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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ゆらゆら

2017-02-08 06:22:54 | プロジェクトエンジニアー

この絵のタイトルは、「河童の成長」です。
きうりの餌に食いついてくれるでしょうか。
女の裸の方が良いかな。
これから、いっぱい女の人にお世話になりなさいよ。
そして自分を磨いてください。
女の人にお礼も言ってね。


今日のテーマは。「ゆらゆら」です。
物が空中・水上などでゆるやかにゆれ動くさま。
いそがないさま。徐々。ゆるゆる。
(広辞苑より)

私の「ゆらゆら」は、女の人のお尻であったり、胸であったりします。
走ってくれると、なおありがたい。

こんな出だしで今日も始まりました。
どうして、「ゆらゆら」が気にかかるかと考えました。
水面に反射した光が、池の傍のお茶室の壁で揺れている。
これを表現する日本語を探していました。
今度開店するカフェの名前にしたかったからです。

そうです。
せっかくお茶にするなら、いそがない。
気分は、ゆるゆるになっていただきたい。
このアイデアが妻に受け入れられるか不安です。

想いはゆらゆら。
決心もゆらゆら。

学生時代に見た「酔拳」の演武を思い出しました。
少林寺拳法を習っている後輩が披露してくれました。

ゆらゆらと身体が揺れているように見えました。
的確な蹴りと突きが、どこからともなく、いつとは言わず出てきました。
相手を倒すでもなく、身を守るでもなく。

夕暮れ時、太陽が海に沈む前のゆらゆら。

たんぽぽの綿毛が、風に誘われゆらゆら。

女の額に張り付いた髪から、なにやらゆらゆら。

雨上がり、板塀からゆらゆら。

ろうそくの灯りが、酔っぱらいの上をゆらゆら。

たまらない時間の流れです。
杜甫の詩でも吟じたい。

こころが解放される瞬間が、「ゆらゆら」です。

ハードルを上げてしまいました。
俳句が書けません。
それでも一句。

縁側で 鼻水たらし ゆらゆらと

2017年2月8日
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紙一重

2017-02-07 03:08:23 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、「いつから眼鏡を」です。
入学の時はしていない眼鏡をかけるようになりました。
やっと見つけた一枚を似顔絵にしました。
眼鏡姿もなかなか素敵です。


今日のタイトルは、「紙一重」です。
紙一枚の厚さほどのわずかなへだたり。(広辞苑より)

寝室の障子を張り替えました。
修繕が間に合わず障子がないまま寝ることになりました。
寒いことこの上なく目が覚めました。
紙一枚、侮るなかれとタイトルにした次第です。

この地域は、40cmの柱に80cmの梁で出来た家です。
部屋を隔てるのは、襖と障子です。
若夫婦の最初の仕事は、嫁入り道具の箪笥の金具に布を巻くことです。
聞いたときは、大笑いをしました。
こちらは、紙一枚にわずかな抵抗、大きな効果の布一枚です。

コーヒーを淹れる時の濾紙も紙です。
もろみ酢を濾過するときも1㎛の濾紙で濾すと聞きました。
紙一枚の凄さを感じました。

アスリートの感覚は紙一重なんだけど、きっと大きな開きがあるのでしょう。
紙一枚でプライベートが保たれる。
行燈の紙から漏れる光に癒される。単なる風を遮る紙なのに。

日本の家屋は紙と木でできていると、外国の人に揶揄されることがあります。
木は、乾燥するごとに強くなる。虫を殺す煙も大事な役目を果たします。
襖に描いた絵柄に癒される。

我が家の障子は雪見障子です。
雪見障子のガラス窓は、取り外しができます。
ガラス窓が、障子に仕込まれたわずかな隙間を上下に動きます。
障子の紙の張替えの時窓ガラスを外すためです。経木師の細工です。

金魚すくいの網も紙製です。
下駄の鼻緒も紙製でした。
布団だって、鯉のぼりだって紙製でした。

紙一重。
凄さを実感した夜でした。

行燈の 揺れる灯りに 願い事

2017年2月7日
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なくしたものを数える

2017-02-06 02:50:32 | よもやま話

タイトルは、「まだまだこれから」です。
自信があるようなないような。
しっかりした顔立ちです。
そう、まだまだこれからです。


今日のタイトルは、「なくしたものを数える」です。
なくしたものとは、あれこれあるような気がします。
あの時こうしていれば、今は違ったことになっていたかもしれない。

しなかったというより、できなかった。
金がなかったというより、知恵が足りなかった。
努力しなかったというより、どうしたら良いか分からなかった。

あれがなくすということだったのか。
あの時失くしたけど、いずれは失くしたように思う。
抱えている荷物が重すぎた。
抱えるだけの覚悟もなかった。
ただただ、足りないと思っていた。
今、思うと足りなくはなかった。
十分備えていた。
でも自信がなかった。

失くしたものというより、掴もうとしないだけだったような気がする。
自信がないから。常に自分にNG(No good)を出していた。
諦めるように忘れて、次のことに夢中になり、それも続かない。

続かなくても良かった。
無駄なようでも続けたから、見えるようになった。
見えるようになってから、失くすことが怖くなくなった。

得ることがあれば、必然的に失くすものがある。
失くしても良いと思うから、得ることができる。

「失くしたものを数える」
失くして、ポキンポキンと折れたような失意(リセット)の連続かと思いきや、
今は、すべてつながっていることだと気づいている。
失くしたから、得られるような。
得られることが嬉しい。ありがたい。

