手放しで叫んでみたいものです。
幸せだ。
私も。
と言ってくださいますか。
今日のタイトルは、「本音で話す」です。
私がこだわる言葉の一つに、「本音」があります。
何度となく、この言葉について書いています。
あなたは、結婚相手に自分の携帯電話を見せることができますか。
私は、長い間できませんでした。
見るつもりも、見せるつもりもありませんでした。
いつしか、本音で話さないと覚えられなくなりました。
「恥の上塗り」もできなくなりました。
真実と嘘の境もつかなくなりました。
毎日、ブログと絵手紙と俳句を書いています。
本当の気持ちを表現できません。
何か違う。
近づけるよう努力していると言っても良いでしょう。
本音で話しているようでも、どこかで自分を擁護しています。
第三者になって、自分を評価したいと書いています。
本音とは、
真の音色。
本心から出たことば。たてまえを取り除いた本当の気持ち。(広辞苑より)
このように、何度も広辞苑を引用しています。
本心とは、
もちまえの正しい心。良心。
本気。正気。本性。
うわべでない、本当の心。本意。(広辞苑より)
たてまえがない社会は考えられない。
だから、「もちまえ」と言い自分の嘘偽りのない持説をもち話すこと。
なにしろ、「たてまえ」が染みついています。
持説さえも、ころころ変わるありさまです。
自分の中の本当のこころを探しています。
「本音で話す」以前の問題です。
確かに言葉に騙されなくなりました。
相手の表情を読み取り、脈絡から推測できるようになりました。
感受性が弱くなり、相手の言葉が響かなくなっています。
「そんなこともあろうな」という感覚です。
正しく伝え聞くには、正しく伝える努力をしなければなりません。
自分の苦労した分だけ、相手の気持ちや本音が伝わると言われます。
終わりがありません。
今回もわかりませんでした。
ゆりが揺れ あなたが去って 雲に問う
2017年2月14日
2015年8月7日投稿記事「本音」を参照してください。
2015年5月31日投稿記事「本音が言える」を参照してください。
どちらの記事も本音で話したり、感じたりすることが
どれだけ素晴らしいことかと書いています。
難しく考えることはないようです。
本音で話す場に自然と近づいていくようです。
これからも何度となく「本音」旅は続きます。