楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

心臓の治療(3)

2021年01月10日 05時01分51秒 | 日記
12月21日再入院。

前回もそうであるが、
入院には、付き添い、面会は、
新型コロナの関係で病院側からお断りである。

27年前は、足の動脈からカテーテルを入れ、
心臓の周りにある冠状動脈まで進め、
狭くなっている部分に風船を入れ、
風船を膨らませることに依り、
狭くなっている血管を広げる作業をした。

治療が終わり、足の動脈からカテーテル(針金状のもの)を抜き、
血止めをするのに担当医師が15分ほど傷口を押さえた。
その後、傷口を押さえるために足を結わえ付け、
傷口が癒えるまで足を強く締めて、
6時間絶対安静にしていなければならなかった。
足は動かすことが出来ないようベッドに縛り付けて、
6時間同じ状態で居なければならなかった。

これはなかなか厳しい状態である。
もしも傷口が開いてしまうと、中から血液が飛び出して、
天井まで吹き上がるとの事、
そして命にかかわることになる、と言われていた。
この6時間の絶対安静は今も同じらしい。

点滴をしたままであるから、トイレに行きたくなる。
しかし起き上がることは出来ない。
そこで手術前から導尿(尿の道筋に管を入れて尿を導く)のゴムパイプを、
尿道に入れて置き、尿が自動的に流れ出るようにして置く。
この作業を医師がするのであるが、
研修医にこの作業をさせることになった。

この時の研修医が、たまたま女医さんであった。
研修医と言うからには、若くて綺麗な女医さんであった。
陰茎を持ちあげて、尿道にゴムパイプを差し込んでいく。
若くて綺麗な女医さんが持ちあげた時、
流石のボクも陰茎が大きくならないように、
我慢するのがやっとであった。

治療後の絶対安静。
ここは命と引き換えになることから、
6時間じっと耐えたが、
風船で膨らませた血管は、
何時までもそのままでいられれば良いが、
時には、また元に戻って狭くなってしまう。
つまり以前と同じ詰まった状態に戻ってしまう。

広げたままになって居るか、
元に戻って細くなってしまうかは、
3か月後に確認する必要がある。
元に戻ってしまうと、もう一度針金の先に風船を付けた
カテーテルを心臓まで入れて、
風船を膨らませる必要がある。

同じことを何回も繰り返さなくて済む様に、
風船の上に籠を乗せ、
患部まで届いたら風船を振らませ、
風船の上に置いてあった籠も一緒に膨らませて、
その籠を患部に置いてくる治療が開発された。
これなら広げた血管が再度狭くなることは無くなる。

さて、今回の入院では、その籠をいれる治療をする。

翌日の手術の準備に取りかかる。

カテーテルは、左手首から入れる。
手術の内容を担当医師が説明に来る。
患者の同意を得るための説明。
今までに200例の経験があり、
失敗は一度もないと安心させる。
それでも万一のことを考えて、
陰毛は剃って置く様にという。

途中で失敗の時は足からカテーテル入れて、
未然に防ぐとと言うことらしい。

その説明の後、陰毛を剃るためにシャワー室に行き、
陰毛を電気カミソリで剃り落とす。

そり落とした陰毛はシャワー室にそのままにして置いて良い、
と看護師さんの話。

翌朝、11時から手術。




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心臓の治療(2)

2021年01月08日 03時28分39秒 | 日記
血管の中にカメラを入れる。

右足の詰まりを調べるための作業である。
その結果が、次の通り。

兩足の動脈図、


上の写真の〇印で囲った血管の流れ道が狭くなっているのが解る。
この部分を広げて、血液の流れをよくすることにより、
足の痛みを和らげることが出来る、と言う。

足の血管の詰まっている事はよく解った。

ところで、この右足の状態を調べるには、
左手首の動脈からカテーテル(針金状のもの)を入れて、
心臓を経由し、足の動脈をたどって行き、
血管の詰まっている部分を見つけたのであるが、
心臓の血管のつまりは、この時判明した。

心臓の血管の詰まっている写真(心臓拡大図)


〇印で囲った部分の血管が細くなって居るのが解る。

足の詰まりより先に心臓の血管のつまりを、
まず、広げる必要がある。
ここが詰まってしまうと、
心臓の壁に血液を送ることが出来ないから、
心臓が動かなくなってしまう。

心臓が止まれば・・・・
どうなるかは自明のことだ。

ここまでが12月7・8・9日まで、

検査入院で得た状況。


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心臓の治療(1)

2021年01月06日 02時53分11秒 | 日記
もともとは糖尿病の合併症の足先と
手先の痺れが発端です。

足の痺れと痛みが激しくなり、
特に右足の痛みが腰から爪先までつながり、
15分も歩くと、痛みで動けなくなる。
休んでから歩くを繰り返していた。

糖尿病の医師に話すと、
片足だけでは糖尿病が原因では無いと、
とりあってくれない。
仕方なく整形外科に行って検査すると、
脊椎に損傷があってそこからくる痛みであろうと、
血液の循環を良くする薬と痛みを和らげる薬を処方された。