今は辛いけど、我慢して続けてきたから得た時の喜びがある。
得ていると実感がある。
失くしてばかりの頃は、得たことに気づかなかった。
いや、あることに気づかなかった。
生かされていることに気づけば、もっと良かった。

失くしたものを数えています。
「失くす」と考えること自体、傲慢のように思う。

戦争で故郷を破壊された時、愛する妻を亡くした時、
そんな悠長なことを言ってはいられない。
それでも受け止めざるを得ない。
現実からは逃げられない。生きる努力をしなければならない。

生きている限り、エネルギーを消費する。
その消費が、失くすことでもある。
だから補充する。その繰り返しである。
生きること自体、余力なんてない。
精一杯となる。

腹が空いては、戦はできぬ。

胃袋を 掴んでみても みえぬもの

2017年2月6日
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類は友を呼ぶ

2017-02-05 05:54:51 | よもやま話

タイトルは、大人になっても同じ顔。
印象です。
あひる口の可愛い子です。


「類は友を呼ぶ」
似た者同士は自然とより集まる。(広辞苑より)

趣味が似た者。
考え方が似た者。
信仰が同じもの。
価値観が似た者同士の結婚。

妻が言いました。
苦手な人ほど、解ろうと努力をして付き合う。
そうすれば、相手も気づきいつしか親しくなれるよ。

私は、第一印象で人を判断することが多かった。
出会い帳場の仕事場でした。
瞬時の判断ミスが命取りになると、常に緊張していました。
いつも自分に都合の良い物差しと、スクリーンを持っていました。
物差しで測り、スクリーンを通して見ることで瞬時に判断していました。
物差しやスクリーンを持ち磨くために常にシミュレーションのような
問答をことあるごとに繰り返してきました。

類は友を呼ぶ。
どうしてもそうなりがちでした。
会社は、一つの目的(金儲け)のため
方向性さえ間違っていなければよかった。
そんな仕事しかしてこなかったとも言えます。

地域で生きることは、違いました。
いろんな方がおられます。
類は友を呼ぶ。では成立しないように思います。
合わない人とも付き合っていく。
無理がないように、相手を理解する。
理解しようとすると、笑顔が出るようになりました。
これまでの特化した生き方では通じない。
笑顔で話すと、笑顔で返してくれます。

第一印象癖は抜けません。
でも、第一印象でやめずに話すようにしています。
あれと、第一印象とは違うものを感じることがあります。
相手の方も同じようでした。

極意とは 続けることが 学ぶこと

2017年2月5日
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踏襲

2017-02-04 06:45:49 | プロジェクトエンジニアー

友達とタイトルをつけました。
友達が少ないと感じたのか、
そんなことはない。
この子には、積極性がありました。
引き続き頑張れ。


今日のタイトルは、「踏襲」です。
前人のあとをそのまま受け継ぐこと。(広辞苑より)

おそらく、プロフェッショナル「彩色復元師・荒木かおり」を視た影響で、
「踏襲」という言葉をイメージしたんだと思います。
いま、悩んでいることがあります。
「地域活性化」として、何か話してほしいとのことでした。

この地域でよく聞く言葉で、心に引っかかるものがあります。
「ここでは、こうなんよ」
「なぜか、昔からこうしている」
きっと、他の地域へ行けばそこでも同じ言葉に出会うことでしょう。
荒木かおりさんは、復元する時作品の時代背景や作者の心を読もうとされます。

地域おこしの一部がこれなんじゃないかと推測しました。
荒木さんの仕事ぶりに感銘したから、こじつけのように考えたのかもしれません。
それでも良いと思います。荒木さんほど「ピーン」とは来ませんが。

悩んでいることが、ひと言で解決することがあります。
プロジェクトの時のコンセプトです。

今、昔のカフェを借りて新たに再開しようとしています。
中の調度品や外観に想いが詰まっています。
出来るだけ前人が醸し出そうとした雰囲気を活かそうと思います。

地域の活性化とは、地域の皆さんのイメージの中では、
元のような街並みであり暮らしかもしれません。
私は、今は街並みを復元することは出来ません。
人のこころは復元できるかもしれない。

「ここでは、こうなんよ」
この言葉に寄り添うことで、何か見えてくるんじゃないかと感じました。
最初聞いたときは、なんか鼻につく感じでした。
いやいや、ここの人も「なぜか、昔からこうしてる」なんです。
きっと、それが心地よくて受け継がれてきたのではないでしょうか。
味であり、生き方です。つまり知恵です。
盆祭りや奉納相撲の時の生き生きとした動き(奉仕)の説明がつかなかった。
何か俺にもやらせてくれという、やって当然の雰囲気です。
染みついている。皆と何かをやることが楽しくて仕方がない。

だから、歴史や地理や暮らしを学ばなければならない。
他で成功したことが、ここでは成功になるとは限らない理由です。
独りよがりです。

荒木さんは、「学ぶことは続けること」とお父さん(復元師)から教わったそうです。
私も発展途上です。
仕事は奥が深くて楽しくて仕方がないことと思えるようになりました。

難ごとも いつか芽が出て 花が咲く

2017年2月4日
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