」では続かないと気づいた。
新たに、「分ける」ことを提唱した。
こんな楽しいこと、一人でやりたいが、皆さんいかがです。
企画に応じて、興味がある人が変遷する。
思いついたことを分ける。横浜の方だった。
住民を巻き込んで、市役所を巻き込んで、都会の人を巻き込んでと続く。
巻き込むは、「やらされ感」が芽生えてくる。ここで、想いはとん挫する。

この景色、この空気、人々の一生懸命をインスタグラムで伝えたい。
皆さんが、やっている。
この景色を作る人は、誰とは知らぬが楽しみにしている人に、「分けたい」と念ずる。
人々が、一生懸命になるのは理由がある。
私が好きなこの村を存続させたい。かなわぬことだけど、一人でも頑張るか。
頑張る人を応援する人が出てくる。
雪の日も届けてくれる郵便やさんであったり、近くに来たから寄ったよと保健婦さん、
昔やんちゃで、いろいろ面倒を起こしたが、村全体で支えていただいた人などである。

さて、分けるもの。
何処の家でも、一番良いものを分けます。B級品は、自分の家で食べます。
何故でしょう。
もらってくれる人に喜んでもらいたいから。これは、世界共通の願いです。

分けるは、清々しい。
無償のものに、一級品を提供する。
ブログを書く人も同様でしょう。俺はこんなに凄いんだと言う人はいない。
こんなの見つけたよ、思いついたよ。私は嬉しかった、哀しかった。
どうですかと謙虚です。

私は、毎日耕作放棄地の篠竹を伐り続けた。
お金をいただきながら(地域おこし協力隊として)、こんな楽しいことを続けていられる。
ずーっと一人でやっていたかった。こんなに、あるんだもの一年や二年では終わらない。
ばれちゃった。なんだか楽しそうだな。俺にも手伝わせろという人が出てきた。
では、手伝わせてやるかとお願いした。

「分ける」構造や仕組みを作るのが、企画者です。
参加する人は、役目をいただき終わったら、「今度は何を手伝いましょう」と自ら名乗り出る。
これが、祭りの基本です。やって当然、やらせていただいて嬉しい。来年もと続きます。

プロジェクトマネージャーは、手柄を独り占めにしない。
だから、人が変わっても仕事が変わっても、「あの人なら」とついてくる。
逆の人がいます。人の手柄を横取りする人のことです。
巻き込んで知らぬ顔をする人のことです。

手柄盗り どろんを決める きつねどん

(ごめんね、きつねさん。あなたも一生懸命でした)

2020年11月6日
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ブランク

2020-11-05 07:46:36 | よもやま話

絵のタイトルは、「このままここで」です。
そうしたいのはやまやまです。
腹も減ってきたし、小便もしたい。
だから、また来ようね。


今日のタイトルは、「ブランク」です。
ブランク(Blank)とは、
無記入、余白、空白。
仕事などから一時離れている時期。空白期。
(広辞苑より)

「高齢者、おひとり様」の記事を読んだ。
会社人間だった男が、定年退職後ほどなくして、妻を亡くす。
さらに、これからは生涯独身の男性高齢者が続く。
おひとり様は、自意識が強く社会に入って行けない、故に孤独となる。
一方、女性はたくましい。
あるグループの中に気に入らない人が混じっていても、気の合う仲間と小グループを作り、
その人の悪口を言い合いながら、社会に溶け込み仲良く暮らしていける。

戦後、核家族化が進み、小さなマイホームを中心に家族が暮らしてきた。
現在のサポート体制(介護、地域での見守り)には、家族の同意が不可欠である。
認知症になっても、家族は施設に預けようとしない。恥ずかしいのである。
周りが勧めても、家族の同意がなければ、ことは進まない。

私は、直に「高齢者、おひとり様」になる覚悟をしている。
遠くに暮らす家族に頼ることもできない。
子供たちが生まれ育った家を出ていくのは普通だが、再婚を機に私が家を出た。
妻と終の棲家探しの途中である。

