楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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唇に笑顔が

2014年06月04日 17時23分17秒 | ひとり歩き旅
(五輪のマーク)


自然観察公園に行くと、いつ造られたのか五輪のマークが、
公園の木と木の間にぶら下がっている。
園丁さんが暇に明かせて造ったに相違ない。
フジの枝で造ったものだ。
国立競技場も新しく生まれ変わり、
2020年には二度目の東京オリンピックが開催されるのを
記念して造ったものだろう。
(木と木の間にぶら下がっているオリンピックのマーク)


木といえば、この公園には桜と桑の木が沢山生えている。
最近お年寄りたちが、その木の下に群がっている。
木の実が熟れ始めているからだ。

一番最初に咲いた桜の木には、サクランボが黒く色づいた。
皆さんが採って食べているので、
「おいしいですか? 」と聴くと、
「食べてみてください」という。

なるほど美味しい。
よく分からないがサクランボで知っているのは、
「佐藤錦」しかないので、「佐藤錦ですか?」と問うても、
唇に笑顔をたたえて、返事も無く、
もくもくと獲って食べるだけで教えてくれない。
(きっとこの人も知らないんだ)と勝手に決めて立ち去る。

翌日、その木を見たら、サクランボは一個もなくなっていた。
鳥が先に獲って食べたというのだ。
高い木の先になっていたのも無くなっている。
さすが、鳥たちは良く知っている。
(たった一つ残っていたサクランボ)


少し離れた、次の木には、桑の実がびっしりなっている。
もう少し熟れれば美味しくなるのに、
気の早い人は少し色づいたら採って食べる。
(すこし酸っぱい)くらいのほうが美味しいというのだ。
人それぞれで、結構なことだが、
「もう少し経ってからの方が美味しいですよ。」と言っているうちに、
桑の実もなくなるに違いない。
(桑の実)


子供の頃、疎開して採って食べた桑の実は、黒くなってからだった。
とても美味しく感じられた。
唇を青くして家に帰って、行儀が悪いと叱られたものだ。
そんなにひもじい思いをさせているのか、思われても仕方がない。

何処の家のものか分からない桑の木に、
実っているからといって食べるのは、
泥棒と同じだと叱られた。その通り。

今や飽食の時代で、年寄り意外にこれが食べられると知っている人も少なくなった。
だから高い先のほうに実っている黒い熟した実は、
ぽろぽろ地面に落ちて、木の下が黒くなっている。
鳥たちも見向きもしないのだろうか?
不思議である。
(桑の実2)

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4 コメント

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こんばんは (ytakei4)
2014-06-04 22:27:44
資本主義、資本を投下しても金利が低くて
回収できなくなっている。そのためシステムが
崩壊する。簡単に言ったらこんなものでしょうか?
ytakei4さん コメント有難うございます (hide-san)
2014-06-05 10:19:10
ytakei4さん
大変有難うございました。
これで一冊読んだようなものです。
こんばんは (ytakei4)
2014-06-05 20:33:24
幼いころ近所の家のザクロを
失敬したことを思い出しました。
あまりうまくなかったです。
桑の実 (yukiusagi)
2014-06-06 05:40:56
hideさん お早う御座います。

五輪のマークもフジの花で作ったのでしょうか。
やはり東京オリンピック?

こちらの桑の実はまだ赤白くで黒くなっていません。
昔ながらの成るものが美味しかった気がしますね。

いつも ありがとう御座います。

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