楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

慈眼寺ー芥川龍之介ー司馬江漢ー谷崎潤一郎

2012年04月14日 10時30分35秒 | つれづれなるままに考えること
染井霊園の隣、慈眼寺に、
芥川龍之介のお墓がある。
以前、訪れた時は、芥川比呂志、也寸志両兄弟のお墓もあった様に思う。
芥川一家は超有名人だから、別に分けたのかもしれない。


(慈眼寺の入り口)


(芥川龍之介の墓は左手の小さい方、俗名が書いてある。)
著名な小説家。今の芥川賞の名はこの芥川龍之介による。
小説、羅生門、鼻、河童で有名。


(司馬江漢の墓)
江戸時代後期の洋風画家で蘭学者。
はじめ狩野派に学んだが飽き足らず、
浮世絵師鈴木春信に師事して、
春重の名で「夏月図」等を発表した。以下省略。(東京都教育委員会)
板橋区立美術館で江漢の浮世絵を何点か見たことがある。


(谷崎潤一郎の墓、分骨されており他にもお墓があると聞いている。)
耽美派の小説家。
小説 細雪、春琴抄などで有名。
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勝林寺ー染井霊園隣り

2012年04月13日 10時19分47秒 | つれづれなるままに考えること
染井霊園隣接の勝林寺には田沼意次のお墓がある。

田沼意次は徳川幕府の財政再建に尽力し、景気の浮揚を図ったが、

一方で賄賂で相当太ったとも言われている。

実際には英断実行型の政治だったらしい。


(勝林寺の変額


(田沼意次の墓)
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お散歩道で

2012年04月12日 10時14分17秒 | つれづれなるままに考えること
お散歩道は今や花盛り、何時散るかわからない。

散る前に存分に花を楽しんで置きたい。


(水上バス乗り場)


水上バス乗り場2)


(水上バス乗り場の対岸)



(桜のトンネルを歩いて)



(桜のトンネルを戻る)

この時期どこを歩いても桜に出会う。

日本には、沢山の桜の木が植えてあるものだ。

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ソメイヨシノ発祥の地ー染井霊園

2012年04月10日 10時33分13秒 | つれづれなるままに考えること
座る隙も無いほどに宴会で賑わっている、花見の桜はソメイヨシノである。

満開の桜ー染井吉野は、
染井村の植木職人ヨシノさんが接木をして作ったので、
ソメイヨシノと名づけられたと、ボクは聞いている。(実際はどうか疑わしい)

このソメイヨシノはオオシマ桜とエドヒガン桜を交配して出来たという。
成長が早く、花が少しピンクかかっていて美しい。

ソメイヨシノが出来る以前は歌に詠まれた桜は、全て山桜であったそうな。
本居宣長が詠んだ有名な歌、
・敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜かな
にあるように山桜であった。

ソメイヨシノ発祥の染井村は、今の豊島区駒込にあった、
植木職人が多い村であったそうだが、
今地名として残っているのは、この染井霊園だけのように感じる。

JR巣鴨駅前にある、いわゆる「おばあちゃんの原宿」で有名な、
巣鴨商店街の入口とは道路を挟んで反対側の一本裏手にその霊園はある。

霊園は、ソメイヨシノを創作した場所だけに、
ソメイヨシノがあっちこっちに植えられていて、
今や桜の下ではお墓であるにもかかわらず、
宴会の真っ盛りであった。


(染井霊園へ行く地図の表示板)


(染井霊園入り口)


(満開の桜)


(満開の桜1)


(満開の桜2)

この染井霊園は、また、有名人のお墓があることでも知られている。

知恵子抄で有名な高村光太郎、
今の東京藝術大学創設者 岡倉天心のお墓
長谷川辰之助ことペンネーム
「くたばってしめい」と自虐的につけた二葉亭四迷のお墓、
藤堂家11代藩主 藤堂 高猷(とうどう たかゆき)の墓、etc.

(高村光太郎の墓)
妻の智恵子を詠った詩が有名。ボクは「路(みち)」の詩が好きですね。
(ボクの前に道は無く、ボクの後に路は出来る)そんな詩だったようにおもう。
本業は彫刻家で十和田湖の婦人像は素晴らしい。


(岡倉天心の墓)
日本美術学校(今の東京藝術大学)の設立に大きく貢献した人。
日本美術院の創立者として有名である。


(長谷川辰之助こと二葉亭四迷の墓)
小説「浮雲」で有名。ペンネーム二葉亭四迷は自虐的な名前で
(くたばってしまえ)という意味らしい。
ボクはこの小説を読んでいない。



(藤堂高猷の墓)

藤堂高猷は藤堂高虎後11代藩主であるが、
藤堂家は浅井家ー豊臣家ー徳川家と主君を変えた初代の家訓に習ったのか、
明治維新前夜幕府軍から官軍に寝返った。
忠義が重んじられた武士社会の中にあって、
すばやい身の振り方は、
家臣を路頭に迷わせないための手立てであろうか。



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いろはにほへとー色は匂へどー桜の花は咲いたけど

2012年04月07日 14時36分19秒 | つれづれなるままに考えること
いろはにほへとー桜は美しく咲いたけど
ちりぬるをー散ってしまった。

もう半世紀も昔の話。旧帝大のテストに、
「いろはにほへと・・・」の31文字はどういう意味か?
という問題がでた。

人の生涯には有為転変があり、栄枯盛衰は、
ただただ春の夢の如し、桜の花のように。
というのが答だろうか。


(開花前の浮間公園)

(風車の後ろが白く満開)


(開花前の風車)

(ごった返す風車前の花見客)



(開花前の風車景色)


(開花後の風車景色)



(開花前のトンネル)


(満開の桜トンネル1)


(満開後の桜トンネル)

朝(あした)に紅顔ありて、夕べには白骨となりぬ。
と無常の世の中、ありえないことではない。
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