「ブランク」という言葉が、頭をよぎった。
かつては、一人暮らしだった。かみさんと一緒になり家族が順に増えていった。
分業のように、家をかみさんに任せ、私は稼いだ。普通のことである。
子供を通して、地域活動にも教育関係の場で、ボランティアをしてきた。
子供が抜けると、その場は無くなった。残ったのは、かみさんと二人の世界である。
ここまでも、普通のことである。

独身の時は、狭いアパートに暮らしながら、友人関係も幅広かった。
隣りに住むおばさんに、夕飯のおすそ分けもいただいたし、先輩にもごちそうになった。
家族を持っても、家族ぐるみで遊ぶことも多かった。
転職、転勤で多くの家族と、出会いと別れを経験した。
続いている付き合いもない。賀状のやりとりも途絶えていった。

どうしてそうなったのかを考える。
生活するために、多くのブランクを作ってしまったように思う。
この地で、ブランクを埋めるような暮らしを続けている。
田舎で、カフェをやるということは、地域や自然と深く付き合うことになる。
地域や自然との関係がない、SNS頼りで華やかな広域の展開はありえないと早くに覚った。

多くの人にとって、ブランクは思い出であり、経験である。
だが、「高齢者、おひとり様」は未知の世界。
問題は、もうそのブランクに染みさえ落とすことができないことである。
ブランクの間に、いろんな汚れを纏い、滓となって、仮面の世界を生きてきた。
私達は、仮面(肩書、役割)舞踏会では、今でも生き生きと踊ることができる。
しかし、いったん仮面を脱ぐとどうだ。菜に塩状態である。
それが、男。

ここで提案。
かつて勤めていた会社に、老後食事を作れない母と二人で暮らす女性がいた。
一日は、一週間分の料理を作り、一食分ずつ小分け冷凍して、チンして食べられるようにした。
残り一日分は、自分のために何かをした。
これは、名案と思った。
食材を買い、一食分ずつ作るのは至難の業です。
スーパーで売ってる食材は家族向けのものが多い。例え、一本の茄子が売られていても一人には多い。
足りない、余るがいつものことになり、多くの残滓を捨てることになる。
捨てるのが面倒くさくなり、そして作らなくなり、コンビニやスーパーで出来合い物を買う。
調味料の加減は、万人向けで少々濃い味となっている。これも長くは続かない。

私は、ごみが出ればすぐに捨てる。細かくても捨てる。落ちてればすぐに拾いゴミ箱へ入れる。
「あとで」は、とうに卒業した。飲み屋のおかみが、「あとで」という。あった試しがない。
洗濯物も洗い物も毎日し、食後必ずやる。
片づけモノをしてから食事を作るのは、時間が盗まれた気がするからである。
高齢者に限らず、捨てられないものが溜まっていく。
一年間、目にしていないものは、数年後も触ることはない。捨ててしまえ。

高齢になってからの友達作りは、容易ではない。
何にも考えない。履歴も必要ない。
ただただ、出来ないことに挑戦し続ければよい。
考えて見れば、出来ないことばかりです。できることは、ほんの少しです。
少しに固執できないはずです。それをやろうとするから、無理がある。
講師を読んで、何かの講義をする。そんなのやめて、自分が学んで講師を引き受ける。
どうして、その講義が必要なのか知ってるのは自分だからです。

そして、早くに好きなことを始めた方がよい。
定年後になってなんて、できっこないし、気分は違う方向に向かっています。
やりたかったことは続かない。昔に戻れないからです。
やってみて、できることとできないことが分かる。
どうしてもできない、ピンポイントを友人にお願いする。全部じゃ引かれます。
ヘルプは早く。そして浅く、短く。
自分は、いろんなことができないのだと知ることです。
できないことを続けるうちに、少しだけできるようになる。

