どうゆう訳か、3月のある日、
散歩の途中に口に出てきた歌、
♪フランシーヌの場合は あまりにも哀しい♪
出てきたのはこれだけで、後の歌詞は覚えていない。
口ずさんだ曲は合っていた。
後が思い出せなくて、帰宅後調べた歌詞の一部は
下記の通りであった。
「フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ(後略)」
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ(後略)」
(Youtubeから)
フランシーヌの場合ー新谷のり子
3月31日の朝日新聞の記事に基づいて作られた、
作詞いまいずみあきら、作曲郷五郎。
新聞記事は、「女性が焼身自殺」の見出しで、
「パリ30日発=APP」30日朝 拡大パリ会談の会場から
200メートル離れた路上で、
30歳の女性がシンナーをかぶって、焼身自殺した。
フランシーヌ・ルコントと言うこの女性は、
ベトナム戦争やナイジェリア内戦に心を痛め、
自殺した時もピアフラ飢饉の切抜きを持っていた。(後略)」
とあった。
あまりにも悲しい話だ。
今、ロシアとウクライナ、イスラエルとガザ地区などなど、
いくつかの戦争が有るが、
戦争は「人の命を奪うもの」と考えると、
仕掛けた国のリーダーは、
自分が殺される立場になることを、
考えたことが有るのだろうかと思う。
死の苦しみ、近親者の悲しみなどなど、
人が造ってきた遺産を粉々につぶして、
復興させるのにどのくらいの労力とお金がかかるのか、
人の命の重さをどれほどのものか分かっているのだろうかと
考えるとやり切れない。
神様が戦争を仕掛けた張本人に鉄槌を振り下ろしてくれることを
願って止まない。
「フランシーヌの場合」、よく聴きました。
何かもの寂しげな歌だったように思います。
この曲が作られた背景は聞いた事がありますが、忘れてしまいました。
>神様が戦争を仕掛けた張本人に鉄槌を振り下ろしてくれることを願って止まない。
残念ながら神様はいないですね。
神様を盾に戦争が度々起こっているぐらいですから。
人間って馬鹿な事を平気で行いますね。
戦争を仕掛けた権力者は、戦争に携わっていない民間人を殺しても、自分は死なないと思っているでしょうね。
人間がいる限り、戦争は無くならないと思います。
人間って、本当に優れた動物なのか疑問です。
>「フランシーヌの場合」、よく聴きました。... への返信
>残念ながら神様はいないですね。
そうですね。こう書かないと文章を終わらせることが出来なかったのです。
第二次世界大戦の時は、小2で、疎開して、
食料増産で芋つくりは覚えましたが、
勉強はほとんどしておりません。
そもそも先生がいなくて、女学校を出て居れば、
代用教員で先生に成れたのですから、
今では小3で習う分数も、
来週、小学校を卒業すると言う最後の授業で習っていましたから、
殆どの生徒は分数を分からずに卒業しました。
だから中学に行っても算数だけでなく、
その他の科目もほとんど分からず仕舞でした。
芋の作り方は知っていても・・・
我々の青春そのものの曲という感じです。
でも、 フランシーヌがベトナム戦争やナイジェリア内戦に心を痛めて焼身自殺した女性だというのは忘れていました・・・(-_-;)
>焼身自殺... への返信
如何いう訳か分かりませんが、
3月になるとこの歌を思い出すのです。
ふと口ずさんで、どうしてこの歌が出てくるのか、
不思議に思って調べると、
反戦歌だと言うことが分かり、
心の底に残っていた、戦時中を思い出します。