(観光客でごった返す雷門)
(浅草寺の雷門)
浅草の雷門は有名であるが、
それは多分に真ん中にある「雷門」と書かれた提灯によるものではないかと、
長いことボクはそのように思っていた。
この山門と提灯、実はパナソニックの初代社長
松下幸之助の寄付によるものであるとは、知らなかった。
よく見れば提灯の最下部「雷門」の文字の下に(松下電器)と書かれている。
松下幸之助が病平癒のお礼に寄付したものだそうだ。
何度も浅草寺を訪ねているが、こんな事も知らなかったので、
今回は細々と見てまわった。
「雷門」と言うのは、浅草寺の総門のことで、
総門の左右には、「風神」像、「雷神」像があるからなのだそうだ。
写真を撮るのが下手で、一寸見にくいがこの両神を見ていただきたい。
(風神)
(雷神)
仲見世が次の門―宝蔵門―まで続く。
人の波にもまれながら、仲見世に挟まれた参道を通るのが普通であるが、
今日は違った見方をしたいと思う。
(宝蔵門まで続く仲見世)
今まで何回となく浅草寺に来ているが、
仲見世の裏側を見るのは今日が初めて。
表の繁華な佇まいに反して、
裏は殺風景なことは予想していたが、
これほどとは思わなかった。
うらぶれた朱色のお店の裏門、出入りする仲見世の売り子たち。
言葉使いも裏と面では違う。
「お客様」と「客」。
「客が勝手なことを言っているが、
儲けさせてもらうから我慢しないとね」、など話している。
(仲見世の裏側)
(仲見世の裏側2)
そんな裏道が続いて、宝蔵門へ。
これは両側に仁王様がいて、
真ん中に「雷門」ならぬ「小舟町」の提灯がかかっている。
「小舟町」の提灯の両横に、「魚河岸」の提灯のようなものがぶら下がっており、
その外側に仁王様はいる。通常の「仁王門」である。
「小舟町」の提灯は日本橋小舟町より寄付されたもの。
また「魚河岸」の提灯、実は吊り灯篭であるが、
これは「魚河岸」よる奉納だそうだ。
(宝蔵門の提灯とつり灯篭)
(宝蔵門と五重塔)
「宝蔵門」と呼び習わしているのは、上部三層のうち二層に、
近代設備の防火設備を施した収納室があり、
ここに浅草寺の什宝物を収納しているから宝蔵門といっている。
この宝蔵門を潜り抜けると、浅草寺本堂があり左に五重塔が見える。
ここには「志ん橋」の大提灯が架かっているが、東京新橋組合の奉納。
(浅草寺本堂としん橋の提灯)
(浅草神社の鳥居)
本堂に御参りして、右に出ると浅草神社の鳥居があり、奥に本殿がある。
ここを三社権現社とも言って、三社祭のもとになる神社だそうだ。
聞くところによると、
浅草寺の本尊聖観音菩薩を隅田川から拾い上げた三人を祭神とした神社で、
三神を祭ることから三社さまとも呼ばれて、
有名な三社祭とは浅草神社のお祭りで、五月の中旬に三日間行われる祭礼は、
一生に一度は見てみたいものの一つです。
そもそも浅草寺は徳川家の祈祷所でもありました。
今では庶民の願いを祈る所になっていて、毎日訪れる人は多い。
その隣の浅草神社境内では、
「考えるのは誰でも出来る」で有名な猿、太郎次郎が演技をして、
大勢の人を集めている。
(浅草神社=三社さまの本殿)
(反省だけなら誰でも出来るの太郎次郎の猿回し)
(浅草寺の雷門)
浅草の雷門は有名であるが、
それは多分に真ん中にある「雷門」と書かれた提灯によるものではないかと、
長いことボクはそのように思っていた。
この山門と提灯、実はパナソニックの初代社長
松下幸之助の寄付によるものであるとは、知らなかった。
よく見れば提灯の最下部「雷門」の文字の下に(松下電器)と書かれている。
松下幸之助が病平癒のお礼に寄付したものだそうだ。
何度も浅草寺を訪ねているが、こんな事も知らなかったので、
今回は細々と見てまわった。
「雷門」と言うのは、浅草寺の総門のことで、
総門の左右には、「風神」像、「雷神」像があるからなのだそうだ。
