goo blog サービス終了のお知らせ 

楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

秀吉の豊国神社

2015年12月11日 07時44分13秒 | ひとり歩き旅
JR名古屋駅から西方に中村公園がある。
名古屋市営地下鉄 中村公園駅を降りると、
大きな赤鳥居がある。
京都の平安神宮の鳥居と肩を並べるほどの大鳥居である。

(大鳥居)


豊国神社の一の鳥居である。
ここから北を眺めると豊国神社への参道であり奥の方に二の鳥居が見える。
一の鳥居の右横には中村参道緑道の碑がある。
この一の鳥居から二の鳥居に至る参道の両脇に松を植え緑道にしている。

(中村参道緑道の碑)

(松並木と大鳥居)

(参道上の案内)


中村公園は秀吉を祀っている豊国神社を中心に出来ている。
公園の東隣には秀吉産湯の井戸がある常泉寺があり、
その南には加藤清正生誕地の妙行寺がある。
そんな配置である。

中村公園入口は二の鳥居と豊国神社の石碑で始まる。
鳥居をくぐると神社に良くある太鼓橋があり、
その先に手水舎(ちょうずや=水盤舎ともいう)がある。
参拝者はここで手を清め口を漱いでから神社に向かう。

(二の鳥居)

(鳥居の桐ー秀吉家紋の桐)

(豊国神社の石碑)

(鳥居の先の参道に橋が見える)

(太鼓橋)


普通、手水舎の水は竜の口から吐き出されるように流れているが、
豊国神社では、秀吉の馬印の瓢箪の口から水が流れている。
ボクはこの手水舎を始めて見るが、
瓢箪から水が流れているのを見るのも初めてである。

男性であるからかもしれないが、
豊満な女性の胸元をのぞき込んでいるようで、
見つめているのがなんとなく気恥ずかしい気がする。
参拝客も男性は少し困惑するかもしれない。

(手洗い場)

(龍から水ではなく瓢箪から水)


砂利道の参道を進むと三の鳥居があり神社に入る。
豊国神社である。
入口にある提灯の桐の家紋がまぶしい。
中村公園はこの神社を中心に出来ている。

その昔、NHKの大河ドラマ「黄金の日々」では、
スタート画面にこの神社が出てきて、
いたずら者の秀吉 幼名日吉丸が神殿内の階段を上るところから始まった。
ボクの子供の頃、お隣のおじさんが中村公園の園丁さんだったこともあり、
何かのついでに神殿内を見学できるチャンスがあった。
その時、この階段を上った記憶があり、
TV画面にある日吉丸が階段を上るシーンを見て、
ひそかにあの階段だと思い出したものである。
その神社だ。

(三の鳥居と神社)


参拝をして、神社を左に出ると左手に池がある。
普通、こうした公園内の池は、心字池か蓬莱池であるが、
さすが豊国神社である。
池の形は秀吉が馬印に使った瓢箪を模した瓢箪池である。
写真の左側に見える橋の所がくびれており、
その向こうに瓢箪の頭部分に相当する小さな池がある。

(瓢箪池)


瓢箪池を右折すると、大正天皇お手植えの松がある。
大正天皇がまだ皇太子の頃のお手植えの松である。

(大正天皇お手植えの松)

(皇太子殿下お手植えの松の石碑)


皇太子とは、もちろん大正天皇の事である。
さらに先に進むと秀吉産湯の井戸がある常泉寺になる。

(常泉寺の門柱)






コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 名古屋のテレビ塔 | トップ | 豪徳寺の紅葉 »
最新の画像もっと見る

9 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
このような名所だとは知りませんでした。 (masamikeitas)
2015-12-11 08:26:01
hide-sanさん、おはようございます。

>(大鳥居)

若い頃、会社の同僚がこのあたりに住んでいましたので、泊まりに行ったことがあります。
このような名所だとは知りませんでした。

>豊満な女性の胸元をのぞき込んでいるようで、
見つめているのがなんとなく気恥ずかしい気がする。

たしかに。
作られた方もそのような意図があったのでは?(笑)
返信する
豊国神社 (iina)
2015-12-11 10:23:19
豊国神社は、京都の方広寺の隣と、大阪城にもありました。名古屋中村は、生誕の地でした。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b18028fdd0409f53f3994513563d990e

返信する
こんばんは (ytakei4)
2015-12-11 20:05:49
神仏混淆してますね。しかし秀吉も
すごい出世をしたものですね~
返信する
ここ暫く 暖かい師走ですね~♪ (鉄ちゃん爺や)
2015-12-12 13:37:40
本殿は思ったより小ぶりですが名古屋の
豊国神社境内は広いように感じました。

京都と名古屋は 豊国神社 → とよくにじんや

大阪と長浜は   豊国神社 → ほうこくじんじゃ

京都と名古屋は豊臣秀吉公のみがご祭神

大阪は秀吉公と弟の秀長公がお祀りされてます

長浜は秀吉公と事代主大神と加藤清正が
お祀りされているとか聞いています。

全国の全てを調べてはいませんが同じ豊国神社でも
このように使い分けて呼ばれているようですね。

蛇足ながら大阪城内の豊国神社は昭和37年に
移設されるまでは現在の大阪市庁舎の東側半分に
該当する敷地にありました。

返信する
masamikeitasさん コメント有難うございます (hide-san)
2015-12-12 15:55:57
結構大きな鳥居で、てっぺんは乳母車がすれ違えるくらいだと教えられていました。
今では、ベビーカーがすれ違うと言うのでしょうが・・・
返信する
iinaさん コメント有難うございます (hide-san)
2015-12-12 15:57:50
豊国神社は、関西にもあるようですね。

本拠地は大阪でしたから・・・・
返信する
ytakei4さん コメント有難うございます。 (hide-san)
2015-12-12 15:59:26
神様も仏様もどちらもありで、
今は観光客が来てくれれば、それで良いのでは・・・・
返信する
鉄ちゃん爺やさん コメント有難うございます。 (hide-san)
2015-12-12 16:02:33
京都を目指して、大阪に拠点を造ったのですから、
秀吉も関西の方では、モテモテですね。

大判振る舞い模したことですし・・・・





返信する
那古野(なごの)の中村 (もののはじめのiina)
2018-08-31 08:58:26
立派な豊国神社です。^^

(hide-san)さんが幼いころに暮らしたのが、秀吉や加藤清正たちの生まれた地にわずか50mほどであったとは、
世が世なら秀吉に登用されていたかもしれません。

母方の祖父が蜂須賀城(小六の本拠地)に務めた家臣とは、由緒ある家柄ですね。


> 廃藩置県でお殿様は、お金も貰らったのでしょうが使い方を知らなくて、すぐに一文無しになり、祖父に借りに来たようです。
いまつづけているシリーズの「幕末から維新」篇の大名たちの処遇について採り上げます。9月8日予定。

   iinaの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

ひとり歩き旅」カテゴリの最新記事