故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

片づけ

2017-10-26 07:36:24 | プロジェクトエンジニアー

夫唱婦随というタイトルの絵です。
阿吽の呼吸とでも言いましょうか。
お互い持ちつ持たれつの関係が夫婦です。
身近な人の幸福を優先するゆえんです。


我が家に、10人のお客さんが来られます。
国際交流授業と、収穫祭への出店、出演で、
横浜及び東京から参加してくださいます。

今日のテーマは、「片付け」です。
私のやり方は、スペースを作る所から始まります。
必然的に捨てるものと捨てぬものに分類することになります。
1年以上使わぬものは捨てるのが主義です。
仕事では、1年以上使わぬものは、処分できました。
履歴として残しておかなければならないものは、倉庫に入れました。
または、マイクロフィルムやCADデータにしました。
スペースを省略するためです。
いずれにしても、どこに何があるか、目録(インデックス)は必要です。

次は、想像力と使い安さです。
田舎で暮らした経験が少ないため、
何がいつ必要になるのか判断がつかないことがあります。
二人きりの生活では、大きな鍋は必要がない。
カフェに多くの客が来る時は、大きな鍋があると便利です。
野菜の収穫適期は、短い。
旬のうちに調理し、保存(漬物、下処理後冷凍など)します。
そんな時も大きな鍋は、必要です。
必要な物が貯蔵でき、いつでも取り出せるようにするために
納屋(倉庫などのスペース)と取り出しやすさの工夫が必要です。

最期に快適さです。
片付けるからには、前より快適にしたいと考えます。
布団は干してふかふかにします。
誰もが使えるスペースを作り、通路(アプローチ)を確保します。
スペースさえあれば、多目的に使えます。
一時的な荷物置き場、座って談笑するなどの目的に使えます。
妻が、台所の不要物を捨てました。
多目的に使えるテーブルの上を空っぽにしました。
デッドスペースを活かすために、電気配線をします。
台所の動線を殺している電気製品をデッドスペースに移動するためです。
家の中の電気容量を最大限に使うために、
電気容量バランスを分配する電気配線をします。
今回は緊急配線のため、ドラムコードで対応します。
妻の想いをかなえてあげたい。

あと一週間になりました。
忙しいなか、スケジュールを組みます。
ぎりぎりの挑戦です。
頑張ってみます。

来る友が 来てよかったと また来たい 

2017年10月26日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過

2017-10-25 07:27:55 | よもやま話

山梨、小菅で見たそば畑です。
もうすぐ、新そばまつりです。


今日のテーマは「台風一過」です。
秋雨が、台風に代わり長い間雨が降り続けました。
台風が過ぎると、畑に出て枯れたエゴマの根を抜き、
家の前のゴーヤを外しました。

あれよあれよと、木の葉は色づき始めています。
長雨で洗濯物が乾かないから出したストーブで、今や暖をとっています。
田んぼが、水瓶の役割をしなかったら、河川は決壊していたことでしょう。
徘徊老人が、田んぼで発見されたと聞きました。
すでに亡くなっていたとも。

季節の移り変わりにやっと対応できているこの頃です。
都会では、季節の変化は緩やかでした。
自分の生活にも、影響は少なかった。
この地では、大忙しとなります。
所謂、冬支度です。
夏野菜を採り入れ、冬野菜を植える。
服の入れ替えも、すぐにやらなくてはなりません。
落ち葉の片づけも日課です。

台風一過のカラッとした空気とは違います。
今朝は霧が一面です。
さあ、元気を出して思いつく仕事を片付けましょう。

ふとんなか 寒くてじっと 寄って来る

2017年10月25日




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死んだ人と話す

2017-10-24 05:25:17 | よもやま話

私よ。というタイトルの絵です。
そう言われても、どれだけの過去を辿ればよいのか、
恥ずかしくなることがあります。
だから、謎かけはやめてね。


今日のタイトルは、「死んだ人と話す」です。
墓が骨壺を置けない位いっぱいになった。
骨を壺から出して、広げた。それでも足りなくなって、
墓地に撒いた。正しい作法なのか知らない。
夢の中のことです。

お袋や親父と話せそうでした。
会うことは出来ないけど、話せそうでした。
たぶん話せる。
自分の中に、死んだ人が住んでいます。
記憶として残っている。
たぶん、こういうだろうな。
自分が過去(記憶)を辿るのか、死んだ人が今に甦るのか。
判然としません。すべて脳の中で起こっていることです。

小説を書いていると、
登場人物は、作者の自分ではなくなります。
主人公は、たぶんこうするだろうな。
作者とは、異なる人格です。
主人公は、架空の人物です。
その人が、生きているかのように読み取れます。
優れた作品でのことです。
脳に刻まれ、身体にしみ込んできます。
あの人のように生きたい。

長い間、会ってない人は、生きていても(死んだとは聞いてない)
過去の人です。墓に入っている親父たちと同じです。
正確にいうと、過去に会ったことがある記憶の中の人です。
電話をすれば話せるし、約束すれば会えるでしょう。
姿は変わっているでしょう。
記憶の中の人は、若いままです。