写真を撮るのが下手で、一寸見にくいがこの両神を見ていただきたい。
(風神)
(雷神)
仲見世が次の門―宝蔵門―まで続く。
人の波にもまれながら、仲見世に挟まれた参道を通るのが普通であるが、
今日は違った見方をしたいと思う。
(宝蔵門まで続く仲見世)
今まで何回となく浅草寺に来ているが、
仲見世の裏側を見るのは今日が初めて。
表の繁華な佇まいに反して、
裏は殺風景なことは予想していたが、
これほどとは思わなかった。
うらぶれた朱色のお店の裏門、出入りする仲見世の売り子たち。
言葉使いも裏と面では違う。
「お客様」と「客」。
「客が勝手なことを言っているが、
儲けさせてもらうから我慢しないとね」、など話している。
(仲見世の裏側)
(仲見世の裏側2)
そんな裏道が続いて、宝蔵門へ。
これは両側に仁王様がいて、
真ん中に「雷門」ならぬ「小舟町」の提灯がかかっている。
「小舟町」の提灯の両横に、「魚河岸」の提灯のようなものがぶら下がっており、
その外側に仁王様はいる。通常の「仁王門」である。
「小舟町」の提灯は日本橋小舟町より寄付されたもの。
また「魚河岸」の提灯、実は吊り灯篭であるが、
これは「魚河岸」よる奉納だそうだ。
(宝蔵門の提灯とつり灯篭)
(宝蔵門と五重塔)
「宝蔵門」と呼び習わしているのは、上部三層のうち二層に、
近代設備の防火設備を施した収納室があり、
ここに浅草寺の什宝物を収納しているから宝蔵門といっている。
この宝蔵門を潜り抜けると、浅草寺本堂があり左に五重塔が見える。
ここには「志ん橋」の大提灯が架かっているが、東京新橋組合の奉納。
(浅草寺本堂としん橋の提灯)
(浅草神社の鳥居)
本堂に御参りして、右に出ると浅草神社の鳥居があり、奥に本殿がある。
ここを三社権現社とも言って、三社祭のもとになる神社だそうだ。
聞くところによると、
浅草寺の本尊聖観音菩薩を隅田川から拾い上げた三人を祭神とした神社で、
三神を祭ることから三社さまとも呼ばれて、
有名な三社祭とは浅草神社のお祭りで、五月の中旬に三日間行われる祭礼は、
一生に一度は見てみたいものの一つです。
そもそも浅草寺は徳川家の祈祷所でもありました。
今では庶民の願いを祈る所になっていて、毎日訪れる人は多い。
その隣の浅草神社境内では、
「考えるのは誰でも出来る」で有名な猿、太郎次郎が演技をして、
大勢の人を集めている。
(浅草神社=三社さまの本殿)
(反省だけなら誰でも出来るの太郎次郎の猿回し)
「パナソニック」松下電器もかわりましたが、その精神は僅かながらでも
生きているのでしようね。寄贈を人に知らせようとせずに、気の付かない
処に小さな文字で、商法も国際化し戸惑うところがありますが
日本的なもの、少しでも残しておいて欲しいですね。
ゆっくり、考え考え歩きたいものです。
有名な三社祭をまだ見たことがありません。
東側へ抜ける「二天門」というのがあるそうですね。
国の重要有形民俗文化財で江戸時代に出来た門だとか。
先日に関東生まれの悪友から初めて聞きましたけど
残念ながらそちらの方へ抜けたことがないんですよ。
同じように二天門と書かれた提灯が架かっているとのこと。
増長天と持國天が祀られているので二天門と呼ぶとか彼は話をしていました。
東京の方なのでご存知でしょうね、私は次回に浅草寺へ行ったおりに見てみようと考えていますけど。
詳しくご説明しているからご存知かと思ったのですが、
今度はその入り口の提灯の底をごらんあれ。
田んぼに映る三山は素敵ですよ~♪
お気に入りです。
いつも ありがとうございます♪(*'-^)-☆
次回にその紹介を予定しています。
提灯は二天門だったか記憶がありません。
門の外側に興味を取られて、記憶が定かではないのです。
田んぼに写った山が美しいですね。
・雪残し やまかげ写す 早苗の田
一寸何か足りませんね。