二宮尊徳翁曰く、
人、生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。
学んで道を知らざれば、学ばざると同じ。
知って行うことを能はざれば、知らざると同じ。
故に、人たるもの、必ず学ばざるべからず。
学をなすもの、必ず道を知らざるべからず。
道を知るもの、必ず行はざわるべからず。
人として生まれてきた以上、学び続けるべき。
学校の勉強だけでなく、
人の話を聞いたり、
ものを見たり、
本を読んだり、
仕事をしたり、
様々なことで学ぶことはできる。
そして、学んだ知識を使う道を知るべき。
ここで言う道とは、「物事のあるべき姿」を指す。
道を学んだら、実行に移すべきである。
会社はどうあるべきか。
父親はどうあるべきか。
母親はどうあるべきか。
社員はどうあるべきか。
市民はどうあるべきか・・・。
それを知るために、学ぶべきと人に説いた。
二宮尊徳 幼名 二宮金次郎は、
貧乏で親孝行で、よく学び、よく働き、
物事のあるべき姿、つまり本質を良く知り、
実行に移したと言われます。
「それ実地、実行を行う」と言い残しました。
日本の小学校には、校門のところに、
薪を背負い、読書している、
二宮金次郎の銅像がありましたが、
今はあまり見かけませんね。
一説には、歩きながら読んではいけない、
現代の「歩きながらスマホを見てはいけない」
つまり「歩きスマホ厳禁」に、
通じるからだと言います。
神奈川県の二宮町の小学校に、
その銅像があるのを見かけました。
学問は死ぬまで着いて回ります。
毎日が勉強です。
尽きることが有りません、
二宮尊徳の様に、
その知識を生かして実行することは、
なかなか難しいです・・・
二宮尊徳のお墓は、
駒込の「吉祥寺」にあります。
ボクは、学校を卒業して64年経ちますが、今でも、
毎日、2~3件は新しいことを学んでいます。
その知識を生かすことがだんだん難しくなってきました。
どうか皆さんには、知識を生かして、
正しい道を歩まれますよう願っています。
私もこの歳になると、学んだ知識を使う道を知るのは難しい気がします。
現在では見られないその理由の一つが、歩きながら読んではいけない、とか「歩きながらスマホを見てはいけない」に通じるからですか。
二宮尊徳の銅像を設置した本来の設置目的からかけ離れていますね。
時代の流れで消えるのは寂しいです。
>重文はどう使うのでしょうか?
私も詳しくないので調べてみました。
辞書によると、主語と述語をもつ関係が二つ以上並列的に含まれる文、と説明し、例えば「冬が去り、春が来る」とか、「花は咲き、鳥は歌う」などのように、主語述語が二つ以上並列的に含まれる文のようです。
将軍が江戸城から日光へ行く「お成道」の途中にあるお寺「吉祥寺」です。
ボクは尊徳の像が無くなったあと
「それ実地実行を尊ぶ」を高校で学んだ記憶です。