所が二週間たち、一月たっても痛みは一向に改善されない。
その内、痛みと痺れはおよそ五千歩も歩くと、
右足だけでなく、左足も痛くなり、
一度立ち止まって休み、しばらくしてから歩きだし、
500歩も歩いては、また立ち止まらなければならなくなった。

糖尿病を持って居るので、
毎日一万歩以上歩くことが義務づけられている。
その為、午前に6千歩、午後6千歩歩くのが日課であるが、
午前の6千歩のうちに、
ひどい時は10回も休まなければならなくなった。
両足に走る痛みに耐えられないのだ。
右足はふくらはぎから下に、左足はくるぶしから下へ、
足の裏全体にまで痛みが走る。

痛みの範囲は日を追うに従い、範囲が広がって行く。
右足の痛みは、初めくるぶしから下であったのが、
ふくらははぎから下へ、そのうち太ももから下へ、
最近は右腰のあたりから下へ足の裏まで痛みが続く。

糖尿病の医師に話すとやっと腰を上げて、
両足の血液の流れを検査することになった。

検査結果は何時ごろ出るのか、
家で待機していると、
「右足に異常が見つかった」
と病院から電話がある。
右足の血流に異常が見つかり、
腰の部分にダメージがあり、
その結果、右足先への血流が良くない、
更に詳しい検査が必要との事。

造影剤を注入し両足のCTスキャンを撮る。
しかし結果は、血管が石灰化して居り、
血管内が見えない。

そこで血管内にカメラを入れて監査することにした。
ここまでが11月の話。





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玄奘も学んだナーランダ仏教大学遺跡(インド紀行7)

2021年01月03日 04時21分57秒 | 海外旅行1

(玄奘も学んだナーランダ仏教大学遺跡)

ツアーの三日目は、
いよいよ待ちに待ったナーランダ仏教大学遺跡を訪ねる。
七世紀に中国を脱出し、長い困難な道のりを越え、
仏教の経典を求めてやってきた玄奘三蔵が、
抱いていた仏教への疑問を解決し、学僧数千人を集めて、
講義をした大学跡である。

ナーランダ仏教大学遺跡は、石で建造された巨大な礎石だけが残る。
講義室、学生の宿舎は四人一室で起居し、勉学に励んだ跡が残る。



(講義室の教壇は一段高くなって居る)

部屋の4隅には、四人分の本箱といわれる場所があるが、
当時の本は一体どんな形をしていたのであろうか?
すでに紙が発達していたのか、
絹に書き込んだものだろうか、
もし木簡であったとすれば、本箱が小さすぎる。
絹であればなおのこと、紙で作られた本でも高価すぎて、
学僧の手に入るものではない。

教壇は現在の小学校にあるほどの大きさはあるが、
講義室は小学校の半分程度の大きさであるが、
沢山の講義室、宿舎が並び、
学校の大きさは三平方キロに渡るというから、
相当な広さであったに違いない。

もちろん、講義室には机もなかったが、
学僧は地面に座って講義を聞いたのであろうか?
2006年のインドの田舎の村を訪ねると、
小さな黒板を日陰に立てて、
子供達十人ほどが車座になって、
教師らしき人の声に合わせ、なにやら復唱する声が聞こえたが、


(子供たちの授業風景)

ガイドの説明によれば、田舎の小学校だというから、
ナーランダ仏教大学でも、同じように学僧たちは、
地面に座って講義に聞き入ったに違いない。

玄奘三蔵は、経典657部を携え、唐の都に帰っていった。
中国脱出後17年の後であったという。
故郷に帰った玄奘は、
経典の翻訳に一生をささげるつもりであったが、
時の皇帝は国防のため、
当時明らかでなかった西域の国々
(中央アジアやインド)について知識が必要であったため、
玄奘に「西域記」の編纂を命じた。
これが有名な「大唐西域記」である。

話は変わるが、
その昔、ボクが子供のとき、絵本ではなく、
文字だけの本を初めて買ってもらったのが「西遊記」であった。
三蔵法師に孫悟空、猪八戒、沙悟浄の活躍に
胸躍らせた記憶が焼きついている。

玄奘三蔵法師の伝記「慈恩伝」を面白おかしく物語にしたのが,
この「西遊記」である。
いつか、孫悟空の歩いた道を歩いてみたいと思った夢が,
実現できるとは思っても見なかった。
玄奘が学んだナーランダ仏教遺跡を訪ねることが出来たことは、
実に感慨深い。



(ナーランダ仏教大学遺跡)

なお、余談であるが、
玄奘の遺骨は第二次世界大戦中に南京で発見され、
その頭骨が日本に持ち帰られて、
さいたま市岩槻区(元の岩槻市)にある、
慈恩寺に埋葬されており、
その一部は、ノーベル平和賞を受賞した 時の首相 佐藤栄作氏により、
台湾の玄奘寺(慈恩寺)に分骨された。


(岩槻区の慈恩寺)


(玄奘の遺骨が埋葬されている場所)
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おめでとうございます!

2021年01月01日 04時05分26秒 | ひとり歩き旅







2021年が、希望の年になりますよう!


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