同窓会に出ると、シーラーカンスに会うような気持ちです。
あれだったのが、あんた。ですか。
化け物が出た。
お互い様。

今の彼とも話せるし、何十年も前の彼女とも話せる。
自由気ままです。
あの時、あんたはこう言った。
そうだったね。そして、お前と別れた。
長く生きてることの楽しみの一つです。

おじさんやおばさんの病気自慢の話を聞くのが辛かった。
今は、普通に話しているし、共感が持てるようになったということ。
ただ、生きている人と話せるほうがよい。
それからどうした。と相手から聞くことができる。
自分だけが、「それからがある」会話は面白くない。
聞きたくないこともあるだろう。
それなりに新しい発見もあるはずです。

たまに、あの時より可愛くなっている人に会うことがあります。
その後、良い人生を送ったんだなと思います。
本当は、見た目の印象だけで、素顔を知らなかっただけかもしれない。

ジャムづくり 弱火ことこと 知恵がつき

2017年10月24日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友情

2017-10-23 07:44:09 | プロジェクトエンジニアー

あんさん、なんや。
とぼっくりが言っています。
とんがらず、仲ようしような。


今日のテーマは、「友情」です。
高校生の頃読んだ、夏目漱石のこころ。
同じ女性を好きになり、友人Kが自殺する。
Kの遺書には、恨み言は何もないが、主人公は生涯背負うことになる。
友人Kのこころを知りながら、女性を妻にする。
こころとは、主人公の嫉妬心や葛藤を描いたものであろう。
高校生の私には、衝撃であった。

私にとっては、友情より愛情を描く方が楽なような気がする。
小出しにして、パロディーにできるからである。

生涯の1/3は、学業や仕事をしている。
その間に知り合った人たちに、友情を感じるのが自然である。
友情は損得抜きというけれど、きっかけは好感である。
こいつも同じなんだ。
違いを見ようとしたら、友情は産まれないかもしれない。
こだわる所は違うけど、心根が同じなんである。

こだわりに気づいてあげる。
一番大切にしていることなんじゃないかな。
案外、本人も知らないこともあるだろう。
お互いにそれを大事にする。
ソーシャルインテリジェンス(SI、社会的知能)とでもいうか、
優しさであり、戦略でもある。
つまり生きる知恵とでもいうような。

わかりやすく言うと、
こいつも、この人も私と同じで馬鹿なんだ。
度が過ぎなければ、誰にもあることです。
長い間音信不通の友人がいます。
どうしているんだろうと、時々思います。

今日はここまでとします。

恋敵 負けてならじに 敵おらん

2017年10月23日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続けること(Part6)

2017-10-22 06:51:52 | プロジェクトエンジニアー

よろしくね。というタイトルの絵です。
恋は、いつでも初舞台です。


今日のテーマは、「続けること(Part6)」です。
過去、何度も悩み苦しんでいることです。
今回は、少し違うようです。
続けなければならないと考えるから辛くなるようです。
少し夜更かしをして、朝早く起きれない日が続きました。
日中、時間を作って書こうと先延ばしにしました。
日中は、やることがありました。結果、書けなかった。

早起き鳥と同じ時間に起きだします。
彼らの鳴き声に意味があるなら知りたいと思います。
少なくとも、鳥の種類を鳴き声で判ればと願います。
自然における季節の変化を読み取りたいからです。
実は、この時間は私にとって至福の時間です。
知識欲を満たし、考えていることを整理する貴重な時間です。

「続けること」ができるのは、喜びです。
今日もできたという具合です。
私のブログ読者の方も同じです。今日も読めた。
「続けること」を楽しみたいと思うようになりました。
突然機能不全に陥り、書ける環境ではなくなるかもしれません。
交通事故にあう確率より、はるかに高い確率です。
しかも年々それは高くなっていくのです。

どうしても、「続けること」が出来ない方に目が向き、残念だと考えます。
かつてはできたが、できなくなった。

考えが少し変わりました。
私達は、毎日進化しています。
出来ないことを知るようになる。
出来ない代わりに、何を考え、どうしようとするのか。
コンペンセイション(補う)することを始めます。
耳が聞こえなくなると、読唇術を始める。
右手が使えなくなると、左手を使い始めます。
両手が使えなくなると、両足を使い始めるでしょう。
これも進化です。
身体は退化するけど、意識や考え方はどこまでも進化し続けます。
そして、人が許せるようになるのでしょう。

「続けること」は、続かないことのバロメーター(指針)かもしれない。
「続けること」で、続けられないことを知ることになる。
それでよい。

老鶏も 鼻水垂らし 初舞台

2017年10月22日

過去、同じ「続けること」をテーマに書いています。
続けよう、続けたいともがいています。
続けられたら、ラッキーかなです。

2015年4月6日投稿記事「続けること」が最初です。
重くても続けることの代表選手が仕事です。と書いています。

2016年5月29日投稿記事「続けること(Part2)」では、
毎日の足音がこやし。と書いています。

2016年8月22日投稿記事「続けること(Part3」では。
一人の満足のために続ける。と書いています。

2017年8月6日投稿記事「続けること(Part4)」では、
やりたいことがあったら、全てのことを同時にとりかかる。と書いています。

2017年9月12日投稿記事「続けること(Part5)」では、
続けることは、そんなに大変ではない。
少しずつしかやれないから、日々やるだけです。と書いています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする