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楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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芭蕉ゆかりの要津寺(芭蕉の道を歩く 2)

2009年01月25日 09時10分00秒 | 芭蕉の旅

(要津寺(ようしんじ)
都営大江戸線「森下駅」で下車し。
A-2出口へ出ると目の前に新大橋通りがある。
左横を見ると新大橋通りをまたぐ横断歩道があるのが見える。
A-2の出口とこの横断歩道の間にある道を左折し、
最初に出会う信号から左を見るとブロック塀に囲まれた要津寺(ようしんじ)が見える。

道路に面した門の奥にもう一つの門があり、
右側の門の奥に石碑が数個建っているのが見える。
雪中庵関係石碑群としての説明によれば、
「雪中庵とは、芭蕉三哲の一人である服部嵐雪の庵号です。
三世雪中庵を継いだ大島蓼太は、
深川芭蕉庵に近い当寺の門前に芭蕉庵を再興しました。
これにより当寺は雪中庵ゆかりの地となり、
天明年間(1781-1789)の俳諧中興期には拠点となりました。
当寺には蓼太によって建てられた嵐雪と二世雪中庵桜井吏登(りとう)の供養塔や
「雪上加霜」と銘のある蓼太の墓碑、
四世雪中庵完来から十四世双美までの円形墓碑、
宝暦13年(1763年)蓼太建立による「芭蕉翁俤塚」、
安永2年(1773年)建立の芭蕉「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑、
天明2年(1782年)建立の「芭蕉翁百回忌発句塚碑」などがあります。」
(墨田区教育委員会)とある。

門の右側には、要津寺の豪壮な屋根瓦が飾ってあるが、
以前建物に載っていた屋根瓦の一部で、
建物がどのようにして無くなったかは解らないが、
相当立派な寺院であったことが窺われる瓦であった。

要津寺を出て、来た道を新大橋通りに戻り右折すると新大橋に出る。
大橋と呼んだ両国橋が先にあったため、
下流に新たに出来た橋を新大橋と呼んだようだ。
新大橋に出る手前に「新大橋」という信号があるので左折すると、
これが「万年橋通り」となっている。
訪ねた季節が晩秋であったので、その通りの銀杏並木が綺麗であった。
万年橋通りを進むと、右側に「芭蕉記念館」があり、
その門前に芭蕉記念館の由来が書いてある案内があるので紹介しておく。
「新大橋と清洲橋が望める隅田川のほとり、
松尾芭蕉が庵を結んだゆかりの地に、この記念庵は建設されました。
ここには、芭蕉研究家からの寄贈品を中心に、
芭蕉関係の貴重な資料が展示されています。
――中略――
庭園には、池や滝、芭蕉の句に読まれた草木が植えられ、
築山にほこらと「古池や・・・」の句碑もあります。」とある。

芭蕉記念館前をさらに進むと小名木川に掛かる「万年橋」がある。
万年橋を渡らずに右側にある隅田川ウオーターテラスの階段を下りると、
右側の上のほうに隅田川を見下ろす芭蕉像が見える。
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