平清盛坐像
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(平清盛坐像)
六波羅の地には、
平安後期に平忠盛が六波羅蜜寺内の塔頭に軍勢をとめて以来、
清盛、重盛をはじめ平家一門の邸館が増え、
その数は五千余の及んだといわれる。
このような関係から六波羅蜜寺には平清盛と伝えられる木像が一体があり、
この像は出家して浄海と号した清盛の晩年の姿を写したものと言われる。
唇が厚く頬が引き締まった風貌を生き生きと写している。
経巻に目を落としている目には爛々とした輝きが清盛の性格を物語っている。
しかし栄華は一朝にして崩れ去り、時代は変わって行く。
経巻でなく落ちぶれていく平家物語を読んでいるようにも見える。
photo by hide-san from OCNフォトフレンド(平清盛坐像)
六波羅の地には、
平安後期に平忠盛が六波羅蜜寺内の塔頭に軍勢をとめて以来、
清盛、重盛をはじめ平家一門の邸館が増え、
その数は五千余の及んだといわれる。
このような関係から六波羅蜜寺には平清盛と伝えられる木像が一体があり、
この像は出家して浄海と号した清盛の晩年の姿を写したものと言われる。
唇が厚く頬が引き締まった風貌を生き生きと写している。
経巻に目を落としている目には爛々とした輝きが清盛の性格を物語っている。
しかし栄華は一朝にして崩れ去り、時代は変わって行く。
経巻でなく落ちぶれていく平家物語を読んでいるようにも見える。
平家の復活ですね。それ以来、源氏と平家が
交互に政権を獲るという言い伝えが生まれたとか。足利尊氏が源氏で織田信長が平家だとか。
徳川家康は源氏ですね。
母親の戸籍は平氏になっていました。
双方とも明治生まれですが。
父は岐阜県生まれで、母は愛知県生まれで、ボクは昭和生まれですが、秀吉が産湯をつかった井戸がある所より、50mほど南で生まれ育ちました。
戸籍が出来て庶民は祖先を源氏か平氏にしたようですね。
分家筋からとなってます
江戸時代は幕府を憚り浮田と名乗ったそうです。
今の黒田家は播州の百姓の出ですけどな。
話は変わって今年のNHKの大河ドラマは
あまり人気がないそうですね。
やはりイメージ的に暗いのが気に成りますな。
総花的で時代の出来事をいろいろ描いていて、あらすじがとても解りにくいからでしょうね。
平忠度や平敦盛、那須与一、宗盛の最後など、
エピソードを解りやすく挿入すれば、
視聴率も上がるのでしょう、と思います。
極楽往生願っていたのだろうな…
清盛の晩年をよく表現している像に思えるね。
武士の顔でなく仏の顔に!
奥深い深淵の眼差しですね。
先を見通していたのでしょうか・・・