中学までの勉強と、
高1の現時点までの勉強は、
夏休みに入る前に終わりました。
中学は卒業です。
高等学校の勉強は、すべて予習をしました。
そして学校での授業の時は復讐で、
先生の説明が、
自分が理解した内容と違っている場合は、
手を挙げて質問して考えを正しました。
夏休みに入って、
サッカーの合宿以外は、やることがありません。
そこで高1の教科書をどんどん理解に努めました。
やっている内に、次から次へと知りたいことが増えて、
次の章、次の章へと進んで行きます。
夏休みの終わりころには、
高1が卒業できてしまいました。
そこでサッカー部の先輩に頼んで、
高2の教科書を頂いて、
高2の授業を独習し始めました。
新しいことが次から次へと出てきて、
止められません。
そうこうしている内に秋になって、
一斉の実力テストが行われました。
テストは五教科です。
ボクは高1だから3分の1出来れば上等などと、
友達同士で話し合っていました。
確かに共通試験は難しかったと記憶しております。
男子部、女子部、その高1~高3まで同じ問題で、
成績結果の優秀な生徒30人が、
掲示板に張り出されるのが恒例になって居りました。
ボクはこの時、先輩から頂いた高2の教科書を
半分ほど理解していました。
つまり頭の中は高2の
2学期の中間の状態でした。
この実力テストは25番目に自分の名前が、
掲示板にありました。
いつもクラスで一番の**君の名前はありません。
自慢話は今回で終わりにしましょう。
話変わって、
中間テストや期末テストは、
成績順に答案用紙が返される仕組みになっていました。
高1の一学期の中間テストの時、
数学の答案用紙が二人目に返されました。
一番はいつもの**君、
次がなんとボクでした。
答案を返しながら先生は、
「放課後職員室へ来てください」
と小声で私に言われました。
この数学の先生がクラスの担任教師だったのです。
何だろうと、恐る恐る職員室へ先生を訪ねると、
「君、試験のカンニングしただろう?」
今まで僕はいつもビリで答案を返してもらっていたのです。
それが二番めにテスト結果だったことに
不信を抱いたに違いないのです。
だから先生はカンニングしたと思ったのです。
一番の**君はクラスでぼくと同じ列の
一番後ろに座っています。
ボクはその列の一番前に座っています。
「今までの成績が悪かったので、
先生がそう感じられるのは当然です。
席のある場所から考えても**君から、
回答を盗み取ることはできません。
ほかの学科の成績も見てもらいたいです。
ぼくはこの春休みの間に、
ずいぶん勉強したつもりです。」
先生は頷いて、この場は終わりました。
期末テストの時期がやってきて、
やはり数学の担任教師は、
二番目に答案用紙をボクに渡しました。
その時、
「よく頑張ったね、高等学校を卒業するまで、
この成績を続けるように、
この間(あいだ)の事は先生の間違いだったよ!」
と言いました。
その時のうれしかった気持ちを、
生涯忘れることはできません。
「為せば成る」なんて言葉は、
こんな時を指すのですね。
新型コロナ以降、家に籠って、
話題が少なくなりました。
今日という日が素晴らしい日に、
なりますことを祈っています。
いつもクラスで一番の**君の名前はありません。
自慢話は今回で終わりにしましょう。
自慢話を聞いてしまった。笑い
それにしても天下の旭丘で、25番目なんて素晴らしい!
努力家でもあり、秀才でもあるんですね。
おとぎ話の時代です。(笑)
間違いでなければ、
きちんと継続してやり遂げる、
ことは今でも変わりません。
この先生、謝ったからまだ良いかもしれませんが、現代だったら、大問題ですね。
そうですか、別の方が書いておられますが、旭ヶ丘でらしたのですね。
私は高校に入学した瞬間、ビリから1割以内でした。
もっともできて、半分くらいでした。
努力はしたつもりですが、地頭と勉強のやり方が間違っていたようです。
知ろうとすると、その先が知りたくなります。
どんどん先に知りたくなるのが勉強です。
知りたいという気持ちを持つことです。
高1の夏休みには、高2の2学期の分まで進むなんてさすがです。
私は、常に授業を追いかけていましたが、歴史の授業は、大学入試直前になっても未だ江戸時代をやっていたので焦りました・・・(-_-;)
それにしても、先生の「カンニングしただろう?」という態度は軽率すぎます。
この年齢の時は、一回読めばすべて頭の中に入ってしまうようです。
知りたいと思う心を持つことですねー勉強は。