テレビを消して、妻の話に耳を傾ける。
飲み席では、隣の席が埋まらない。高齢になるにつれ、そうなりがちです。
そんならと、席に固執せず動けばよい。話に来た人の盃を断る人はいない。
言ってみれば、待たずに動く。

ああ、難儀な「高齢おひとり様」です。

じょうびたき 悪戦苦闘 癒される

2020年11月5日
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悪人、上等

2020-11-04 01:54:23 | よもやま話

絵のタイトルは、「永観堂」です。
今日のブログに合う絵手紙はこれしかないでしょう。
仏の御心。「ウフフ、オホホ」です。


今日のタイトルは、「悪人、上等」です。
今日は朝からゴルフに出かけます。
よって、昨日書いたブログです。

眠い目をこすりながら、会社に行きました。
すりガラスでできたドア越しに、上司の姿が見えました。
ああ、今日も憂鬱でした。

私は、新妻への想いを込めて小説を書きました。故郷へ恩返しの小説となりました。
小説にはいろんな人物が登場します。私の中では、厚みを増すためでした。
ここで思いついたのが、「悪人、上等」です。
どれだけ悪人なのか、観察するようになりました。
もっとやれと、内心感じるようになりました。
少し、刺激をしたりもしました。
なんだ、その程度かとがっかりすることもありました。

世はこぞって、パワハラ、モラハラの悪人説をはやし立てます。
私の「悪人」はこよなく愛される人物像です。
悪人も人の子です。どこでどう間違ったのか興味津々です。
親が悪かったのか、世間が冷たかったのか。色々、あるでしょう。
でも、悪人です。嫌われ者です。
どう悪いのか、何が嫌われるのか、本人に代わって暴く癖がつきました。

もっと、やれ。
なんだ、そこまでか。
つまらない。

自分に害が及ばぬ限り、観察し放題です。
こんな瓢箪から駒のような発見に喜んだものです。
小説を書こうが、発想の転換になった。
悪人、大好きになったのです。

テレビでやる時代劇。
実に短時間に悪人に仕立て上げ、主水の刃が成敗する理由を分かりやすくしてくれる。
ここまでやるなら、仕方がない。架空の仕事人に任せるしかない。
人々は、密かに大げさに溜飲をさげる。

悪人に共通するのは、唯我独尊であり、裸の王様です。
他人には、スケスケに見える悪癖の数々です。しかし、本人も他人もどうすることもできない。
阿部譲二が書いた小説「塀の中の懲りない面々」は実に爽快でした。
1986年出版、1987年藤竜也主演で映画化されました。
塀の中と外を行ったり来たりする累犯犯罪者の物語です。

左の頬を打たれたら、右の頬を差し出す。
イエスでしたか。こんなことをしようと思ってもできないはずです。
私達は、どこかで許している悪人です。
実際に、税金を使って刑務所を運営し、更生の手助けをしている。
一度張られたレッテルは、生涯付き纏う。その子にも類が及ぶ。
それでも繰り返す。パワハラ、犯罪を犯す悪人です。
やっつけようにもやっつけることができない。

私は、小説の中で愛し続けて更生させる。
ありえないことですが、そうしたい。
生れた限り、何かで人の役に立てることがある。
死の商人と言われたノーベルは、意図せぬ戦争の狂気に使われたダイナマイトで儲けた金を、
後のノーベル賞に使っています。

紙一重の悪人です。善人もきわどいところで、免れています。
いや、きっと行ったり来たりでしょう。
私達の中に巣くう闇です。
「悪人、上等」でした。

もず獲物 貧乏が悪いんか 忘れられ

2020年11月4日
<<あとがき>>
今日は、この記事だけの予定でした。
昨日は定休日で、畑の小豆をおこし、鋤きました。
やめようかなと思いましたが、畝揚げまでできました。
やったね。
もう一つ、記事を載せることにしました。
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