楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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七重八重花は咲いたが・・・

2012年04月20日 09時59分23秒 | つれづれなるままに考えること


(今、盛りの山吹。これは一重の山吹が、七重八重と咲いている。)




「七重八重花は咲けども山吹の みの一つだになきぞかなしき」

大田道灌が鷹狩の途中、雨に打たれてやもうえず、

山家の家に入って「雨具を所望したい」とお願いする。

小女が応対に出て、困った顔をしておくに入る。

しばらくして、小女は山吹の枝を一本、

お盆に載せて太田道灌に差し出す。

武骨一辺倒の道灌、「みの」が「実」と「蓑(みの)」(当時の雨具)

をかけた短歌があることを後になって知る。

教養の無さを感じ入った道灌は、以後勉学に励んだ。という逸話か創り話か。


さて、この中の「七重八重」は山吹の花の事で、

ボクは長い間「八重咲きの山吹」と思っていたが、

「七つも八つも重なって咲く山吹」をさしている意味とも取れる。

どちらが正しいか調べたら、

「一重咲きの山吹は実を結ぶが、八重山吹は実を結ばない」から

「八重山吹」の意味だという意見と、

「七つ八つと重なって咲く山吹」の意味と両方の解釈がある。

さあ、皆さんはどのように解釈されますか?

確かな事を教えて欲しいのですが・・・



コメント (4)
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